第三話〜⑥

 グルンステインでは毎年八月の半ばに全軍参加の国軍競技会が催される。

 治安維持軍・陸軍・海軍・王宮近衛連隊の各代表者が王宮庭園に集結し、国王フィリップ十四世の御前で戦闘技術を競い合う大規模な大会だ。

 御前競技とも呼ばれている。


 競技種目は、射撃、馬術、剣術、体術、二個分隊から一個小隊規模の市街戦技術の五種目となっていた。

 王宮庭園内の各軍の本部練兵場を使用して開催され、普段は関係者以外立ち入り禁止となっている軍施設も、この期間は練兵場のみ一般国民に解放されて祭りの様相を呈していた。

 

 国軍競技会に出場する為には、まず各軍の連隊の代表者とならなければいけない。

 連隊の代表選手となって師団の選抜競技会に出場し、そこで師団の代表者として選ばれたうえで各軍の選抜競技会に出場し、上位の成績を収める必要があった。

 そうして初めて、国軍競技会への出場権利を得られるのだ。

 その権利を得るための機会は、入隊して一年未満の二等兵達にも公平に与えられた。


 心・技・体、全てにおいて未熟極まる少年兵達によって、グルンステイン総軍約三十八万人の頂点に立つことは途方もない夢でしかないのだが、それでも顔を会わせれば口にのぼるのはその話題ばかりだった。


 それは、第二連隊の上級士官達も同様だった。

 ここ数年、第二連隊は射撃と馬術での入賞を逃すことが多かった。その他の競技、特に市街戦技術と体術においては常勝であるにも関わらず、この二種目に関しては上位に留まることすらできずにいたのだ。

 そんな時、大運河の摘発で高い射撃技術を見せたジェズは、第二連隊の士官達の話題の中心になっていた。


 射撃競技は軍用小銃を用いて行われる。

 立射・膝射・伏射の三姿勢で六十メートル先に固定された標的に、各二十発、計六十発の弾丸を撃ち込む。制限時間は一姿勢五分と定められていて、手慣れていれば全弾発砲可能な時間だが、姿勢を変える際に時計が止められることはない。

 時差を考慮すると、制限時間内に全弾を撃ち尽くすのは不可能だという前提で、競技内容は設定されていた。

 それ故に、出場選手の意識は連射能力を示すことではなく、どれだけ正確に目標に当てるかに焦点が向けられていた。


 ビウスの事件が起こる前の五月中旬に行われた連隊選抜会で、ジェズは上位の成績を収めて師団選抜会への出場権利を得ていた。

 また、エリザベスが初めて応援した六月半ばの師団選抜会でも、フランツや第二連隊の上級士官達の期待に応えて、堂々の二位で国軍競技会の前哨戦となる治安維持軍選抜会への出場権利を獲得した。


 そして、治安維持軍選抜会は、数日後に迫っていた。



     *   *



 王宮の廊下を歩いていたシュトルーヴェ伯爵は、背後から声を掛けられて振り返った。

 柑橘系の果樹が植えられたオレンジ庭園を横目に眺める廊下に、二十歳前後のふくよかな体型の青年が立っていた。青年は王族のみに許された大鷲の徽章で上着の左胸を飾り、宮廷業務を担う貴族高官を従えていた。


 伯爵は、まるで幼い我が子を見付けた父親のような温かい微笑を浮かべた。

「これは王太子殿下。お久し振りで御座います」

 伯爵が恭しく低頭する姿を見て、王太子シャルルは気難しい顔をつくって見せた。

「全くその通りです、伯爵。もう、かれこれ二ヶ月は貴方のお顔を見ていません。もう少しで忘れてしまうところでしたよ」

「とすれば、本日ここで殿下にお会いできたのは、私にとって幸運で御座いましたな」

 伯爵の言葉に王太子は声をあげて笑った。


「貴方がいらっしゃらないので退屈でした。貴方が話して下さるグルンステインの軍事の歴史は、著名な学者の書物よりもずっと面白いので、いつも楽しみにしているというのに」

「そのように仰って頂けるとは光栄で御座います、殿下」

「伯爵、もし時間に余裕があるのなら、オレンジ庭園を一緒に散策しませんか? 実は今、第八次サン=セゴレーヌ海戦においてのダッソー大将の采配について興味があって、貴方の考えをお聞きしたいと思っていたのです」

「第八次の海戦で御座いますか。難問で御座いますな」


 サン=セゴレーヌ海戦とは、グルンステイン王国とコルキスタ王国を隔てる海峡で繰り広げられた戦争のことだ。

 二ヶ国はこの海峡に点在する島々を含めた漁業と交易の主権を巡り、幾度も戦火を交えてきた。現在、二ヶ国は互いの陸地からちょうど中間地点に当たる海域に国境線を引いているが、一時期はコルキスタ本土の手前まで領土を広げていたこともあった。


 海峡の確保は、軍事的にも海上交易の点でも、非常に重要な意味合いがあった。この海を抑えることで、グルンステインはコルキスタの動静を監視しやすくなり、商船を拿捕してコルキスタに経済的な打撃を与えることもできたからだ。

 また、波の荒い海峡で漁れる魚介類は身が引き締まり、美味であった。


 国境が現在の形になったのは、今から三十年以上も前に両国で交わされた協定によるものだが、それより五十年前に勃発した海戦で、グルンステインは敗戦を喫し、海上主権をコルキスタに奪われていた。

 それが第八次サン=セゴレーヌ海戦だ。


 当時、グルンステインの海軍はコルキスタ本土をわずか七キロ先に視認できる小島に監視塔を置き、そこからさらに十キロ、グルンステイン寄りの大きな島に、ダッソー大将率いる海軍支部が駐屯していた。

 駐屯地の兵数は常時五千を保ち、コルキスタ側に異変が生じれば、すぐにでも彼の国に大軍を送り込める態勢が整えられていた。コルキスタにしてみれば、文字通り目前に脅威が迫っている状況だったのだ。


 事態が一変したのは、グルンステインが海域を占拠してから八年後の、秋の嵐が近付く風の強い夜のことだった。

 就寝しようとしていたダッソー大将のもとに、要塞島の南西の岩場に一隻の船が座礁しているとの報告が入った。


 船は東方の国から仕入れた紅茶の新茶を積んだ快速帆船で、コルキスタへ向かう途中に嵐に舵を壊されて、航路を外れてしまったということだった。船長は、積荷は全てグルンステインに提供するので命は助けて欲しいと泣き縋った。

 元々、コルキスタへ向かう商船の拿捕と積荷の押収は任務の内である。ダッソー大将は商船の茶葉を要塞内へ運び込み、船員を拘束した。

 通常であれば、積荷はそのまま船内に残され、海の状態を見極めたうえでグルンステイン本土へ押収品として送られるのだが、秋の不穏な天候の中、岩場の商船はいつ海に流され転覆するか分からなかった。


 当時、西方諸国での茶葉の栽培は定着しておらず、遥か東方の異国から大金を投じて仕入れてくるのが一般的だった。

 今でもその風潮は変わらないが、当時は今よりも遥かに不安定な政治情勢と造船技術の未熟さ故に、茶葉の取引には億単位の金額が動いていた。異国の見慣れぬ織物や美術品以上に高価な品物だったのだ。

 それほどの物を放置しておくわけにはいかなかった。


 消費量がグルンステインの五倍と、非常に紅茶を好むコルキスタ行きの商船であるだけに、積荷の茶葉の移動には時間と労力を必要とした。全ての茶葉を運び終える頃には夜明けを迎え、役目に当たっていた軍人達は疲れ果てていた。

 そんな時、コルキスタの動静を窺っていた小島の監視塔から一報が届いた。


『コルキスタ海岸から数十隻の軍艦が出港。戦闘の構えなり』


 監視塔は敵国本土から七キロしか離れていない。

 この一報が本隊に届く頃には、監視塔の部隊とコルキスタ軍の交戦が始まっていることは明白だった。

 折りしも、昨夜から吹き付ける強い風は厚く黒い雲を呼び、海域は荒れ狂っていた。援軍を送るには躊躇いがあった。しかし、交戦中の味方を見捨てるわけにはいかず、ダッソー大将は麾下の海軍一個師団三千名を率いて監視塔の小島へと駆け付けた。


 戦闘が繰り広げられている海域に到着する頃、風はさらに強まり激しい雨が降り出した。

 小島は完全に包囲されていたが、監視塔の軍人達は海上のコルキスタ軍と比べて安定した足場を頼りに、どうにか持ち堪えていた。備蓄されていた砲弾も敵軍よりも正確に狙いを定めて撃ち込めていた。


 ダッソー大将の艦隊が到着すると、しばしの交戦ののち、コルキスタ軍は引き上げていった。追い討ちをかけることも考えたが、敵国本土との距離、天候状態、またこの時期に攻撃を行い、一方では早々と撤退を開始した敵軍の行動に不審を抱いた大将は、敵本土の周辺での待ち伏せを考慮して追撃は行わなかった。

 艦隊は嵐をやり過ごすために、監視塔の小島の港と沖合いに錨を下ろし停泊させた。


 翌朝、大将は麾下の艦隊を二手に分け、三分の二を小島に駐留させ、残り三分の一を率いて物資の補給を行うために帰途に着いた。

 その帰航の途中、見張りについていた兵士の声で甲板に出た大将は、海面に浮く幾つものグルンステイン兵の死体を目撃した。

 要塞島はコルキスタ艦隊が完全包囲しており、要塞と島に点在する町々からは黒煙が立ち昇っているのが見えた。

 コルキスタ軍の真の目的は要塞島の攻略であり、小島の監視塔での戦闘はグルンステイン軍の戦力を分散させるための陽動であったのだ。


 ダッソー大将は直ちに戦闘準備を命じたが、艦隊には敵軍と渡り合えるほどの充分な火力が残ってはいなかった。

 完全にしてやられたと気付いたその時、後方の小島からコルキスタ軍の再侵攻の一報が届いた。

 大将は挟み撃ちを恐れ小島への一時撤退も考えたが、すぐに殿から敵本土とは別の敵艦隊が迫っているとの報告がもたらされた。コルキスタ軍はグルンステイン軍に対して一切の身動ぎを許さなかったのである。


 要塞の見張り台に掲げられていた大鷲のグルンステイン国旗が引き摺り下ろされ、渦巻き状の羊歯の新芽を模したコルキスタの国旗が掲げられた。さらに要塞から撃ち放たれた大砲の砲弾が間近の戦艦の甲板にいた兵士を吹き飛ばし、船体に大きな穴を空けた。

 それは、要塞がすでにコルキスタ軍の手に落ちたという証拠だった。

 艦隊はコルキスタ軍に包囲されていた。


 のちに判明したことだが、前夜に座礁した帆船の船員は全てコルキスタ兵だった。

 要塞内に運び込まれた積荷の茶葉の中や、船内の隠し部屋に多数の兵士が潜み、グルンステイン軍が出港した時を見計らい、要塞を内部から襲撃して制圧してしまったのである。

 

 

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