第四話〜⑤

 軍務大臣とその夫人である伯爵夫妻とは、ここから別行動を取ることになる。


 国王への挨拶と式典の準備の為に謁見の間へと向かう夫妻を見送ったエリザベス達は、一先ず射撃競技の会場となる王宮近衛連隊の本部に顔を出すことにした。そこでドンフォンの長兄に挨拶をするのだ。


「フランツ様から護衛を付けると聞いてはいましたけど、ドンフォン中尉とは思いませんでした」

 宮殿の華麗な庭園を散策しながらエリザベスが言った。

「中佐は結構ギリギリまで人選を悩んでいたようだよ。身の安全を最優先にするならもっと人数を付けるべきだけど、せっかくのお祭りだからね。気兼ねなく楽しめるようにと考えた結果、よく知っている私ならば君も安心できるだろうと仰ってね。引き受けさせてもらったよ」

「有難うございます、中尉」


「貴方なら私も安心だわ。リリー、ドンフォン中尉はね、以前に体術でこの競技会に出場した事もあるのよ」

「本当ですか⁉︎」

「少尉時代に一度だけね。だけど二回戦目で敗退だ。それ以降は任せられる仕事が増えてきた事もあって、連隊の選抜にすら出ていないよ」

 驚いて尊敬の眼差しで見上げるエリザベスに対し、ドンフォンは苦笑いで返した。


 王宮近衛連隊の本部は、官庁区とは異なり宮殿内に建てられていた。

 この組織は、有事にあって即座に国王と後継者の盾となるために常に身近に侍り、宮殿の警備もまた彼等の任務の一つだ。時には王室の王子達の剣や乗馬の指導役も兼ね、その特殊性の高い職務故に軍務省の配下にはなく、国王直轄の部隊として存在した。


 近衛警備隊で大隊長を務めているドンフォンの長兄に会い、挨拶と簡単な会話ののち、三人は今度は開会式会場となる宮殿前広場へと向かった。

 道すがらアリシアの友人が数人で御喋りしている姿を見付けたので彼女達も加えて会場へ赴くと、既に各軍の代表者達は整列していて、宮殿正面入口の左右には楽隊が立ち並んでいた。

 第二連隊の面々も治安維持軍の集団の前列におり、ジェズも今回は見付けやすい位置にいて、後列の兵士と何やら楽しげに話している。


 エリザベスが手を振ると、それに気が付いたジェズが手を振り返してくれた。と、思った直後に第二連隊の隊員達が一斉に手を振って、周囲からの注目を浴びた。つい、アリシア達と顔を見合わせて笑いを零した。

 ジェズに緊張している様子は見られない。

 エリザベスは胸を撫で下ろした。


 その内、宮殿正面入口から各軍の師団長達が現れて整列した。

 式典の開始が間もなくである事を察したエリザベス達は、急いで警備兵の背後の見物客の列に並んだ。


 楽隊のファンファーレが鳴り響き、間もなく真上の二階バルコニーに、近衛兵に誘導されて軍務大臣シュトルーヴェ伯爵が現れた。

 続いて姿を見せたのは老齢の男性と背の高い青年だ。共に白い軍服に身を包み、胸の前に国王と後継者のみに許された大鷲の勲章を掲げていた。


「アリシア様、あの方が国王陛下ですか?」

 初めて自国の国王を目の当たりにし、エリザベスはドキドキしながらアリシアに訊ねた。

「ええ、そう。フィリップ十四世陛下よ。陛下の左隣にいらっしゃる方がシャルル王太子殿下。それで、今、お見えになられたのがコルキスタの大使ね。先月の末に大使館を設置して赴任されたばかりなの。いよいよ御婚約も大詰めみたいよ」


 改めて見上げた国王は、昨年から体調を崩しているとは思えないほど背筋はしゃんと伸び、胸を張って堂々としていた。元々、大柄で戦場を駆け回った軍人気質の王だと聞いていたが、六十一歳とは思えないほど遠目にも凛々しく逞しかった。


 シャルル王太子もまた背が高く、大柄な男性だった。

 逞しいというより少しばかりふくよかで、軍人的な凛々しさは感じられないものの、纏う空気には他者とは違う穏やかな高貴さがあった。人当たりの良さそうな善良な顔立ちは整っており、祖父であるフィリップ十四世によく似ていた。


 軍務大臣、国王、王太子、コルキスタ大使に続いて、国軍の各軍団長と王宮近衛連隊長がバルコニーの後方に整列した。デュバリーの鉄紺色の軍服をコルキスタ大使の後背に見付けた時、見覚えのある顔が飛び込んで来て心臓がビクリと跳ねた。


 バルコニーに、グラッブベルグ公がいた。


 公爵はコルキスタ大使の隣に並び、広場の兵士達を手で指しながら何やら話をしていた。

 エリザベスは半歩下がり人影に隠れた。手はアリシアの手を探し、無意識のうちに彼女にしがみ付いていた。


 エリザベスの異変に気付いたアリシアは、バルコニーを見上げて理由を察した。次いで、ジェズに視線を転じ、僅かに戸惑った。

 それでも、自分にしがみ付いて震える小柄な少女をそっと抱き返し、背中をさすりながら優しく話し掛けた。


「大丈夫、大丈夫よリリー。私がいるわ。安心して」

 アリシアが背後を振り返ると、心得たドンフォンが頷き、二人はエリザベスを支えながら観客の列を抜けた。途中、異変を察した若い警備兵に伴われて、会場から離れた日陰のあるベンチに案内された。

「やはり、医務室に向かった方が宜しいのでは……」

 青褪めたエリザベスを見て警備兵は言ったが、横に首を振って断った。

「では、せめて水を一杯お持ちしましょう」

 そう言って警備兵は一礼すると、再びレクレール宮殿へと走って行った。


「ごめんなさいリリー。配慮が足りなかったわね」

「……いいえ、アリシア様。私の気持ちが緩んでいただけです」

 国家の式典なのだ。宰相である公爵が参加しないわけがない。それを失念して、浮かれていたのは自分だ。

 まるで虚を突かれたようで吃驚したが、体調自体は悪くない。気持ちさえ鎮める事ができれば、またすぐに歩き出せるはずだった。

 急に離れる事になってアリシアの友人達は心配してくれた。

 明るく闊達で優しいアリシアには友人が多い。彼女達はみんな爵位の高低に関わらず、アリシアの人柄に惹かれた令嬢達だ。平民のエリザベスにも親切で、とても可愛がってくれている。そんな彼女達に、人に酔ったなどと嘘を吐かなければいけないのが悲しかった。


 陽射しは白く、今朝まで残っていた草木の水滴は乾き切っていた。最早、昨日の雨の名残は無く、空気に湿り気も無い。

 離れたレクレール宮殿前広場から、人の声が微かに届いていた。

 ベンチに座っている間、アリシアはずっと片手でエリザベスの手を握り、もう片方の手で背中をさすってくれていた。ドンフォンも傍で片膝を着き、心配そうに覗き込んでいる。


 背筋を伸ばして、大きく深呼吸を繰り返した。

 大丈夫。大丈夫。きっともう大丈夫。

 何度も自分に言い聞かせ、もう一度だけ長く息を吸って吐き出してから、エリザベスはアリシアとドンフォンに向き直った。


「驚かせてしまって申し訳ありません。もう、大丈夫です」

「本当に? 無理しなくても良いのよ?」

「ええ。ちょっと吃驚しただけですから」

「だとしても、コール准尉。まだ座っていた方が良い。じきに先程の警備兵が戻ってくるだろうし、それに……」

 と、ドンフォンが言い掛けたところで、広場から立て続けに空砲の音が聞こえた。開会式の終了の合図だ。

「開会式は国王陛下の宣言だけだから、極めて短時間なんだよ」

「そんな……」

 今度は違う意味でショックを受けた。


「落ち込まないで。式が終わったから、ジェズもウジェニー達もきっと私達を捜しにくるわ。その時に少しくらい時間はあるだろうから、話は出来るわ。ああ、ほら。警備兵の方も戻ってらしたわ」

 促されて顔を上げると、宮殿の方から先程の警備兵がこちらへ向かってくるのが見えた。手にはグラスが三つ載った盆を持っていて、どうやらエリザベスだけでなくアリシアとドンフォンの分も用意してくれたようだ。


 広場の方向からはざわめきが聞こえ始め、式の終了に伴って参加者も散り散りになったようだ。じきにこちらにも人が流れてくるだろう。

 グラッブベルグ公の姿を見た直後にエリザベスが居なくなったので、ジェズは心配しているかもしれない。ドンフォンは警備兵にエリザベス達の傍にいて欲しいと頼んでから広場の方へ走って行った。


「リリー、本当に大丈夫? まだ顔色が良くないわ」

「でも、気持ちはかなり落ち着いてきました」

 警備兵が用意してくれた水を受け取り、エリザベスは笑顔で礼を言った。若い警備兵はほんのり頬を赤らめて頭を下げると、その後は彼女達の傍で直立し周囲に視線を走らせた。


 ドンフォンが戻ってくるまでの間、警備兵も交えて少しだけ話をした。

 彼が公爵家の次男で、昨年に近衛連隊に入隊したばかりだと知ったところで、広場から散った人々がちらほら姿を見せ始めた。その中にジェズの山吹色の頭も見える。


 立ち上がって手を振ろうとした時だった。

 視界の隅に見慣れた鉄紺色の軍服が映って、思わずそちらへと振り返ったエリザベスは硬直した。

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