第6話
「これも何かの縁だ。夕餉がまだなら食べて行くか? 丁度、これから店を開けるところだったからな」
「ここってお店だったんですか……?」
「ここは握り飯を出す店だ。店主はこの俺」
「おにぎり処ってことですか?」
「人の世に合わせて言うなら、そういうことになるか。うちはおむすびしか出さない。味も塩を振っただけだ。具材は何も入れていない、というよりは、目下検討中だ」
「検討中ということは、今は塩おにぎりしかメニューが無いということなんですね」
「まだ始めたばかりだからな。これから考えるところだ。無理に食べて行けとは言わん。俺の神使が迷惑を掛けたようだからな。これくらいはさせてくれ」
男性は肩からハルを下ろすと指を鳴らす。するとカウンター内の灯りがともされ、カウンターキッチンが姿を現したのだった。
よく磨かれた流し台とコンロ、業務用と思しき大きな釜とレトロなデザインの冷蔵庫、まな板や木製のしゃもじ、おひつを始めとする調理器具が並んでいた。奥には土やタイルで出来た竈もあるようだった。
「何度も人の世界に足を運んで真似て作った炊事場だ。『かうんたーきっちん』というものらしいな」
「そうですね」
「これから作るから適当に座って待っていてくれ。人の世界と違って、火は俺の神力で熾しているからすぐに飯が炊ける。火の神に頼んでもいいが、あいつらは根っからの商売気質だからな。高くつく」
男性はシャツの袖を捲って流し台で手を洗うと、調理器具の隣に置いていた竹の蓋を取る。その下からは竹で編んだざると水気を切った米が現れたのだった。
「それは?」
「米揚げざるだ。洗った米の水気を切るのに使う」
「水気を切るんですか? 炊く時にまた水を入れるのに?」
「その方が弾力のある米がしっかり炊き上がる。あまり長時間水に付けておくと、米が割れてしまうらしい」
男性は米と水を窯に入れると、竈に持って行く。薪を入れた焚口の前に膝をつくと、唇に指を当てて何かを唱える。やがて男性はその指を焚口に入れると、すぐに煙を巻き上げながら薪が燃え出したのだった。魔法のように一瞬で火が点いた竈に莉亜が感嘆の声を上げると、「驚くのはまだ早いぞ」と男性に言われる。
「お前たち。力を貸してくれないか?」
男性は足元に向かって声を掛けると、何かオレンジ色のものを投げたので、莉亜もカウンターから身を乗り出して視線の先を追いかける。すると、赤色とオレンジ色が入り混じった小さな炎を纏った小人たちが、炊事場の隅に置かれたドールハウスサイズの小さな社から続々と出て来たのだった。
「その子たちは妖精ですか?」
「いや。こいつらは火の神から生まれた切り火だ」
「切り火?」
「火の神が力を使った際に飛び散った走り火や燃え残った残り火から生まれた火の神の化身だ。火の神ほどの力は無いが、火や炎を操る力を持っている。今はうちの炊事場に住んで、店を手伝ってもらっている」
「投げたものは何ですか?」
「労働の対価である果物を乾燥させたものだ。『どらいふるーつ』と言ったな。本来なら果物を供えるところだが、人の世界に行った際、土産として買ってきたところすっかり気に入られてな。それ以来、労働の対価は乾燥させた果物を渡している」
切り火と呼ばれた小人たちは男性が投げたオレンジ色のドライフルーツ――見たまま、オレンジだと思うが、を大切そうに拾ったかと思うと、一斉に頭と思しき場所に突き刺す。すると顔と思しき辺りが、咀嚼しているかのように小さく動き出したのだった。
「切り火もドライフルーツを食べるんですね……」
「神やあやかしも、人と同じで食べないと生きていけないからな。神力が強い者なら数百年ぐらい食べなくても生きていけるが」
目や口が無いのにどうやって食べているのか気になって切り火たちを見ていると、莉亜の視線に気付いたのか、オレンジのドライフルーツを頬張っていた切り火のひとりが小さく会釈をしてくれる。莉亜が「可愛い」と呟くと、全身を真っ赤に燃やしながら竈に向かって駆け出してしまったのだった。
「褒められて照れたな」
「分かるんですか?」
「炎の色を見れば分かる。それより今から切り火たちが竈の火を調整するぞ」
竈に集まった切り火たちが小さな手を一斉に上げると焚口の火が強くなる。釜が噴きこぼれそうになると、切り火たちは協力して釜の蓋を開けると隙間を作っていたのだった。
切り火たちが竈で調理をする姿が、童話で読んだ妖精たちが料理をする愛らしい姿に似ていたので、莉亜はスマートフォンでその姿を撮影しようとする。しかし長ネギを切っていた男性に、「神やあやかしは映らないぞ」と教えられたので諦めざるを得なかった。その男性は切り火たちに釜を任せている間、乾燥わかめを水で戻すと、水を入れた鍋に昆布を入れて出汁を取り始めたのだった。
「お味噌汁ですか?」
「ああ。店内で食す者には汁物も提供している。具は日替わり。今日はわかめと長ネギの味噌汁だ」
「味噌汁は竈で調理しないんですね」
「汁物はコンロで調整した方が楽だからな。それに万が一にも中身が零れて、切り火たちに掛かったら大変だろう」
やはり切り火たちも水を掛けると消えてしまうのかと莉亜が考えている内に、竈からは米が炊けるジュウという音が聞こえてくる。そして店内には炊き立ての米特有の美味しそうな匂いが漂い出したのだった。
切り火たちは扇ぐように何度も腕を振り下ろしては火の勢いを弱くしていくと、やがて火を消して釜に蓋をする。完全に火が消えると、役目を終えたのか、ぞろぞろと炊事場の社に戻り出したのだった。
そんな切り火たちに莉亜が小さく手を振ると、気づいて手を振り返してくれる子や照れて全身を真っ赤に燃やしながら社に走って行く子、我関せずといったように莉亜を無視する子に分かれた。みんな同じように見える切り火たちにも性格による違いがあるのかもしれない。
米を蒸らしている間、男性は味噌汁の用意を続けていた。火を点けた鍋から昆布を取り出して味噌汁の具材を入れた鍋に味噌を溶くと、蒸気と共にふんわりとした味噌の香りに包まれる。炊き立ての米と作り立ての味噌汁の匂いに、再び莉亜の空腹が刺激されるとお腹を鳴らしたのだった。
味噌汁の用意を終えるなり、男性は竈から釜を持ってくると、木製のおひつに蒸らした米を移す。白い湯気が立ち上る米を適量手に取ると、手際よく三角形に握り出したのだった。
家庭科の授業で知ったが、おにぎりの呼び方が場所によって異なるのと同じように、おにぎりの形というのも地域によって違うらしい。
言われてみれば、莉亜の実家は円型だったが、友人が持って来るおにぎりは三角形だった。大学に入学して自炊してくる子たちのおにぎりを見れば、俵型や球型の人もいた。
その形が流行った理由や由来はそれぞれ地域ごとにあるので、どの形が正解ということは無い。ただおにぎりから自分の知られざるルーツが分かるということで、食を通して各自のルーツを学ぶ食育の一環として、家庭科の調理実習や課題で作らせる学校もあるとのことであった。
最後に男性は軽く塩を振って、桜模様の角小皿に塩おにぎりを二個並べると、黒塗りのお椀に味噌汁をよそう。そうしておにぎりの角小皿と味噌汁のお椀を、四角形の黒天朱のお盆に載せたのだった。
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