エピローグ

12月15日日曜日、湘南海岸公園


「懐かしいな、全然変わらないね、この辺は」

 キラキラと輝く水平線を見渡すと、近くにあるベンチにサニーは腰を下ろした。

「結構来たよな」

「だね。ルイのお気に入りだった」

「今もたまに来るよ」

「Really?」

「教授とルイには会いに行かないのか?」

 笑顔のサニーに答えながら、秀平も隣に腰をかけた。

「秀平の依頼でそんな暇なかっただろ。よろしく言っといてよ」

「土産もなしに手ぶらで言うのもなぁ」

「その辺でクルミっ子(鎌倉紅谷の土産)買おうか?」

「なんの土産だよ、自分で渡せよ」

 笑いを交わしながら、海岸と海風のもたらす解放感に、秀平は目を細めた。

 今日、サニーから「すべての頼まれごと・・・・・を終えた」、と結果報告に呼び出されていた。この解放感にはそれもあるはずだ。

 サニーも両腕を伸ばして顎を上げると、日の光と風を嬉しそうに顔に受けていた。

「サニー、前に言ってたさ、……俺じゃ解決しないことって……」

「あぁ、あれ?」

 サニーは覚えていたようで、秀平が言い切るより前に相槌を重ねてきた。

「……普通はみんな、自分が優先で物事を考えるだろ?ピンチの時ほどなおさらさ。けど、近しいとか……特別な人には少し違って、自分のことより相手のことを優先してしまうことがある」

 真面目な顔で話したかと思うと、秀平の方を向いて屈託なく笑った。

「本当は頼るべき相手なのに、相手のことを考えてしまうあまり頼れないこともあるってこと」

「美月と俺がそうだって言うのか?俺のことを優先して……頼らないって」

「美月さんはそういうタイプだろ?秀平だって気づいてるんじゃないかな」


 美月の両親の葬式の日、美月を守ろうって決めた。

 美月が受け入れようと受け入れなかろうと、美月の本当の兄として……本当の兄ってやつがどんなものかも分からないけど、俺だけはその役割を務めきるんだって思った。

 4つだった美月は俺に懐いてくれて、何かと甘えたり頼ったりしてくれてる、と思う。周囲からも『仲が良くて理想的な兄妹』なんて良く言われた。

 でも、……俺には踏み込めない壁がある。

 美月は、本当に辛い時に独りで耐えようとする。

 10年前のあの時からずっと、変わらない。


「近しいからとか、特別だからじゃないんだ……」

「秀平?」

 考えていることが口をついて出てしまったことにハッとする。

「あ、いや、俺じゃやっぱ力不足なんだろうなって。今回の件で痛感したよ、お前だったら美月ももっと素直に頼れるのかもしれない。頼りがいについてはサニーに完敗を認めるよ」

 冗談めかして誤魔化すとサニーは少し意外そうな顔をした。

「秀平、随分可愛いな」

「は???!」

 予期せぬ言葉に、弱気な本音を漏らしてしまった気恥ずかしさが吹き飛んだ。

「何寝言……」

「美月さんの遠慮は近過ぎて特別だからだよ。力不足で頼りないからじゃない。あんなに好かれてて何言ってるんだか。頼りがいのある男対決は残念ながら引き分け、と言いたいところだけど、だいぶ秀平の方が優勢かなぁ」

 サニーは楽しそうに笑った。

 こいつサニーが軽々しく分かったような口をきかないのは知っていた。けれど、俺と美月の10年を知らないのに、全て見てきたみたいに断言されて、反論したかった。

 美月は「好き」とか「大事」とか「特別」だとか、俺への感情を言葉にして言ったことは一度もない。両親にもそうだ。どんなに親しげにしていても、感情の奥底では受け入れられていない。だから辛いんじゃないか。

 俺にとっての切実な問題に、余裕めいたサニーの態度が無性に捨て置けなかった。

 問い詰めたいことを山盛り積んでおいて、それを晴れ晴れしい笑顔一つで片付けようとか、させるかよ。

 今回ばかりは全部説明させる!と意気込んだ秀平に、サニーは満面の笑顔で続けた。

「秀平ならそのうち自分で気づくよ、全部。美月さんの守護神ガーディアン

「!」

「今はちょっと力が入りすぎてるだけだ。だから見えるものが見えていない」

 穏やかで力強い微笑みに、秀平はすべての疑問を飲み込んだ。いや、飲み込まされた。

 不思議なものだ。

 あんなに、いかりのように重苦しかった悩みが、浮き上がって流れ出すように感じた。絶大の信頼を寄せている男がそう言うのなら、それでいいと思った。

 10年前から始まった、解けない難問。探している答えは自分で見つけたい、いつか自力で見つけられるのなら。

 こいつサニーってば、表面上うわっつらだけじゃない、本当に俺が欲しい言葉をくれるのな。

「……サンキュー、サニー」

 秀平は傾きかけた陽の光を反射する海面に目をやり、その眩しさにそっと目を伏せた。

「お前が俺の代わりに学校に潜入してくれて助かった」

 少し照れ臭くなってお礼の理由を誤魔化した。

「どういたしまして。思いもよらず、タフな日本滞在になったよ。気になる寺社・仏閣を見て廻るつもりだったのに」

 楽しかったけどね、と立ち上がったサニーは目を細めた。

 どんな形かは思案中だったが、秀平はそれ相応の礼を返すと決めていた。

「そうだったのか?悪い。もしサニーが良ければ、明日から俺が車出して廻ろうか?」

「Awesome! 秀平と車中泊旅行、行きたいねー」

「なんで車中泊だよ、ちゃんと宿は取るよ」

 サニーの名前を出せば、教授もみんなも、明日からでも休みをくれるだろう。

秀平がスマートフォンを取り出して画面を触り始めるのを見て、サニーは悪戯いたずらを思い付いた少年のように嬉しそうに顔を綻ばせた。

「すっごく魅力的なお誘いを断るの残念だけど、明日の便でザルツブルクに発つんだ」

「は?!」

「成田へのドライブだったら喜んで」

 全身に夕陽の光を受けたサニーは、太陽みたいな笑顔でウインクした。

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