第1話 トワイライト鬱鬱

 11月11日月曜日、希望ケ丘女子学校中等部内をちょっとしたニュースがかけめぐっていた。

 どこのクラスでも、昼食をとるお昼休みの時間は、一番の情報交換の時間である。めいめいが賑やかに会話を繰り広げる中、こうした校内のニュースは話題にあがり、着実に拡散されていく。

 2年1組の教室でも、他のクラスと同じように、そのニュースが話題となっていた。

「夏で辞めた事務員さんの後任?」

 聞き返したのは大西香鈴奈だった。

「そう、ほら、校内の施設とか、よく直したり掃除したりしていた年配のおじさん、夏休み前に辞めたじゃない?」

 今日のニュースソースは蝦原祥子のようだ。他の三人もニュース自体は知っているようで、「うん。体壊したとかだったっけ? 終業式の時挨拶してたよね」と答える香鈴奈に「そう、そう」と頷いた。

 一条美月が机を向かい合わせて一緒にお昼を食べる仲間は5人いた。一番仲が良く、一緒にいる時間が長いのは、寮でも一緒の香鈴奈だ。今日も朝から休み時間は二人で話をしていて、くだんのニュースに乗り遅れてしまったらしい。

「癌の手術したって言ってた。私、温室で良く会ったり話したりしたから、仲良かった方かも」

「美月、よく話しかけられてたもんね」

「その替わりの人を募集してたらしいんだけど、今日面接に来てたって! 学校中で噂になってるの!」

「えー? なんでまた」

 香鈴奈は首をかしげて聞いた。事務員に関心を示す生徒なんて、まず見たことがなかったからだ。

「面接に来てた人がね、20代くらいの若い人で、めっっっっちゃかっこ良かったらしい!」

「すっこいイケメンって話だよね!」

「背がスラッとしてて足も長いとか、モデルみたいだったらしいよ!」

 目を輝かせて次々にきゃあきゃあと話す友人たち。

「えぇ~まぢか!?」

 香鈴奈は身を乗り出していた。

「事務員さんっていったら、毎日見かけるし、先生よりも接点多そうじゃない?」

「皆、学校生活が潤うとか、ときめくとか、大騒ぎしてるよ!」

「早くうちらも実物見てみたいね~」

 弾けるように続けられるみんなの話に、うずうずした香鈴奈が耐えきれず口を挟んだ。

「まだ学校にいるかな?! 職員室に行ったらコッソリ見れるかな??」

「とっくのお昼前に帰ったよ。やっぱり香鈴奈は食いついたねー!」

 香鈴奈以外の5人が一斉に笑った。

「そして、やっぱり美月は食いつかなかったね!」

 一緒になって笑っていた美月もネタにされてしまった。

「ちょっとやそっとのイケメン情報では動じない美月なのだ」

 にやり、と香鈴奈が冷やかす。

 みんなに知られていることだが、美月には大学院生の兄がいる。

 モデルや芸能事務所からのスカウトも何度か受けたことがあるというスーパーイケメンで、学校行事などで目撃された際には必ず噂になっている。

 生まれた・・・・時から外見ハイレベルの男性を身近に目にしてきた美月は、男性に示す関心がまるで欠損している、というのが香鈴奈達の間での扱いだった。

「美月は動じな過ぎだよ。渡邉先生もスルーだし。あんまり男好きなのも嫌いだけど、ここまで淡白だと心配になってきちゃう。お兄さんがスーパーイケメンっていうのも良し悪しだね」

 蛯原の真面目な言葉に促されたのか、真顔のみんなに見つめられて、美月は思わず苦笑いをした。

 笑ってはみたものの、内心では複雑な想いがぐるぐると生まれていた。

 秀平と今は亡き金井栞にしか話すことのできない、複雑な感情が。


 食事を終えた生徒たちが、歯磨きや午後の授業の準備にばたばたとし始めた頃、廊下へ出た美月たちの前に一人の人物が現れた。

「一条さん。」

「「あ、渡邉先生~♪」」

 理科教師の渡邉の登場に、美月以外の5人が返事をする形になった。

「先生どうしたんですかー? 美月にだけ用?」

 立ち止まっている美月をよそに香鈴奈は渡邉に一歩近寄ると、大袈裟に首をかしげながら話し掛けた。

 美月にするのと同じように、にやり、と冷やかし笑いを向ける香鈴奈に、他の4人もけらけらと笑っている。

「大西さんはいつも元気だね」

 真っ白でシワのない白衣と、レンズの細めなフレームなしの眼鏡が清潔感を溢れさせている。

 生徒に人気の「渡邉スマイル」、繊細で優しげな微笑みで、冷やかす香鈴奈に大人の余裕をみせた。

「きゃー! 渡邉先生に褒められちゃった! 先生、そんなに女の子たぶらかしてどーするんですかー?」

 照れたようにはしゃぐ香鈴奈に、「香鈴奈やっば」、とツッコミがいくつか入る。

「……たぶらかすとか、冗談でも変なこと言わないでください。変な噂が広がると困るんだから、サラリーマン教師は」

「ふふ! イケメン先生は大変ですね。どこまでが噂でどこからがホントかあやしいですけどー」

「大西さんのせいかな? 一条さんが僕を避けているのは。一条さん」

 渡邉は困ったように笑いながら、再度美月の名前を呼んだ。他の4人が、「先行ってるねー」、と離れて行く。

「……はい、何でしょうか…」

美月は、間に大西を挟むように渡邉から距離をとった。

露骨かな、でも、露骨にした方が渡邉先生も分かってくれるだろうし……。

「先週、金井さんと話をしてたよね」

「えっ!? ……美月そうなの?」

「……はい」

 渡邉から目をそらすように香鈴奈を見る。

「美月……だいじょぶ?」

 香鈴奈が小声で聞いてきた。

「うん、だいじょぶ」

 同じく小声で返したのが聞こえたのだろうか。

「その件で少し話がしたいんだけど……」

 渡邉が強めの口調で言った。

 ……どうしよう……断る理由もないし、先生から何か聞けるなら聞かなくちゃだし……でも……

 決心がつかず、美月が黙っていると、承諾と思ったのか渡邉が話を進め始めた。

「今日は職員会議だから、あぁ、一条さんは寮生だったっけ? 職員会議の後だと、ちょっと遅くなってしまうけど時間作れるかな?」

 え?! 今じゃないの?

 つい渡邉の顔を見上げた美月は、すぐまた目を逸らし、うつむいた。

 先生と目があった。目があった! すぐ逸らしたのに、目があった瞬間ゾワゾワと気持ち悪いものが背中を這い上がった! まだ……背中でうごめいてる……すぐ逸らしたのに……っ!

 美月は香鈴奈の腕を掴むと、

「大西さんと、一緒が良いので、それは無理ですっ……」

と俯いたまま断った。

「大西さんも? 大西さんも金井さんと話をする仲だったんですか? 出来ればあまり無関係な人には話を広げたくないんだけど」

 いつの間にか空気中に満ちていた緊張感を破ったのは香鈴奈だった。

「渡邉先生~先生みたいなイケメン教師と夜遅くに2人とか、美月には無理ですから。恥ずかしがり屋だもん。話なんてまともに出来ずにもじもじして終わっちゃいますよ。それに、流石にそんな誘い方したら、私も先生が美月狙いだって噂、流しちゃいますよぉ!」

 渡邉の表情が一瞬歪んだ。がすぐにいつもの穏やかな笑顔に戻って

「確かに。凄く誤解されそうだね、僕も警察が来るような事件なんて初めてだから動揺してるのかな。明日の授業後すぐなら、誤解されずに話出来るかな?」

と言った。笑顔で譲歩している風だが、香鈴奈の同席については何も触れていない。

 渡邉の顔から目を背け続けている美月は、香鈴奈の顔を見つめて、首を小さく二回横に振った。

「んー、また明日にならないとなんとも分からないですね。ねー、美月。先生、中学2年生はなかなかに忙しいのですよ。また明日、先生の方が都合良さそうなら知らせてください」

「え? 明日またって……」

「あ! 次の授業の準備当番だった! 美月、走るよ。先生、失礼します!」

 香鈴奈は腕を掴んでいた美月の右手を取ると、そのままひっぱるように走り出した。廊下を走り抜け、階段を降りると、香鈴奈は走る足を止めて、歩きながら美月の方を振り返った。

「美月だいじょぶー?」

「香鈴奈、ありがとー。助かった」

 なんとなく青白い顔で美月は作り笑いを見せた。

 次の授業視聴覚室で良かったよね、と香鈴奈たち二人は並んで歩く。

「美月もビビり過ぎとは思うけど、先生ちょっと変だったね」

「香鈴奈にも、そう見えた?」

「うん……。後から思い返すと、そんなに変でもないような気もするけど、美月があんなに露骨にビビってるのにちょっとしつこかったのがキモかったかも」

 香鈴奈は身をすくめて、私の方を伺った。

「ありがとう。……私だけだったら断りきれなかったと思う……。香鈴奈ほんとすごい」

 香鈴奈には、全部話しちゃいたいな……、美月はそんな想いで香鈴奈の心配げな瞳を見返した。

「……先生、変な噂もあるし、2人で会うのは止めた方が良いかもね。明日も言ってきたら、なんか理由つけて断る? 私がついていくのでも良いけど、なんか今日の雰囲気だと私も遠慮したいなー」

「うん……。……とりあえず、断る」

 金井さんのこと、先生が何を話したいのか、気にはなるけど。秀ちゃんにも言われてるし、香鈴奈がいぶかしんだくらいだ。止めた方がいいはず。美月は心を決めた。

「りょーかい! 一条大西ペアは校内1人気のイケメン教師をふる方向でけってーい、だね!」

「香鈴奈ってば」

 香鈴奈のふざけた言い方に、美月はつい笑みをこぼした。

 ……ありがと、香鈴奈。

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