第三話〜⑦

 目の前の艦隊は三十隻以上。手勢は十数隻。

 監視塔の艦隊が二十数隻に対し、敵本土から約四十隻の艦隊が迫り、さらに夜陰に紛れて進軍していた別艦隊が肉眼で確認できる距離まで接近すると、ダッソー大将は戦闘を放棄して投降を決断したのだった。


「コルキスタ側は海軍の全戦力を注ぎ込んでいたと言います。この戦争の敗北がきっかけで、今度はグルンステインが本土間近まで領海を奪われ、二千人以上の兵士がコルキスタの捕虜となりました。それだけの捕虜をさすがに向こうでも扱いかねて、大将を含む上級士官だけを残し、殆どのグルンステイン兵士はその場で商船や漁船で送り返されたとあります。当時の国内は『それだけの兵力があったのなら、最後の一兵まで戦い抜くべきだった』とダッソー大将を批判し、生還した兵士を非難する声が大勢でした。オーベール一世に対しては、大将の階級を取り上げたうえで懲罰を与えるべきだと、要求があったとも記されています」


「左様でした」

「ですが、私はダッソー大将の判断が必ずしも誤りだったとは思えないのです」

「それはまた、何故で御座いますか」

「だって、敵は……」

 そこまで言って、王太子は言葉を直した。


「コルキスタ軍の襲撃は、そう易々と予想できるものではなかったでしょう? 嵐の海に乗り出し内通者を潜ませることに成功しても、戦力が分断したのを見計らってわずかな兵力で相手の拠点を叩くということは命懸けの作戦です。運悪くすれば、島に辿り着く前に悉く転覆していてもおかしくなかった。いや、むしろ辿り着けたこと自体が奇跡だったのです。嵐がなければ成功しなかった作戦。しかし、嵐があるからこそ失敗する可能性の方が高かった作戦。とても戦略と呼べるような戦略ではなかった。コルキスタにしても、神頼みの大博打だったのです」

 シュトルーヴェ伯爵は頷いた。


「それに、大将はそのような危険な嵐の中、味方を救うために出陣した。意気地の無い者なら、転覆や遭難を恐れて小島の部下を見捨てていたかもしれません。投降の判断が早かったことも、勝てない戦ならば味方の命を無為に失うわけにはいかないと考えてのことではないでしょうか」


「ダッソー大将は最前線を任されるほどの剛の者で御座いました。だからと言って、必ずしも力任せに物事を押し進める人物でも無かったようで、現在では誰よりも思慮深く、部下想いで国家を愛した御方であったと評価する歴史家もおりますな」


 ダッソー大将は敗北ののちにコルキスタに移送され、裁判にかけられた。

 そこで大将は終身刑の判決を言い渡されたが、同じくコルキスタに移送された上級士官の減刑を引き換えにした司法取引を望み、死刑判決を受けた。

 この話を聞いて心を動かされた当時のコルキスタ王や、対峙した海軍幹部の働きかけで死刑の執行は免れたものの、大将は残りの人生の全てを逃亡不可の牢獄塔で過ごすこととなった。


「ダッソー大将が敗北したために我が国は領土の一部を失いましたが、グルンステイン兵士二千名と優秀な幹部士官数名を失わずに済みました。その士官達の中に四十年後の第十次海戦で、我が国を勝利に導いたシラク元帥がいたことを考えると、ダッソー大将の判断は正しかったと思うのです」

 第八次海戦の後、幾つかの競り合いを繰り返し、やがて両国とも全戦力を用いた十度目の海戦で勝利を勝ち取り、国境を二ヶ国の中間地点に定める協定を結ぶに至った。そして、現在までその位置を保ち続けていた。


 王太子は庭園の空気を吸い込んだ。

 オレンジ庭園はどことなく甘酸っぱい香りに満たされていて、目が覚めるような心地がした。


「伯爵、もし貴方がダッソー大将と同じ立場におかれたら、どう行動しますか?」

「そうですね。私なら、積荷は大将と同じ行動をとるでしょう。ですが……」

 伯爵は自信に満ちた顔で言った。

「小島の監視塔は放置します」

「何故ですか?」

 王太子は目を丸めて驚いた。


「嵐の海に船を出すのは愚の骨頂で御座います。軍艦は大型で漁船や小船と比較して転覆の危険は少のう御座いますが、それでも良い選択とは申せません。勿論、部下を思う気持ちはありますが、あの海域は岩礁が多く浅瀬も多い。大型船ならではの危険というものが御座います。当時の地形的な点や配置された兵力から考えても、小島の我が軍は数日は持ち堪えることは可能だったでしょう。また嵐が視界を塞ぎ、敵の伏兵を見逃していたのも痛い。大将は嵐が過ぎるのを待ち、その上で援軍に駆け付けるべきだったと考えます。籠城を選んだ側が勝利することはありませんが、攻める側も嵐の中では陥落は容易ではありません。コルキスタ軍も、適度なところで引き上げざるを得なかったでしょう」


「では、積荷の兵士はどうしますか?」

「一部を調べさせます。さらに船員で最も気の弱そうな者を尋問するでしょう。それでもやはり、ただの商人であると判断せざるを得なければ、積荷はそのまま保管していたでしょう」

「それでは、要塞を内から攻められてしまいますね」

「そればかりは致し方ありません。ただ、将は留まっておりますし、戦力は充分ですので冷静に鎮圧できたでしょう。コルキスタの戦略は、小島への侵攻を囮にダッソー大将の軍を分断し、商人になりすましたコルキスタ兵によって要塞内部を混乱に陥れ、そこを嵐の夜の闇に潜んでいた本隊が襲撃する、というものでしたから、兵力の分断に失敗した時点でコルキスタは積荷の味方が行動を起こしたとしても、最終的には見捨てて退いていたことでしょう」

 そこで、伯爵は言葉を切った。

 王太子シャルルが眉尻を下げ、伯爵を見詰めていたからだ。王太子の背後では取り巻き達が落ち着きを無くして二人の様子を窺っていた。


 伯爵は優しく王太子に声をかけた。

「殿下、私の意見ははっきり申し上げますと、全く参考になるものでは御座いません。結局のところ、サン=セゴレーヌ海戦は過去のもので、私共は結果を知っているから『こうすべきだった』という後付けの議論しかできないのです。その時、その状況に実際に陥ってみなければ、分からないことの方が多い。もしかしたら……」

 伯爵は悪童の笑みを浮かべた。


「私は紅茶に目がないので、積荷置き場に紅茶をくすねに忍び込んだところを人質に取られ、要塞を無血で明け渡していたかもしれません」

 途端に王太子は破顔した。


「ああ、伯爵。貴方はいつも遠慮無しに私の考えを論破なさる。そのくせ、最後はそうやって笑わせて下さるのだ。本当に貴方とお話しするのは楽しいよ」

「女性を口説くために鍛えた話術が役に立ちましたな」

「今の言葉は伯爵夫人の耳に入れないよう、約束しましょう」

「有り難うございます、殿下」

 伯爵は深々と頭を垂れた。


 良い頃合いと見て、側に控えていた侍従が王太子に声をかけた。

 間もなく王宮にコルキスタの大使が訪れることになっていたのだ。王太子の表情がわずかに曇ったのを、シュトルーヴェ伯爵は見逃さなかった。


 侍従に返事をすると、王太子はシュトルーヴェ伯に向き直った。

「もう行かなければ。伯爵、久し振りに貴方のお話を聞けて良かった。できるなら、もっと頻繁に私の住まいに顔を出して下さい」

「畏まりました、殿下」

 伯爵がお辞儀をすると、王太子は「約束ですよ」と静かな微笑みを浮かべて、家臣達に促されるように立ち去った。オレンジ庭園には伯爵と補佐官の二人だけが残された。

「では、我々も行こうか」

「はい、閣下」

 王宮の廊下に戻った伯爵は再びオレンジ庭園を横目に歩き出した。


『王太子殿下は不安になっておられるのだろう』

 元々、歴史や古書に関心が強く、放っておいたら幾らでも書室に入り浸っているような人物だ。趣味といえば音楽鑑賞と読書。高貴な身分として狩猟くらいは嗜むが、好んで銃を手にとることはない。俗なことが苦手で、今年初めまで続いていた花嫁騒動が一段落した時に見せた喜びようといったらなかった。

 それが最近になって、また暗い表情を見せるようになったと王室長官から聞かされた時は、伯爵はつい苦笑を溢した。


 理由はわかっている。

 ホッとしたのも束の間、今度は海の向こうからやってくる花嫁に、次第に憂鬱になってきているのだ。


 カラマン帝国から交渉の許可を得て、グルンステインはコルキスタ側へ使者を派遣した。長年の敵国としていがみ合ってきただけに、返事は時間が掛かるだろうと踏んでいたが、つい先日、コルキスタから申し込みを受け入れる返答があった。

 こちらが提示した結婚に際しての贈り物に幾つかの要求があったが、概ね、そのまま受け入れられた感じだ。

 国王の所領、城、宝飾品、結納金などの贈り物を奮発したこともあるだろうが、コルキスタ側にとって最も魅力的だったのは、この結婚によって結ばれる『聖コルヴィヌス大帝国』との不可侵条約の方だろう。


 王宮主催の夜会でも、外国の使節団とのダンスでもなければ満足に女性の手も握れないのに、相手は文化も言語もしきたりも宗教も全く異なる、一度も会ったことのない女性だ。ましてや愛情の伴わない政略結婚である。夫婦として上手くやっていけるのか不安なのだ。


 アン王女の引き渡しは、まさにそのサン=セゴレーヌ海峡の上で行われる。

 コルキスタとの古い歴史を話題に持ち出したのは、誰かにこの不安を察して欲しいという想いの現れに他ならない。


 シャルル王太子は、幼い頃から年嵩の女官や侍女達ばかりに囲まれて、様々な教育を施されてきた。

 王者たる者の在り方を教え込まれ、グルンステインの後継者としての自覚に満ちてはいたが、生来の穏やかで優しい気性の為か、現実世界の王者というよりは御伽噺の王様といった雰囲気があった。

 厳しい教育にも側仕えの苦言にも耐え、交友関係を制限されても不満の一つも漏らさなかった。ただ、それが原因となっているのか、本心を晒せる友人が少ないように伯爵には思えた。

 むしろ、気後れしているようにすら見える。


 

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