【短編】まんじゅうこわい

お茶の間ぽんこ

まんじゅうこわい

「健斗、ここの旅館に行きましょ」

昨日、ヨシコは突如そんなことを言ってきて僕たちはこの温泉旅館にいる。

ここは心霊現象を体験できることで有名な旅館であり、その心霊現象に遭った人たちは幸運なことが起きると言われている。

町から随分離れた田舎に立地されているので、ここまで来るのに電車を何回乗り換えてどれだけ歩かされたかを思い出すだけで帰路が憂鬱になる。

僕たちは同じ会社に同期として入社した。同期たちの飲み会で趣味の話になり、僕が落語好きであると言うと(かなりマニアックだが)、ヨシコに「私もよ。今度一緒に観に行かない?」と誘われて一緒に観に行ったのがきっかけで関係が深まっていき次第に恋に落ちていった…と言えばまだ聞こえは良いが、彼女から「田島くんって何でも言うことを聞いてくれるから好き。付き合わない?」と何とも自己中心的な告白を突然受けて今に至るわけだ。それに応じる僕も変わり者なんだが。

 旅館の中に入るとすぐ目に見えたのは創業者らしき老人の肖像画がありこの温泉旅館は昔から続いてきたことが窺がえた。

「いかつい顔をしているわね」

 ヨシコがボソッと僕の耳で呟く。

確かにこの老人は画だけでも厳格な人物だったんだろうなと想像できた。

受付でチェックインを済ませた僕たちは案内された和室の部屋で荷物を置いてくつろいでいた。

「幽霊が出るって言ってた割には普通の内装なのね」

彼女は小言を言いながら僕の分までお茶を注いでくれた。

ヨシコの言う通り、心霊現象が起こる旅館というイメージだったのでもっと古びた内装で不気味な人形が部屋に置かれているのかと身構えていたものの、実際は和室におなじみの机と座布団が用意された普通の旅館だった。

「僕は怖いのが苦手だから正直ちょっと安心したよ」

「ちょっと興ざめというか期待しすぎたわ。まあ、部屋に人形とかお札が置かれていても気になって仕方ないだろうしこれはこれで良いかもね」

ヨシコは自分を納得させようとそう呟く。

僕たちが部屋で駄弁っていると外から「失礼します」と声がして若い仲居が入ってきた。

「こちら、宿泊される方にお渡ししているお饅頭です。よろしければ是非!」

仲居は包装紙で包まれた饅頭の箱を机に置いた。包装紙には開けた着物の萌えキャラがプリントされていた。

「へー、この旅館って何かとコラボしているんですか?」

「そうなんです!最近アニメで放送されている『旅館っ子』とコラボしているんですよ!」

「良いですね!帰りにでも会社用にお土産として買おうかな」

僕は包装紙を開けて饅頭を取り出して口の中に入れた。

「これ、女性の性消費じゃん」

ヨシコの口からとんでもない発言が出た。

「え?」

仲居は少し戸惑った様子でヨシコの方を見る。

「このプリントされた女の子のキャラクターって何の意図があって胸元を誇張したデザインになってるの?男に性的な興奮を与えて販促しようとか考えてるんでしょ。それって女性を性消費の対象として差別的な目で見ているってことじゃないの」

始まった。

最近のヨシコはあるフェミニストインフルエンサーに触発されてこのような有様である。

彼女は前からフェミニストだったわけではないが、インフルエンサーのように自分より発言力が強い相手の言うことを妄信する癖がある。何度それに僕が巻き込まれたことか。

「えっと…申し訳ございません。ちょっと私には分かりかねる内容でして…」

仲居もどう返答すればいいのか困っている様子だ。そりゃそうだ。いきなり客にフェミニズムを唱えられるのだから。

「こんなの、平気で出さないでくれる?気分が悪いわ」

ヨシコは饅頭が入った箱をゴミ箱に投げ捨てた。かなり重症だ。

いつもはあまり主張しない僕だったが、流石に看過できなかった。

「せっかく好意で出してくれた食べ物を捨てるなんてあんまりだ。それにこの子にそんなことを言っても意味ないじゃないか」

「知らないわ。そもそも客の機嫌を損なわせる旅館ってどうなのかしら」

彼女は一向に主張を止めない。僕は、ヨシコを宥めながら仲居を避難させてその場をしのいだ。

この一件があってヨシコはお風呂上りもご飯のときも依然として不機嫌であった。

やれやれ、最悪な旅行になってしまったな…。



僕は外から光が差して目を覚ました。昨日は移動で身体が疲れていたこともあって布団の中に入るなりすぐに寝てしまった。おかげで疲れが取れて気持ちいい朝を迎えることができた。

ヨシコが起きているのかを確認しようと彼女の寝ている方を確認すると、彼女は部屋の片隅で身体を震わせながら座っていた。

「どうしたんだ」

「で、でたのよ。幽霊が!」

「え、僕は全然気づかなかったけど…」

「いくら揺すっても起きないんだから!夜に目が覚めたと思ったら私の頭上にあの老人がいたのよ! それもあの画よりもっと恐ろしい形相で『よくもこの旅館を虚仮にしてくれたな、お前を呪ってやる』と言ってきたの!怖くて目を閉じようと思っても金縛りか何かで閉じることができなくて…怖かった」

彼女は僕に抱きついて泣き始めたので優しく頭を撫でてあげた。

その日は朝ごはんを食べずにチェックアウトを済ませて帰ることにした。

幽霊の一件があってから念のためヨシコと共にお祓いに行った。そのおかげか、呪いの脅迫があったものの事故や病気に見舞われることなく普通の日常を送っていた。

むしろ彼女がフェミニズムを唱えることはなくなり以前よりも僕とヨシコの関係性は進み、来月結婚することになった。

ただ、あれからヨシコは饅頭が苦手になり会社の取引先から差し入れとして饅頭を貰ったときでさえ口をつけることはなかった。

その度に僕は「これが本当の『まんじゅうこわい』か」と心の中で笑ってしまうのであった。

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