第2話 傾向1:感情(情緒・郷愁)に訴える
無能というのは、要するに、能力がない(もしくは著しく低い)ことや。
ないというのが言い過ぎなら、低い。それには低能という別の言葉も、あるね。
だけどここでは、「無能」でも「低能」でも、本質的には変わらんからさ。
そこで、特に区分けの必要がない限り、「無能」で統一して論ずることとする。
能力がないから、能力の問題が論じられない。
能力や情報を活用して何かをする対応策を立てるなど、とんでもない。
でも、人に絡みたい。じゃれつきたい。
何より、仕事した「気」にだけでもなりたい。
無能はそこで、感情論に訴えてくるのです。
行きつくところは泣き落としとか、そういうものですけど、人の感情や情緒に訴えるような言葉を、とにもかくにも、多発します。
それも、寂しい話だ・・・、
人間としてよければ・・・、
学歴(財産などの言葉も入る)がなくても・・・、
それでもいいじゃないか。
そんな身もふたもないことを・・・、
それにしても、いろいろ多士済々というほどにそういう言葉を駆使してくれますが、要は、対手に問題解決能力もなければ提供できる有益な何かもないだけのこと。
ならば、私は無能であり、何も提供できるものがないと言えばそれまでのことだが、そう言い切ってしまえる自信がないのね。
そうして、相手にされなくなるのが、無能な人間の最も嫌なところ。
無視されれば、そりゃ誰だって嫌だけど、その嗅覚は、超一流。
とにかく、相手にされなくなるのが、彼(彼女)らにとって一番の不利益なのよ。
だから、相手にしてほしい。
でも、まともな言動もできなければ対策なんてとんでもない。
ならば、論点をすり替えて、相手を自分の土俵に取込んでしまおう。
そうすれば、話ぐらいは聞いてくれる。
ま、その程度の浅知恵なのね。
そうそう、その手の人間は、家族とか家庭とか、そういうものをやたらに相手に善意ごかして述べてきます。
能力の問題、それこそ、対応策の問題を論じなければいけない相手に対して、そんなものを論じてみたって、無駄なのは明白。
それでも、自分の家族や家庭の話まで出して、さも家族や家庭が素晴らしいとか、我が子がかわいいとか、そういう言動を並べるのは、まさに、無能の面目大躍如というべきものでありましょう。
感情・情緒・郷愁。
そういったものに訴えることで、問題点を考えているふりをする。
子どもだましも極まれりですが、まあ、それで仕事をしたという気になれるわけですから、おめでたい話ではある。そしてそういう人間の常として、恩着せがましさのようなものはとにかく強いときておりますからね。
馬鹿を馬鹿、無能を無能と論じても、空しくないか?
確かにそうだよ。
だけどな、そういう手合いを分析して対策を立てる必要がある人間に、そんな判ったような一般論を述べて思考停止してはいけない。
そういうわけで、さらにかれこれ、論じて参る。
乞う、御期待。
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