sorrow

醍醐潤

sorrow


 最近、寒くなってきた。


 電車の窓から見える途中駅の駅前広場の大イチョウの木は、すべての葉を黄色に染めていて、すっかり秋が深まってきたことを伝えていた。今年は嫌になるぐらい暑い日が続いたので、

「ひょっとして今年は、秋が来ないんじゃないか」

 と、ずっと思っていたが、杞憂であったらしい。ちゃんと季節は巡っているようだ。


 停車駅を発車した急行電車は高架区間を走り、鉄橋を渡る。太陽のオレンジ色の光を反射しながら、海へと流れていく下の川の河川敷では、どこの中学の野球部かは分からないが、熱心に練習している少年たちの姿が見られた。この川を越えて、僕の住んでいるアパートがある最寄りの駅に到着するのは、それから3分ほど電車に揺られてからだ。


 電車が駅のホームに入線した。徐々にスピードが落ちていく。そして、車両が完全に停まり、ドアが開いた。


 ホームに降り立つと、

「ご乗車ありがとうございました」

 聞き慣れた駅員のアナウンスが聞こえ、すぐに軽快で愉快な発車メロディが流される。設定されたダイヤ通りに運行する鉄道は本当に忙しい。


「一番線、ドアが閉まります。ご注意ください」

 僕が大学前の駅から乗車した急行電車は、僕が降りた駅を去って行った。赤いテールライトが次第に小さくなり、見えなくなった。


 ここでは、僕以外にも、大勢の人が電車を降りていた。その人たちと肩がぶつからないように、くつを踏まないように、気をつけながら僕は改札へと向かう。改札にSuicaをタッチすると、僕は前を歩いていた人を追い越した。駅構内を速足で東口へ向けて歩く。習慣付いてしまった癖だ。一分一秒でも早く、駅前の広場に出たい。歩いている人を何人も追い抜いていった。


 東口に出た。

 少し息が上がっている。呼吸を整えながら、僕は辺りを見渡す。地面に赤やオレンジの落ち葉が散乱する広場を僕はキョロキョロと“君”を探す。いつも、ここで、僕が帰るのを待ってくれている───僕はうっかりしていた。思い出し、ため息を吐く。

「そうだ……もう、いないんだった……」



 コンビニで弁当と缶ビールを買って、一人家までの道を歩く。電柱につけられた街灯が灯りはじめていて、空は藍色がかっている。僕とすれ違うハイヒールを履いた女の人、僕を追い越して離れていく自転車を漕ぐ高校生、買い物帰りの親子連れ。


 ───何気ない日常、だ。いつもだったら、何も気にしない。特に気にすることはない。でも、今は違った。僕の目の前に見える景色は全て哀愁がかっていて、青く見える。

 駄目な僕だなあ。“君”がいなくなってから、もう結構経つのに、まだ、この町で“君”のことを探してしまっている。


 終わったこと。だから、吹っ切らなければいけないのに、今歩くこの道沿いにある、ケーキ屋、美容院、花屋……“君”と行ったことのある店を見つけては、輝いていたあの時を思い出してしまう。


「今も、横に、いてくれてたらなぁ」

 歩きながら一人、意味もないことを僕は呟いた。ため息が出てしまう。それの繰り返し。今日も、昨日も、その前も、僕は終わらせてしまったことを泣きそうになりながら思い出す。


 目が覚めて起きて、一人で朝ごはんを食べるたびに、“君”がいないことを自覚している。ただ、大学やバイトからの帰りに、さっきのように駅の東口の駅前広場で“君”をつい探してしまうのは、やっぱり、まだ未練があるからだ。まだ、“君”を忘れられない。それは───僕だけなのかな。



「ねぇねぇ。この髪型、どう?」

 友だちと旅行に行っていたので、3日ぶりに会った時、“君”は長い髪を切って、ショートにしていた。「似合ってる、かな?」


 僕はドキッとしていた。いつも長い後ろ髪をゴムでくくっていた“君”のショートヘア姿は、とても新鮮で、ガラッと、180度、印象が変わった。ショート姿を想像したことがなかったけれど、自分の思う、何倍も何十倍、何百倍、何千倍、何万倍も──可愛い。


「に、似合ってるよ! とっても。それに、……かわいい」

 少し照れながら僕が思ったことを伝えると、

「えっ! ほんとに! やったー!」

 ピョンピョンジャンプして、可愛い笑顔で喜んでいた。ずっと、反応が気になっていたみたいで、予想していた感想よりもずっと良かったから、“君”はとても嬉しそうだった。


 そして、少し落ち着くと、頬をピンクにして、僕の顔にはにかみを見せながら、

「ありがとう」

 そう、呟いた。



 “君”と過ごした時間、“君”の言葉、どれを思い出しても、また、思い知るだけで、本当に僕のことを思っていてくれていたのに、そう後悔する。この今、歩いている坂道も2人の思い出が笑っていて、胸が苦しくなる。


 この町に“君”は、もういない。いつもの見慣れた風景の中に、ただ、“君”という大切な人がいたという思い出が残っているだけで、僕が手放した“あなた”は、僕のものではなくなってしまった。


 たくさんの約束をした。たくさんの予定もたてた。でも、

「僕が弱かったから──」

 そのせいで、“君”はいなくなってしまったのだろう。玄関のドアを閉めて、ここを去って行ったのだろう。“君”を大切にすると誓ったのに、“君”を傷付けてしまった僕は、愚か者だ。


 坂を登りきった。僕は後ろを振り返った。僕の住んでいるアパートは、この町にあった山を切り開いて作られた土地に建てられているので、この辺りの町を一望することができる。


 電車が走っているのが見えた。僕がさっき乗ってきた方向とは、逆の方向から来た電車で、今から、あの川を渡るところだ。川の向こうに広がる町、そしてそのずっと向こうの方。ここからはもう、建物の灯りだけしか分からなくなってしまった奥の方──どこかで、今もきっと、“君”は笑って、泣いて、過ごしているのかな。


 それとも、僕と同じように、まだ後悔していて、自分自身の情けなさを恨んでいるのだろうか。いや、それは僕だけでいい──“君”が悲しんだり、つらい想いをしながら生活しているのを考えたくなかった。


 黒くなった空に一つの明るい星が見えた。




         了


 

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