第7話

「待たせたな。遠慮なく味わうといい」


 目の前に差し出されたつやつやした塩おにぎりと、わかめと長ネギの味噌汁に誘われて、莉亜の手が自然と伸びる。手に取った柔らかな白いおにぎりは、まだ程よく熱を帯びていた。

 作り立ての手作りおにぎりならではの温かさに、手だけではなく胸まで温まる。


「いただきます」


 おにぎりを頬張った瞬間、塩と米のあまじょっぱさに口の中が満たされる。

 握っている時は目分量で塩を振っているように見えたが、塩味と甘味のバランスが計算されていたかのように絶妙に保たれており、どちらの味の邪魔をすることもなく、お互いを際立たせていた。

 加えて、米自体にもふっくらとした弾力があり、また米一粒ごとの形がしっかりしているからか、噛んだ分だけより一層、二つの味を突出させる。

 莉亜の実家では米を研いだ後はすぐに水に付けてしまったからか、柔らかく粘りの強い白飯だったが、炊飯前に水切りしていたという男性が炊いた米は実家の白飯と同じに見えて、もちもちとした白飯の舌触りから違っていた。時折、ざらりと舌に感じる塩の口当たりも味に変化の役割を果たしているので、飽きを全く感じさせない。食べごたえのあるおにぎりを形づくっていたのだった。

 そこには炊き方や食材の違いも関係するだろうが、一番はこの男性が食べる人を想って作るからこそ表現できる味わいと食感なのだろう。自分が作っても同じように作れる自信が無かった。

 これまで中に具材が入っていない塩おにぎりには物足りない印象を持っていたが、このおにぎりにはそんな根底を覆してしまうような、新しい発見を見出したような気さえする。ここまで食事に充足感を得られたのは、いつ以来だろう……。

 そんなことを考えていたからか、急に実家のおにぎりが恋しくなってしまう。円型で柔らかく、気を付けて食べないと形が崩れてしまうような大ぶりのおにぎり。その食べづらさから子供の頃は鬱陶しさを感じて、コンビニエンスストアやスーパーマーケットで売られている市販のおにぎりの方が美味しいとさえ思っていた。それがまだ一人暮らしを始めて数週間しか経っていないのに、久しく食べていないような恋しい気持ちになる。


「……その様子だと、美味しいものでは無かったようだな」

「えっ?」

「顔を拭いた方が良い。お前、さっきから泣いているぞ」


 頬に触れてみれば、いつの間にか莉亜の頬が濡れていた。

 雨に打たれたわけでも、炊事場から水が飛んできたわけでもない。熱涙は莉亜の目から零れていた。

 それに気づいた途端、胸の中で懐郷の念に浸る。

 故郷の田園、川のせせらぎ、蝉の大合唱、トラクターの駆動音、文化祭の花火、無人駅で友人と飲んだ自動販売機のコーラ、顧問の先生がこっそり奢ってくれたコンビニエンスストアのアイス、そして夜食に食べる母が握ったおにぎり――。

 都心から遠く離れた田舎の実家に住んでいた時は、絶対に高校を卒業したら都会に出ると意気込んでいた。山と畑以外何もない故郷が嫌で、何でもある都会に憧れていた。毎日遅くまで勉強してどうにか都心の大学に合格すると、地元の大学に進学する仲の良い友人たちに見送られながら、一人で郷里を離れて上京した。

 そんな長年の願いが叶って都会に来たはずが、心のどこかでは寂しさを覚えていた。

 入学式で見た同級生たちが、莉亜と同年代でありながら誰もがあか抜けており、違う世界の人たちに思えたからだろう。

 自分だけ場違いなような気がして、せっかく大学で新しい友人を作っても、田舎者と思われてしまうのが怖くて、どこか胸襟を開けずにいた。それでもどうにか都会での生活に馴染もうとしたが、今度は馴染んだ分だけ故郷から遠ざかってしまうな切なさを感じるようになった。

 そんなことは決して無いと、分かっていたとしても――。

 懐郷の情に浸り、ただ嗚咽を漏らして泣いていると、頬にざらりとした生温かいものが触れて飛び上がりそうになる。傍らを振り返ると、今までどこかに行っていたハルが莉亜の頬を流れる涙を舐めてくれたようだった。

 ハルが何か言いたげな顔で正面に視線を移したので莉亜も顔を上げると、そこには男性が無言でタオルを差し出していたのだった。


「ず、ずみまぜん……」


 鼻声と共にタオルを受け取るとそれで頬を擦る。その間もハルは慰めるかのように、柔らかな毛に覆われた顔を莉亜に寄せて、切り火たちも心配そうに社から顔を出していた。


「口直しになるものを用意しよう」


 そう言って、どこか居心地悪そうに男性がカウンターを離れようとしたので、咄嗟に莉亜は「違います!」と声を上げながら、カウンターに手をついて立ち上がっていたのだった。

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