〖短編〗ドッペルゲンガーな隣人

YURitoIKA

ドッペルゲンガーな隣人

     チョキチョキチョキ。

     チョキチョキチョキ。


 布を裂く小気味の良い音。

 一定の間隔リズム


 古くなった服だから、なにか工作に使えぬものかと思っていたのだが、どうやら俺にはセンスなるものがないらしい。

 土曜の午前丸々を盛大に無駄に使い果たしていたわけだが、まぁ、自分を見つめ直す時間であったと思えば少しはマシな心持ちだ。


 そう。ひとつ、いい事を思い出した。


 ───といっても、場合によってはバッドなのだが。⋯⋯今日は隣の空き部屋が〝空き〟ではなくなる。つまり、新たなる隣人が誕生する、というわけだ。

 と、さして意味のない振り返りを行っていた丁度、インターホンの呼び出し音が部屋に響いた。

 心臓の止まるような爆音に些か苛立ちを覚えながらも、ほんの数パーセントのワクワクを胸にインターホンの受話器を取った。


「はい、葛巻くずまきですけど」

「あ、今日引っ越してきた井竹です。挨拶をしに来たんですけど」

「了解です」


 おぉなんてことだろう。可愛らしい女性の声じゃぁないか。しかも割かし幼げな⋯⋯うむ。タイプだ。うむ。キモいな。

 酷い顔をした自分の顔をマシに戻すために、頬を指で強く引っ張ってから玄関へ。


 そして、


「わざわざありが⋯⋯」

「あ、どうも。井竹で───え」


 と。全く同じタイミングで、表情が固まった。目が点になった。

 同じなのはそれだけではなかった。

 俺と、井竹さんという方は───


 


       ◇


「なんっ、え、と。あれ、」


 咄嗟に振り向いた。どうやら井竹さんとやらも同じ反応をしたようだ。


「あの⋯⋯。今、同じ顔、でしたよね」

「は、はい。そう、みたい、っすね。わりかし怖い偶然、だなぁ」


 呂律がうまく回らない。こんな異常マシマシな状況じゃあ当然の話だが。───とりあえず。振り向いたまま一度深呼吸をして、向き直る。


「あの、話をしませんか。お互いの事情も知りたいですし。折角の隣人さんなのに、こんな事で仲悪くなりたくないです、俺」

「そうです、ね。……ぁ。やっぱ同じ顔だ」


 井竹さんもまたこちらへ向き直した。やはりそこには、自分と全く同じ顔がある。服装はどうやら女の子っぽい。スカートも履いているようだ。


「お、俺顔隠しますから、とにかく上がってください。お茶用意します」

「分かりました」


 ⋯⋯……。

 そうして。井竹さんをリビングへと招き入れてから、俺はポットでお湯を沸かしつつ、緑茶のティーパックを探していた。

 戸棚をひっくり返しながら質問を続ける。


「じゃあやっぱり、女性⋯⋯なんですね。あ、すんません。ちょっと言い方がよくなかったかな」

「いえいえ、よく男の人と間違われるんです」

「俺は逆に女の子っぽいって言われてましたよ。それでいじめられたり⋯⋯なんて、ははは」


 トークセンスまでも無いことが判明してしまった。もっと!明るい!話題GA!


「そ、そうなんですか!?でもわたしは、逆に女の子に告白されたりされちゃいました」


 俺と井竹さんの顔は、男とも女ともどっち付かずな顔だ。

 髪型も含めて。


「葛巻さんは自分の顔、嫌いですか?」

「嫌いではないですけど。流石に社会人になってからはいじめられることもありませんし、逆に話題のタネにもなりますからね。ポジティブシンキングってやつのおかげです」

「それは⋯⋯よかったです」

「え?」

「だって、ほら。同じ顔なのに、悪い思いをしてたら⋯⋯ちょっと悲しいので」

「あ!いや!今は全然大好きですよこの顔!ニキビひとつ出来たことないし!」

「それは健康によるものかと」

「たん瘤もできたことありません!」

「それは生活上によるものかと」


 やっとの思いでティーパックを見つけ、緑茶を作ってからリビングの机に、井竹さんと向かい合うように座る。彼女はずっと正座をしていたようだ。顔色ひとつ変わっていないのを見るに、かなり足腰の強いお方なのかもしれない。


「なんていうか、志々雄真実みたいになってますね」

「これは一本!」


 流石に同じ顔同士で見つめ合うのは気まずいので、台所にあった白タオルを顔に巻いてみたのだが⋯⋯井竹さんにはジャンプ漫画のボスキャラに見えたらしい。言い得て妙なので、つくづく自分のトーク力の無さに呆れるばかりである。


「本題なんですけど、これからどうしましょうか」


 入れたてアツアツの茶を啜りつつ、間髪をいれずに話を進める。この状況、沈黙こそ〝死〟なり。


「わたしは葛巻さんがさっき言ってた通り、仲悪くはなりたくないんです。できれば、仲良く⋯⋯というか」

「それは俺も同じです。でも、この顔のことがある以上、遭遇する度に心臓が止まるのは間違い無しかと」


 遭遇、なんて言い方。

 これだけでポケモンアルセウスをやり込んでるだなんて思われたりしないだろうか。図星だもん。


「です、よね。それはもう、避けられないことだと思います。だからこれからは、一日一回、交流を深めることにしませんか?」

「こうりゅう?」


 どこぞの学習塾のCMみたいな返事。


「あ、いえ。やましいことではなくてですね。時間が合えば、ご飯を作りあったりできればな、と。多分ですけど、同い年ですよね?23歳」

「お、よく分かりましたね。そうっす。まだまだ一人暮らし始めたてで⋯⋯。井竹さんも?」

「はい。なので、お互い不安ばかりだと思いますし、もしよければ、助け合ったりできればいいなって」

「─────」


 都内の安アパート。日陰者ばかりの五階に⋯⋯て、天使が。天使ィが。もはや天使すぎて実はペテン師ィでした、とかないよな。


「あの⋯⋯駄目、ですか?」


 井竹さんは顔を赤に染めていた。

 俺とまったく同じクセのあるショートヘアーがふるふると揺れている。


「いえ!あ!いえ!頑張りましょう!共に!」

「は、はい!」


 強めの握手。パシッ!なんて乾いた気持ちのいい音が、寂しき一人暮らしの部屋に響いた。正しく希望の鐘だった。


       ◇


 この一週間で色々と分かったことがある。


 彼女の下の名前は宮火みやびであるということ。

 趣味は外国旅行だということ。

 (直近だとタイに行ったらしい。俺も行ってみタイ)

 驚くべきことに、同じ小学校出身であったということ。

 (中学入学時に地方へ引っ越してしまったらしいが)

 上京してきたばかりかだということ。

 (酔っぱらうと〝~だら?〟とか言い出す。かわいい)───等々。


 目の逸らし方もお互いマスターしてきたようで、うまく顔を意識しないようにすることができてきた。


 毎日零時過ぎにはお互いの仕事が終わるので、どちらかの家で交流会ならぬ宅飲み会を開いている。最初こそフットサルボールのように会話が弾まなかったり、弾んだとしてもラグビーボールのように訳のわからない方へと飛んでいってしまったりと、紆余曲折があったものの、今では……、


「それでですよ、あのボケナス課長がですね―――ッッ!」

「あー分かります、うちの部長も~~~」


 とまぁ、愚痴大会にすり替わってたりする。社会人たる者たちの酒のつまみの大半は、己の不幸話なのである。なんとも惨めで楽しい世の中だこと。


 本日の聖杯こと缶ビールがお互い三本目に差し掛かる頃、井竹さんは、“そういえば、”と愚痴のキャッチボールを止めた。


「小学校のとき、いじめ……受けてたんですよね」

「ん?あぁ、そんなことありましたなぁ」


 酔っぱらっているせいか、返事はどこか上の空である。


「その時のこと、できればよく聞かせてもらえませんか?⋯⋯あ、嫌ならいいんです。ただ、ちょっと気になって」

「イーんですよイーんですよ。今はジョーキゲンなので、どーんとなんでも聞いちゃってくださいよ。で、なんでしたっけ?けじめ?」

「いじめ」

「そうそういじめしめじいじめ。覚えてることって言っても、三人組にヤラレタくらいかなぁ。あいつらの名前も今じゃぁ思い出せませんねぇ。あ!」

「どうしました?」

「確か⋯⋯そう。先生もそこまで助けてくれなかったときに、助けてくれた女の子がいたんです。確か名前は⋯⋯」

「名前は?」

「───あ。あぁぁぁぁ!!」

「ど、どうしました?」

「いや、下の名前はど忘れしたんすけど、名字がたった今頭に流れ込んできましたよ。そう。篠田しのだです!いや~かっこよかったなぁ。当時クラスのマドンナで、可愛くて強い、頭もいいっていう怖いモン無しの女でねぇ。この迷える子羊を、ジンギスカンにされる前に救ってくれたわけですわ」

「篠田ちゃん篠田ちゃん⋯⋯。あ、わたしも覚えがあります。六年間クラスが全部一緒だったような」

「おぉ!そりゃすごい!宝くじ当たったようなもんですよソレ!」

「そこまでレアではないと思いますけど⋯⋯。あの、ありがとうございます。余計なことに答えてくれて」

「いいんですいいんですよぉ。でも篠田ねぇ。可愛かったけど、ありゃ可愛すぎて高嶺の花だったなぁ。あんなんに告白するなんて自爆兵みたいなもんでしたよ。うんうん」

「女子でもウワサになってました。孤高の撃墜王、だとか」

「ありましたありました。そういや、小学校の時、なんで俺達ウワサにならなかったんすかね。同じ顔なのに」

「それは⋯⋯。不登校、だったので。ほぼ」

「……っ。また、地雷踏んでます?」

「いえいえ。敷いたのはわたしですから。お構いなく」

「…………」


 トークセンスもまだガキのままだ。

 いい加減、社会人として磨き上げなければ、得るものも得られなくなってしまうからな。


 それから。

 またもや愚痴大会が再熱し、缶ビールのプルタブの開く音を何度も何度も聞いているうちに、いつの間にか意識は遠退いていった。


 彼女との関係は実に奇妙なもの。

 しかし、

 渦巻く心は恐怖でも恋慕でもない。

 親愛なる隣人として。

 他愛のない会話を交わせる友人として。


 こんな時間が、緩く、永く、続きますように───


        ■


 わたしも、そう思います。


 血潮を全身に浴びながらも、彼女の両手は止まらない。

 ゆっくりと、鋏で皮を裂いていく。


「篠田ちゃんとは、六年間一緒のクラスでした。だってそれは、当然のことでしょう。篠田ちゃんはわたしのことですから。篠田はわたしの。親の再婚が引っ越しの理由だったので」


 真っ赤に染められたベッドの上には、丁寧に切り取られた臓物が並んでいる。


「ストーカーみたいなこと、しちゃいましたね。嘘もたくさんついちゃいました。でも、あなたへの愛情は本物なんですよ。いじめっ子達を追い払って、一緒に並んで座って、校舎の屋上から夕日を眺めたこと、覚えてませんか?どうせないですよね。あのとき、わたしはあなたのこと。好きになっちゃったんです。けどあなたはわたしの名前すら覚えてくれずに、ただ高嶺の花だって決めつけて、振り向いてすらくれなかった。そしたらいつの間にか転校になっちゃって。一目惚れも、住む場所を移せば薄れていくと思ってました。でも駄目でした。ずっとずっと好きでした。遠く離れれば離れるほど、〝好き〟が溜まっていきました。どんなに遠い場所に、何度も外国に行ったって好きで好きで堪らなかった。だからわたし、


 鋏を離して、スカートを捲る。


「見てください。ちゃんと男性器だってあるんですよ。タイでは性転換手術が早くて丁寧なんですって。あなたと全く同じ顔に、髪に、性別になって。アパートも一緒になって。でも、やっぱり本物には敵いませんね。だから一緒に生きていこうと思ってたのに、……。魁君。あなたは変わっちゃいました。こんなに素敵な人じゃない。いじめられた時の、酷く醜いあなたの顔が好きでした。周りに怯えるあなたが好きでした。人との出会いは、一生心に残るものなんです。わたしにとってのあなたは、もうどこにもいないみたいです。当然ですよね。だって人間って、そういうものですもの。けどわたし、とっくに壊れちゃってるみたいなので。よく、分からないんです。だからこうして、あなたを丁寧に保存します」


 朝イチの解体ショーは大詰めにかかる。血だらけの顔を包帯で巻いてみると、やっぱり志々雄真実みたいでした。あはは。


「指も一個一個タッパーに入れて、きちんと保存しますから、安心してくださいね。ちゃんとちゃんと、綺麗に、綺麗に、綺麗に、綺麗に、綺麗に、綺麗に、綺麗に、綺麗に、」


     チョキチョキチョキ。

     チョキチョキチョキ。


 皮を裂く小気味の良い音。

 一定の間隔リズム


 古くなった人だから、なにか工作に使えぬものかと思っていましたけど、どうやらわたしにはセンスなるものがないらしいですね。




             ─お仕舞シマい─

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