塩むすびは友との約束と忘れがたき味ー現代①ー
第12話
蓬と出会ってから数日が経過した。桜はすっかり散って、日に日にサツキやツツジの濃い桃色や白色が街を彩るようになった。
あれから大学の授業も始まり、心を許せそうな友人が出来た。それでも時間が許す限り蓬のおにぎり処に通っては、その日に大学であった出来事を話し、店が混んだ時は手伝いをして過ごすようになっていた。
常連客の神やあやかしたちとも顔見知りになり、ハルや切り火たち、牛鬼の門番とも親しくなった。彼らが優しいというのもあるが、そこには店主である蓬の人柄も大きいだろう。
常連客の中には莉亜と同じように蓬に悩みや心配事を相談する者や、生きづらさを感じて苦しんでいる者がいた。蓬はそんな常連客たちの話を聞いては一緒に解決策を考え、アドバイスをしていた。
時には厳しいことも言うが、常連客たちはそんな蓬の言葉の裏にある優しさや心配を感じ取っているのだろう。そんな蓬の想いを知ってるからこそ、常連客たちは蓬を慕い、足繁く店に顔を出している。蓬も素っ気ない素振りを見せつつも、助言した常連客がその後どうなったのか気になるようで、時折店の引き戸を見ながら、「今日は来るだろうか……」と独り言を呟いていたのだった。
この日も莉亜は大学の授業を終えて、おにぎり処に向かっていた。すっかり葉桜になってしまった公園の小高い山の上に咲く桜の木の幹に御守りを近づけると、蓬の店に繋がる神域のトンネルを牛鬼が開いてくれる。そしてトンネルの出口で待ち構えている牛鬼に御守りを見せて、コンビニエンスストアで買ったおにぎりを通行料として渡す。
最初こそ自分の手より小さなおにぎりを開けるのに苦戦していたが、莉亜が何度か開け方を教えたところすっかり会得したらしい。今では莉亜が買ってくる珍しい具材を使ったおにぎりを楽しみにしているようで、この日も新発売というシールが貼られた明太子クリームチーズのおにぎりと海老とにんにくの炒飯おにぎりを嬉々として受け取ったのだった。
その後、いつものように蓬がくれた人間の匂いを消す柑橘系の香水を振ると、竹の花びらが舞い散る花忍の道を歩く。蓬が営むおにぎり処の引き戸を開けると、炊事場で見知らぬ若い男性がおひつをかき混ぜていたのだった。
「ようやく来たか。待ちくたびれたぞ」
蓬によく似た透き通るような澄んだ低い声に話しかけられて、莉亜の心臓が口から出そうになる。炊事場に居たのは莉亜と同年代くらいの黒髪の青年であった。
初めて会った時に蓬が着ていた古めかしいデザインをした詰襟の学生服を身に纏い、蓬と酷似した古風な髪型をしていた。背丈や手足の長さも含めて、顔以外は最初の蓬と瓜二つといった姿形をした青年が莉亜を待っていたという。
「私を待っていた……? 失礼ですが、どこかでお会いしたことありましたっけ? 蓬さんにそっくりな方のようですが……」
「そうだな。会っているといえば会っているが、会っていないといえば会っていないと言えるな……」
煮え切らない返事に加えて、蓬と見紛うほどに話し方まで似ており、ますます莉亜は混乱してしまう。目の前の青年は知らぬ間に出会っていた蓬の家族だろうか。実は蓬とは双子の兄弟で、時に入れ替わりながら店をやっていたとか。
「細かいことはこの際置いておこう。それより、腹は減っていないか。丁度、塩むすびを作ったところだったのだが」
「貴方が作ったんですか?」
「ああ。米は昨日の余りだが、今なら温めたばかりだから炊き立てと同じくらい温かい。おれが握ってやるぞ」
「それなら、お言葉に甘えてお願いします」
「任された」
莉亜がいつものカウンター席に座ると、男性は手早くおにぎりを握っていく。これも蓬と同じだったので、実は蓬本人が悪ふざけして他人の振りをしているだけなのではないかと疑ってしまいそうになる。
それでも蓬とこの青年には、徹底的に違う点が一つだけあった。
(切り火ちゃんたちが出て来ない。いつもなら蓬さんがおにぎりを作り始めると、社から顔を出すのに……)
普段なら蓬が仕事を始めると、切り火たちが出番を待ち構えているかのように社から顔を覗かせる。そして蓬にドライフルーツを渡されると、皆一様に竈に走って行き、炊飯を始める。莉亜が接客、蓬が仕込みと仕上げ担当なら、切り火たちは調理担当と言えるだろう。
それが今日は社が静まり返っている。そのため、この青年は一人で全てを用意しなければならなかった。米を炊いていない時でも、切り火たちは率先して食器の用意を手伝ってくれる。それが今は配膳を手伝う気配さえ見せなかった。外出しているのか、社の中で休んでいて気付いていないのか。これも偶然だろうか。
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