第四話〜⑨

 腰に手をあてて、怒っている様な呆れている様な表情でフランツを見ている。

 妹の背後には幾人かの使用人の姿もあり、先程の怒鳴り声に驚いたのだろう、不安気な面持ちでフランツの様子を窺っていた。


 アリシアはそんな使用人達に優しく声を掛けて下がらせた。

 そして、部屋の中に入ってくるなり、「ほんと、どうしようもない人ね!」と、いつかも聞いた言葉でフランツを貶した。


「どうして今話そうと思ったのよ。ジェズが不安定なのはお兄様だって分かっていたじゃない。あの子がカレル様の事、大嫌いなの知ってるでしょう?」

「……あそこまで拒絶されるとは思わなかった」

「浅はかね」

 アリシアの言葉がフランツには痛い。


「確かに、私はお兄様にきちんとあの子達と話をすべきだとは言いました。お兄様はジェズが憔悴しているのを見て、気を張って欲しかったのでしょうけど、弱っているあの子に向かって『落ち込んでないでこっちを助けてくれ』なんて話はただの人でなしだし、カレル様の名前自体があの子にとっては禁句よ。話をするのに適切な時期だとも、私は露ほども思わないわ。とっくにその時期を逃しています。見当違いなのよ」


「俺はジェズを全く理解出来ていなかったんだな」

「むしろ、今まで良くお兄様の茶番に付き合ってきたと褒めたいところだわ。ただの上司と部下なら、それでも良かったのでしょうけど、中途半端に兄弟みたいな関係を築いておきながら、その反面、簡単に言い包められる子供と侮るからよ」

「そんなつもりは……」

 アリシアの言い方にムッとして言い返そうとしたが、心当たりが無いわけでもないと気付いて、大きく溜息を吐く。


「さて、どうすべきか」


 背凭れに寄り掛かり天井を仰ぐフランツに、アリシアは答えた。

「こうなったらあの子達の逃げ場を断つしかないわよ。もう、強制的に話を聞かせるしかないわ。今の状態のジェズをいつまでも放ってはおけないもの。リリーだって嫌な思いをさせられたばかりなのに、二人にとって良くないわ」


「父上にでも説得してもらうか?」

「まさか! こう言ってはなんだけど、これに関してはお父様はお兄様より役立たずよ」

 地位的な理由から話に耳を傾けるだろうが、理解は拒むだろう。


 ビウスの事件は全面的にグラッブベルグ公が悪いとしても、発端は父シュトルーヴェ伯との対立だ。それを父も意識していながら、二人に関しては他の家族に丸投げしている様なものだ。恐らく、この屋敷の中で最も信頼されていない人物だろう。

 伯爵位筆頭の、シュトルーヴェ家の現当主が。


「じゃあ、一体どうやって俺達の茶番とやらに再度乗っかってもらうつもりだ? アリシア、お前がそれをしてくれるのか?」

「やあね、出来るわけないじゃない。どちらかと言うと私はジェズ側だもの。グラッブベルグ公なんて論外だけど、私、今のカレル様はあまり好きじゃないの」


「それじゃあ、一体誰が今のジェズを説得出来るんだ」

 アリシアの言い草に少し苛立ったフランツが雑に問うと、妹はにっこり笑って言った。

「いるじゃないの。我が家には誰も逆らえない最強の人が」

「はぁ?」



     *   *



 フランツの部屋を飛び出してから、ジェズは真っ直ぐ自室に駆け込んだ。

 すぐ後ろにエリザベスが付いて来ている事は分かっていたので乱暴に扉を閉める事はせず、開けっ放しで寝台に飛び込み布団の中で靴を脱いで蹴り出した。


 床に転がったブーツが揃えられて寝台脇に置かれたのが分かったが、頭から布団を被ったまま気配に対して背を向けていた。


「ジェズ」

 エリザベスの呼び掛けにジェズは応えなかった。

 少しの間、沈黙が続く。

 やがて居た堪れなくなったのか、エリザベスが戸惑いがちに話しかけてきた。

「ジェズ。私はフランツ様の機転で助けられたわ」

 布団の中で、ジェズはぎゅっと両目を瞑った。


「フランツ様が少佐の行動を注視していたから、私は今無事でいられると思うの。その行動理由が少佐を助けたい一心からきた物だとしても、私は今ここでジェズと一緒に居られることに感謝しているの。だから、私……」

 それは僕だって同じだ。でも。

「僕さ」

 エリザベスの口からその続きを聞きたくはなかった。


「銃の訓練を受けている時に、初めて声を掛けられたんだ」

 とても驚いた。

 入隊式の時、遥か遠くで訓示を行なっていた偉い人に、突然、声を掛けられたのだから。


「筋が良いって褒められて、それからも時々調子を聞かれたり、家族の事を訊ねられたりして。そもそも、それが切っ掛けだったのかもしれないけど、エッセンから嫌がらせをされても、連隊長に目を掛けられていると思ったら全然平気だった。ローフォーク少佐の事だって、あの人の良くない噂は何度か耳にした事はあったけど、でも、フランツ様が信頼している人なんだから所詮は根拠のない噂でしかないって、信じてなかったんだ」


 二十代前半で佐官の階級章を身に付け、高い地位にいる二人は、第二連隊の少年兵達にとって尊敬の対象だった。軍務大臣を父に持ちながらも偉ぶったところが無く、下級兵士ともよく話し笑うフランツは親しみやすかったし、厳しいが任務に真っ直ぐ向き合い、部下の功績を正しく評価するローフォークも同様だった。

 だから、第二大隊に正式配属された時は心底嬉しかった。


 だが、ローフォークはジェズの大切な家族を傷付けて奪い、フランツはそのローフォークを守る為だけにエリザベスを保護して、事情を理解し愕然としていたジェズの気持ちを無視し続けてきた。

 しかも、共に悪びれる様子も無く、揃って平然とした態度を崩さない。

 それを、どう許せと言うのだろう。


「優秀で、格好良くて、いつも凛として堂々としてて、僕もあんな大人になりたかった」

 目の奥が熱くなる。

 込み上げた涙が布団を濡らし、目尻を冷やした。


「憧れだったんだ」


 布団の向こうでエリザベスが啜り泣く声が聞こえた。

 ずきりと胸に痛みが走ったが、少女に声を掛けて元気付ける気持ちにはなれなかった。


 ジェズは布団を掻き寄せ小さく丸まり、耳を塞いだ。

 今はどんな音も、誰の声も、聞きたくはなかった。

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