愛想の良い天才は、無愛想なアシスタントに故意をする。

屍の茶漬け。

第1話 その出会いは、狂った笑みを生み出した。

「急げよ!!お前ら急げ、話してる暇なんてねえぞ?分かってんのか黙ってても速くはなんねぇけどな!!あはははふひひひっ!!!!急げぇぇえええ!!!!!」


『はぃぃぃぃぃぃぃぃっ!!!!!!』


 防音機能のない古ぼけたマンションに、相応しくない騒々しい声が乱れ回る。


 一室に三部屋しかない狭いとも、広いとも言えない微妙な空間、とある作業に魂を注いだ気になって手を動かし続ける者達は、寒さに凍え焚き火に群がる様に、敢えて一部屋に集まっている。


 とある作業は、漫画だ。


 短期連載が基本、過去に長期連載の経験はあるが、2桁の本数に行くことなく人気低迷で打ち切り、漫画家業界ではそこそこのプロと言うべき者と、その男の漫画を手伝うアシスタント達が四人だ。


 昔から今にかけて、伝統に近い娯楽として広まり、進化して来ている漫画だが、それを作る過程は幾ら進化しようとも、泥臭い事に変わりは無い。


 本に掲載される漫画を書く者、漫画家と出版社の関係性は短期の契約社員というのに相応しく、出版社が求める物を描き続ける事が出来るのなら契約は延長され、描ける事が出来なければ首を切る。


 或る意味誰にでもチャンスが巡ってくる平等な世界であり、極めて残酷な環境でもある。




「ぜーーーは…………はぁ、はぁ、あっ…………あっ、あっ、終わった…………良かった、終わ………たっ!!」


 汚らしい黒髪に似合う汚らしい髭を持った、そこそこプロの男漫画家。


「やりましたね………先生……」


 茶髪と猫目の女アシスタント。


「どうにかこうにか……………………」


 白半分、黒半分長髪とタレ目のアシスタント。


「取り敢えず…………」


『おやす…………ぐぅ〜〜』


 そこそこのプロ漫画家が今回描いていたのは、30ページの短期連載初回、言ってしまえば評判が良ければそのまま長期連載に進むかもしれない〜〜〜〜かもかも、という出版社の上から目線満々である。


 こういうケースを何度も経験している筈なのに、そこそこのプロ漫画家が怒りもせず、苛立ちもせず、腹を立てないのは、悲しい悲しい人間としての性のせいだ。


 お金、人間社会は金が無いと生きて行けない。


 そこそこのプロ漫画家は、小さい頃から漫画家に憧れ、親の反対を押し切り、32才の男という現在を迎えた。


 漫画家になる、夢に見ていた事を事実として成し遂げる事は出来た。


 然しそれは、男が得ようとしていた夢では無かった。


 身体と精神をすり下ろして描いた漫画の値段は、短期連載一ヶ月が30万円、長期連載一ヶ月が40万円。


 漫画家は普通の働く者とは違い、社会保険には自分から入るしかない。


 つまり健康保険等が給料に応じてでは無く、何があろうとも一定の地味に痛い値段が引かれていく。


 それから、アシスタントを雇うお金、当然の様に壊れていくペン、憂さ晴らしに破り捨ててしまった紙、撒き散らしてしまった黒の白のインク、見た目はボロい癖に部屋数が多いから、それなりに高い家賃、暗いと何も見えないから照らすしかない光熱費、積み重なるストレスの捌け口として使われる酒、ツマミ、眠気を忘れる為の栄養剤、精神薬…………その他が永遠と続く為、幾ら金があってもプラスになることはなく、漫画家という履歴書に書けない夢のある仕事を選んだ挙句、それでしかもう生きる選択肢が残されていないと、錯覚ーー負のループに気付かず回っている。


 この、そこそこプロ漫画家な男を救う手段があるとするならば、それは読者から才能を認められる事。


 単行本の売上が何十万、何百万になる事。


 そう、男はまだ夢を見ているのだ。













「ふぐっ…………ぶぅぅぅ〜〜、もうさぁ、やってられっかよぉぉぉぉ!!!!」


「………まーた、始まったね」


「だね、今日の頷き担当誰でしたっけ?」


「あーー、残念ながら私です」


『乙』


 泣きじゃくりながら、度数が高いだけの合成甘味料を次々と飲み干していくそこそこのプロ漫画家に対し、三名アシスタント達はいつも通りの溜息を吐けば、自分達で決めた、先生の愚痴を聞いては頷くを繰り返す、頷き担当であるアシスタントに労いの言葉を重ねていい、その場から逃げていった。


「おうおうっ、良いか俺より下のアシスタント共!!この日本漫画界には三種類の人間しか居ない!!!!」


「はいはい、そーでしたね」


 自分のアシスタントが一人を残して帰ってしまった事に気付かない程、酔いが廻っている先生に対し、今日は二時間を超えなきゃいいなと思いながら、慣れた口調で返事をする一人だけ帰れなくなったアシスタント……名前は卑歪、死んだ目、下にも上にも動かない横口に似合う紫色の短髪をした18の、年齢だけは若々しい女だ。


【私】が語るこの物語の基本的な、主人公である。


「絵が上手い奴!!構成が上手い奴!!俺は…………絵が上手い奴、なのかも、知れな〜〜ぃぃぃぃ!!!!」


「はいはい、酔ってるんですから嘘でもそうだと言いましょうよ」


「うっ、ひぐっ………そ、そしてぇぇえええ!!!!!平凡パンチ!!!!奴こそが真の天才、否、天災だあぁぁぁあああ!!!!!」


「……………はぁ」


「良いか!?アイツは……いやぁ、あの御方はぁ………!!」


 先生の愚痴酒会は、3時間続いた。











 一ヶ月に二日あれば良い方な束の間の休日、卑しく歪んだ子にはならないで欲しいの意味で付けられた名前である卑歪は、先生が三つ目として述べた天才漫画家について、都会のスクランブル交差点をゆっくりと歩きながら振り返っていた。


 平凡パンチ、今とこれから、そして未来の日本漫画界を背負う事が確定してしまった天才を超えた天災漫画家である。


 幼稚園の頃、暇潰しで壁に落書きを描いたら、それがとある芸術コンクールで最優秀作品に選ばれてしまった。


 小学生の頃、暇潰しでノートに落書きを描いたら、それがクラスメイトにバレ、読まれ、学校中の娯楽として広まった。


 中学生の頃、暇潰しでとある芸術家の、独創的なタッチの絵を完全に写生した。


 高校生の頃、暇潰しで旅に、手持ち無沙汰で金に困り、描いた絵を路上販売したら売りに売れ、その中にあった漫画が貧乏出版社の目に止まり、瞬く間に長期連載、単行本二桁、世界に羽ばたいて収入は淡々と億を積み重ねた。


 映像で見なくても、文章だけで分かってしまう夢物語、冗談として言うのならば漫画の様な人生を歩んで来た平凡パンチは、卑歪と同年齢、それ所か卑歪は、デビューする前の平凡パンチに、出版社で出会った事がある。


 漫画家を背負う資格を得た人間に対して、こんな事を言ってはいけない、周りに広めてはいけないから、卑歪は口を閉じ続けていた。






 初めてあった日から、お前が嫌いだ。


 お前の他とは違う、私は孤独、虚しさ、悲しさ、優しさ、愛しさを感じずには居られない目をみた瞬間から、身体を口で噛み砕いて、意味も無く吐き捨ててやりたい程には嫌いだ。










 そうっ、これは他人からしてみればただの妬み、僻み、嫉みだ。


 そして、だがしかしとなることも無く、事実として卑歪が平凡パンチに抱いているのは、自分より圧倒的上の地位に君臨する者に対してのそういう感情だ。


 ………だがしかし?卑歪は、その名前通りと言っては失礼なのだが、生まれた時から卑しく、歪んだ思考回路を持っていた。卑歪は、その回路を隠し続け、適当に作った偽物の回路で人生を生き続けてきた卑歪は、壊れに近付いていた。


 最近、見える人間全てが、平凡パンチの顔に見える。


 それが精神病だとか、早く病院へと言うマトモな思考は無かった。


 ただ静かに、冷静に、でも確かに燃えているこの拳の行き先を求めていた。


 不幸中の幸いと言うべきなのか、凶器を使って確実にというサイコパスに似たものではなく、ただ一発殴りたいという身体的なもので済んでいる。


 蟻の様に多い人間が、前にいる人間へと、横から来る人間へと、自転車へと意識する気もなく避け続けているスクランブル交差点だ。


 そこにいる全ての人間が、何故か、偶然と言うには気持ち悪くハッキリと平凡パンチの顔にーーー目に見えた。




「お前は殴らなくてはならない」


 卑歪の心に居る強迫性を模した声が繰り返し言う。


「お前は殴るべきだ」


「鬱陶しいのなら、目障りなのなら、殺したいのなら殴るべきだろ」


「何故そうしない、今しろ、今すぐだ、今殴れば全てが解決するぞ」


 卑歪は自分に告げるこの声を煩いと思った事は一度もなかった。


 寧ろ自分の本当の気持ちを常に肯定し続けてくれる、親友の様に感じていた。


 だから、今から五秒後にすれ違う平凡パンチの顔を、潰す為に殴る事は、親友が求めている事だから〜〜全く持って間違いなんてあるはずもなくて………だからーー。




 単純な話、卑歪という人間を受け入れてくれる存在に、卑歪は出会えていなかったから、こうなった。


 4秒経過するほんの少し前、片足を後ろに下げて、身体を斜めに傾けて、拳を握りしめて、重さが乗るように気持ちを捧げて、自分の可笑しい様に気付いた平凡パンチに構う事無く、殴る意思だけが込められた純粋な拳を、平凡パンチの鼻へ、目へ、唇へ、顔へーーーー殴っ。



『ドゴボッ!!!!!!!』


「がぼっーー?」


 殴られた者の戸惑った声が小さく鳴く。


 響いたのは、ドラム缶が少し凹む程度の重低音。スクランブル交差点を歩く全ての通行人にその音が聞こえるはずは無かったが、近くに居た者達が最初に悲鳴を出し、直ぐ様面白い物が見れたと、次も見れるかもしれないと、電子機器を向ける。


 最早、拡散されてしまうことは、ネットのオモチャになる事は確定だ。


 然し、随分と前から精神が壊れてしまっている卑歪には、ただただ漸く殴れたという達成感があった。


 溜め込んでいた、発散出来ないと決め付けていた呪いを解放した気分……人を殺してはいけないを、殺してもいいと肯定出来た様な快楽に、肌を震わせて酔いしれる。


 で、卑歪にはとある恵まれたというべきか曖昧な天から授かりしギフトがある。


 それは、悪運が強い。


 悲劇的な何かが起これば、必ずそれを薄めようと何かが起こっている。


 これからの人生を考えられない悲劇が起こった卑歪に対して送られた悪運は、殴った人間が、平凡パンチ本人だったということだ。


 天災漫画家がネタ探しの為か、誰にもバレない変装をしてスクランブル交差点に………そしたら突然と飛んで来た衝撃、痛み、鼻と頬の骨が折れる程度に拳をぶつけられた。


「……………あっ、あっ、あっ、あっ、あっ、あっ、あっ、あっ、あっ、あっ」


 戸惑う、平凡パンチ=平良は戸惑う事を避けられない。


 自分が今まで経験したことの無い、経験する筈がなかった出来事が訪れたのだから、その出来事を運んでくれた運命の人が目の前に居るのだから。


 鼻が折れた事など、頬にヒビが刻まれた事なんかどうでもいい。


 ただ、言わなくちゃ!!今言わなくちゃ……!!!!


「あのっ、のっ!!私の所に来てくれませっ、せんかっ!?」


 巫山戯た出会いをした二人の顔は、奇しくも似ている狂った笑みを見せていた。

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