第110話 屋敷へ戻る道

 必然とも言える予期せぬ大雨にずぶ濡れになったクロエとキリコは二人並んで屋敷への道を歩んでいた。

「……今度は何をやらかしたの?」

 事態に巻き込んでしまったクロエにそう詰められるもキリコは答えに迷ってしまった。キリコ自身も何をしたのかよく把握していない部分があるためである。

「えーっと……実験?」

「何の?」

 クロエの態度がいつもより冷たく感じられるのは別に雨に濡れたからという訳ではなさそうだ。だからといってキリコはありもしない答えをその場で組み上げられるような器用な人物ではなく。

「ちょっと気になったことがありまして……」

「ふうん?その結果がコレ?」

 煮え切らない態度のキリコに対し、雨でびしょ濡れになったメイド服を摘みクロエが再度問い詰める。有耶無耶にして誤魔化しきれないだろう事を悟ったキリコが辿々しく口を開いた。

「魔力が一体何なのか分からなくなっちゃって……」

 自分でも良く理解していないことを言葉にするのはとても難しい。キリコとて自身の発言に自信を持てないでいるのだからそれを聞いたクロエがあらぬ方向へ理解を進めるのも当然の話で。

「魔力は魔力でしょう?キリコったら今更何を言ってるの?医者を呼んだ方がいいかしら?」

 物凄くシンプルに頭の心配をされた。

「いや、その、クロエが心配してるような内容じゃなくて……もっと根源的な?」

「哲学者になるのはやめておきなさい。実体を持たない学問なんて碌なもんじゃないわ」

 心配されたかと思えば今度は注意される。側から見れば確かに今のキリコは迷走しているように見えるのだろう。だが、キリコ自身からすれば僅かばかりの光明が見え始めた所なのだ。願わくばその光が虚像でないことを祈るような心持ちではあるが。

 だからこそ拙い言葉であってもきちんと説明しよう。それがクロエにさらなる心労をかけてしまう事になっても。

「魔力と気が反発し合うって話は前にしたでしょ?」

「ええ……そうね」

 気についての話をする時、クロエは決まって良い顔をしない。それがキリコを死の淵に立たせた危険なものとして認識しているせいなのか、あるいはそれとも別の理由からだろうか。

「気を扱っていると感覚が鋭くなる……というか自分とそれ以外の境界線が明確になるかんじかな?とにかく、魔力による身体強化とは明らかに別物だと思ったの」

「……私には分からないけれどキリコが言うならそうなのでしょうね」

 身体感覚の言語化ほど共感を得づらいものはそうそう無いだろう。同じ手足を持つはずの人間同士ですらそうなのだ。ましてや生物としての造りが根底から違う相手の事など言うまでもない。故にクロエは自身の理解が及ばないそれを理解したものとして話の続きを促した。

「それでね、身体の周りになんか感じる物があるのはこの辺りに魔力があるからじゃないかって予想を立ててね……」

「予想も何も無いわ。それ、結構前の論文で発表されてたはずよ」

「え、マジ?」

「マジよ」

「そんなー」

 世紀の大発見かのように自論を語るキリコを制すると彼女は目に見えて落ち込んだ。

「もっともあった所で使えなかったから基礎理論だけ発表しておしまいになったのだけれど……」

 クロエはそこまで喋ると唐突に口を閉じて考え込んだ。異様に巨大な規模の魔法反応、その割に消耗した様子も見せず平然としているキリコ、存在はするものの使い道がないと思っていた世界に漂う魔力、そして魔力と反発する気の存在。

「キリコ、人の手配をするからその実験はしばらく中止してもらえる?」

 どうやらクロエの頭の中で何かが噛み合ったらしい。彼女は一転して真面目な表情を見せるとキリコを正面から見据えながらそう言った。

「どうしたの急に?」

 急に真剣な面持ちになったクロエに困惑するキリコ。

「用心のしすぎだったらいいのだけれど大事になりそうな予感がしてね。それに、私の知らない所でまた倒れられても困るじゃない?キリコ、思い付きで行動して無茶をする癖があるでしょう?」

「人の事を常習犯みたいに……」

 キリコは反射的に出かけた反論を飲み込んだ。よくよく思い返せば去年もその前の年も無茶をして倒れていたのは確かにその通りだったので。

「実際そうでしょう?」

「はい……」

 改めて指摘されると頷く他ないキリコであった。


 ポーン。


 突然、二人の携帯が同時にメッセージの着信を告げた。

 キリコとクロエにとってはすでに活動を開始している時間帯ではあるが、世間一般からすればまだまだ朝食前といった所だ。その上クロエとキリコは西部領の領主とその側近である。二人ともそんな時間に連絡をしてくる人物に心当たりがなく、さては緊急事態だろうかと急いで端末を確認するとそこには。

「……南の島へご招待?」

「……この情勢で何を考えてるの?」

 サニーから送られてきた南の島の旅行への同行要請であった。北部との情勢が不穏なこの時期にどうして旅行など企てているのか?しかも厄介な事に私的な理由ではなく魔王:リーゼロッテからの命令という形で。

「キリコ、何かサニーから聞いてない?」

 何も得られる物はないだろうと思いつつもクロエはキリコに問いかけた。

「なんにも。というか南の島ってなにがあるの?」

 一応サニーと血縁関係にあるらしいキリコの方にもそれらしき事前の話は何も来てない。それどころか向かう予定の南の島についても知らない様子だった。いや、知らないのも無理はないだろう。

「何もないわ。少なくともそのはずよ」

 いくら調べた所でその島のことは何も分からないということだけしか分からないのだから。

「旅行先なのに!?美味しい物があるとか景色が良いとかそういうのもないの?」

「ないわ」

 キリコの淡い期待をあっさり否定すると彼女は目に見えて落ち込んだ。

「……断っても良いかな?」

「ダメよ。形式上は魔王様からの命令って事になってるもの。観念しなさい。私だってこんな時期に自領を離れたくなんかないんだから。……まったく、何がしたいのかしら?」

 流石のクロエもブツクサと文句を垂れるのをやめない。それもそのはず、北部周辺の情勢が明らかに不穏なこの時期に辿り着けない事が分かりきっている南の島に向かう理由が見出せない。思考に没頭するクロエの肩をキリコが叩いた。

「とりあえずご飯にしない?」

「……それもそうね」

 いくら考えを巡らせた所で分からないものは分からない。二人は朝食を取るべく屋敷へと戻った。

 屋敷に戻った二人をカーラが出迎えた……のだが、なぜか二人してびしょ濡れで、ほのかに感じるキリコの汗の匂い、くたびれた表情のクロエと対して満足げなキリコを目にして彼女は盛大に勘違いした。ナニを想像したのかは記さないでおく。

「おかえりなさい……なるほど、キリコはそういう気があったのですね。少々侮っていました」

「違うから!その想像は絶対に!」

 キリコの朝は早い。しかしそういう意味ではない。

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いずれ空へと続く道 白銀スーニャ @sunya_ag2s

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