蜘蛛の蠱惑

oxygendes

第1話 針

 私がピアスを付けたのは、同じゼミの知香ともかのとても綺麗なピアスを見たからだった。

 彼女のピアスは、耳たぶに輝くのが蜘蛛の形をした真っ赤なジュエリー、細長い金の脚が左右に伸びている。その下には金で縁どられた黒い蝶のチャーム。透明な糸でつながっているそうだけど、いくら目を凝らしても糸は見えなかった。蝶が空中に浮いているみたい。知香が微笑むたびに蝶が揺れる様は、蜘蛛の網にかかってあがいているようにも見えた。


 ピアスの穴は病院で開けてもらうつもりだったけど、知香が腕のいいエステティシャンがいると言うので、彼女の行ったエステサロンを紹介してもらった。

 施術の日には知香もついて来てくれた。エステサロンはバス通りに面したビルの四階にあった。擦りガラスの扉を開けて入って行くと、ナース服の女性が出迎えてくれた。知香が、この人がエステティシャンの網倉あみくら珠美たまみさんよと紹介する。私も網倉さんが担当してくれるそうだ。彼女は二十代後半くらい、ロングヘアを後ろでまとめていて、切れ長の目が美しい。私がデスクで申込書に記入している間、知香と網倉さんは親しげに話をしていた。


 私は網倉さんに案内されて施術室に入った。施術用の椅子に座り、鏡を見ながらピアスホールの位置をマーキングしてもらう。椅子の上部にはヘッドレストがついていて、頭を後ろに押しつけてじっとしているよう言われた。

 網倉さんは滅菌パックを破って、太く鋭い針を取り出した。右手で針をつまみ、先端に半透明の軟膏を塗ると、左手で私の右耳の耳たぶをひっぱった。

「形のいい耳をしていらっしゃいますね。痛いのは一瞬だけです。頭を動かさないでくださいね。」

 彼女はそう言うと、私の耳たぶに針をつき刺した。チクッとした痛み。針は耳たぶを貫き、更に押し込まれた。目の端で、針を持ち替えて後ろにファーストピアスの軸を押しあてるのが見えた。押し込まれるとピアスは視界から消え、耳たぶが圧迫される感覚でそれが固定されていくのがわかった。かかった時間はほんの数秒くらい。

「はい、できましたよ。ちゃんとマークの位置に付きました」

 網倉さんは私の方に向き直って囁いた。

「次は左を行います」

 同じ様にして左耳にも穴を開け、ファーストピアスを取り付けてもらった。


 意外に簡単なんだと思っていた時、網倉さんが私の右耳を見て難しい顔をした。何か問題があったのかしら。

「少し調整しますから、じっとしていてくださいね」

 彼女は右手で私の顔を押さえつけて、私の右耳に顔をよせてくる。彼女の頬が私の頬に触れた。何をしているのと視線を向けた時、彼女の唇が私の耳の内側に触れ、耳の奥にチクッとした痛みを感じた。ひりひりした痛みが残るピアスの傷口とは明らかに別のところ。

「はい、大丈夫ですよ」

 網倉さんはそう言って私から離れると、戸惑っている私に、てきぱきと術後の手当ての説明を始めた。毎日消毒薬を塗り、ファーストピアスが癒着しないように前後に少しずつ動かすこと、体質によっては発熱するかもしれないこと、一週間以上熱が下がらないようなら病院へ行くように、などだった。


 私の穴開けが終わったのを見て、待合室で雑誌を読んでいた知香がやって来た。

「ね、言ったとおりでしょ。彼女は腕がいいからすぐにすむし、そんなに痛くないって。瑞葉さん、ピアスがとっても似合っているわよ」

 私は壁の姿見を見た。ファーストピアスはチタン製で五弁の花のデザイン。シンプルだけどいいアクセントになっている。傷口がふさがったら、どんなピアスが似あうかじっくり探そう。

 エステティシャンに最後の『調整』は何だったのかを聞こうかとも思ったけど、知香を待たせるのは申し訳なかったので、渡された消毒薬や痛み止めを持ってエステサロンを出た。知香にお礼を言って別れ、そのまま住んでいるワンルームマンションに帰った。

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