第18話 アイリーン(1)
「鮎加瀬さんからメールで、到着は午後9時近くになるみたい。
どっかの裏メニューのサンドイッチを持ってくるらしいけど、
ルームサービスで好きなもん注文して、
軽く入れておいて欲しいって。もちろん、彼女の奢りだからね。
瑛斗は何か食べたいものある?」
部屋にあった茶色い革表紙のメニューを渡されましたが、そんなもん頼んだことないので、良枝さんにお任せしました。彼女は慣れた様子で注文を決めて電話をします。
時間指定した午後8時にドアの呼び鈴が鳴り、注文した料理がワゴンで運ばれてきました。ハンバーガーとオードブル、ジンジャーエール、そしてポットに入ったホットコーヒー。リビングルームの一角に4人掛けのダイニングセットがあるので、そのテーブルに置いてもらいました。
良枝さんは、ほとんどお酒を飲まないので、二人で外食するときはアルコール類の注文はしないのですが、この日はスタッフの方が良枝さんにワインを見せて「こちらで、よろしいですか?」と確認をしています。
「アイリーンが三人で乾杯したいらしくて、ワインをお願いされたの。
だから、オードブルは残しておいてね。
さぁ我々は彼女の奢りのハンバーガーを食べましょう。
これ、一個2000円もするけど、パテが肉厚で、すっごく美味しいの」
ハンバーガーを手に持って、そのままガッツリといこうとしたら、良枝さんは「ねぇ瑛斗、アイリーンの秘書になるんだから、フォークとナイフを使うハンバーガーの食べ方、マスターしときなよ」とバンズとパテを小さくカットして食べる方法を教えてくれました。千葉県外房の山猿とは違って、やはり彼女は、お育ちの良いお嬢様です。パテは肉厚な上にジューシーで、いつも食べているファストフード店のものとは全くの別物でした。
午後9時の少し前、部屋の呼び鈴が鳴り、良枝さんがドアまで迎えに行きます。
「こんばんは、ビーノ。今日は会えて嬉しいよ。
患者の生死に係わる仕事以外は全部、放り出して来たからね」
「アイリーン、お疲れ様でした。直接会うのは久々ね」
「本当だね。電話では昨日も話したけど、しばらく会ってなかったね。
すっかりご無沙汰だったけど、ビーノは瘦せたね。びっくりした。
完全に以前の姿に戻ったね。とってもきれいだよ。
なんか背が高いと思ったらハイヒールか。
昔は180センチを超えるから、絶対に履かなかったのに。
お! 首にチョーカーを付けている。
彼氏に巻いてもらったの? ああ、そう。なるほどね。
うちらでチョーカーはそういう意味だもんな。
もうビーノさんは、身も心も若い彼氏様のものですか。
しかも髪型はクラウンブレイドか。幸福の絶頂アピールな。
さっきまで彼氏に可愛がってもらって私、幸せですってか? はははは」
事前の情報どおり、よく喋ります。しかも妙に明るい。
「失礼します」と言いながらリビングルームに入ってきた彼女は、身長は165cmくらいの細身で、明るいグレーのパンツスーツにアイボリーのロングコートを羽織っていました。手にはプラダのトートバッグと大きな手提げの紙袋を持っていますが、手提げの中身はサンドイッチでしょうか? コートを脱ぐと、当然のように良枝さんに手渡します。実物は以前、パソコン画面で見た写真より、ずっと森口瑤子でした。
「はじめまして。鮎香瀬和子です。
今日は、よく来てくれました。お会いできて嬉しいです」
「こちらこそ、はじめまして。島崎瑛斗と申します。
今日は、お忙しいのに、お時間を作っていただき、ありがとうございます」
「とんでもない。さっきから私のことを、じっと見てますけど、
どこかで以前、お会いしたことありましたっけ?」
「あ、失礼しました。初対面です。鮎香瀬さんが、おきれいなので、
つい見とれてしまって。女優の森口瑤子に似てますね」
「はははは、島崎さんは、お若いのにお上手ですね。
でも森口瑤子似とは、よく言われます。
実は私って美人で高収入な女なんです。男にも女にもモテますのよ。
なんちゃってね、冗談ですよ。
島崎さん、御存知かもしれないけど、ビーノは嫉妬深い女だから、
私のことを褒め過ぎると、後が大変ですよ。お気をつけて」
そう言いながら、近寄ってきて、いきなり人の頬を掌でペシペシ叩きます。
「君は写真よりも、ずっと男前だね。すごく素敵だよ。
これじゃ、ビーノが傍に置きたいって泣くのも仕方ないね。
今回は、よく彼女のところに戻てくれたよね。
君と別れた後のビーノの荒れっぷりと言ったら、本当に酷かった。
部屋に引き籠って太って、まるで別人物になってて。
私や友達も努力したけど、なかなか昔の彼女に戻らなくてね。
それが三ヶ月前に君からの電話があっただけで、
自分の意思で減量し始めて、以前と変わらない姿に戻ったんだから、
君の存在はすごいって思ったよ。今日は会えるのを楽しみにしてた」
挨拶が終わると途端に上から口調に変わりました。存在がすごいとか言ってますが、そもそも良枝さんが、そうなった原因を作ったのは私だし、あんな酷い別れ方をして、しかも三年も放っておいたのに、許して受け入れてくれた良枝さんこそ立派な存在です。
「はははは、なかなか謙虚だね。そういうの嫌いじゃないよ。
ビーノは一途だけど、拗らすと面倒だって、
よくわかったろうから、今後は取扱いに気を付けて。
でも、今日の様子を見る限り、その心配はなさそうだね。
さて、まずは乾杯して、サンドイッチでも摘みながら、
ゆっくり話すとしようか。
ビーノ、ワインは頼んである? おお! ありがとうね。
牛カツサンドとBLTサンドのミックスセットを三人分、持ってきたから。
このサンドイッチは、行きつけの焼鳥店の裏メニューでね。
信じられないくらい美味しいから、ぜひ味わってみて」
鮎香瀬さんは持ってきた手提げの紙袋からサンドイッチの入った紙箱を出し、栓を抜くようにと私にワインとコルク抜きを渡します。
良枝さんが私の傍に来て、「瑛斗、ありがとう。大好きだよ」と耳元で囁いて席に座ると、それを漏れ聞いた鮎香瀬さんが苦笑しながら、三つのグラスにワインを注ぎます。「今日の新しい素敵な出会いと、変わらず美しい旧友との再会を祝して!」と挨拶し、三人で乾杯しました。
鮎香瀬さんの持ってきたサンドイッチは、本当に美味しかったです。その焼鳥店の店主は、まだイギリス領だった頃の香港で、四つ星ホテルの厨房で五年間、その後、マカオのレストランで二年間も働いていましたが、お父さんが倒れたので帰国し、家業を継いでから、裏メニューとして本場仕込みのサンドイッチやローストビーフ、イングリッシュマフィンサンド、マカオで覚えたエッグタルトを常連客に出しているそうです。
「改めて自己紹介させてもらうよ。私がエロくて美人な40代女医のアイリーン。
こいつがキス魔の40代人妻で、年下男と不倫の真っ最中のビーノ。
そして、君が、その不倫相手で女装が似合う変態君だね。
ビーノの彼氏だから君のことは歓迎するよ。
だから我々を、この呼び名で呼んで構わないから。
秘書に採用したら、変態君にも素敵な呼び名を付けてあげるからね」
こうは言われても、いきなり鮎香瀬さんのことをアイリーンとは呼ぶ勇気はありません。彼女は万事がこんな調子でした。
突然、良枝さんが、さっき聞いた長谷部先生の話を鮎香瀬さんにしてもいいかと尋ねてきます。
「アイリーン、あのね、島崎くんは高校生だった頃、
千葉の女流画家の絵画モデルをやっていたの。
その画家に貞操具を付けた少年画を依頼してきた
50代の不動産管理会社の女性社長がいたんですって」
「関谷? 不動産関係の女性社長で、そんな絵を描かせる関谷と言えば、
関谷姉妹の
女子高生の頃からチャイルド・マレスター(小児性犯罪者)で、
可愛い男子児童を見つけては、
汚れているからお風呂に入ろうねとか騙して、
自宅に連れ込んでは裸にして、悪戯しまくってた
ナチュラル・ボーン・性犯罪者な。
何度もやったんで、御近所に知れ渡って、
警察にも目を付けられて故郷にいられなくなってな。
実家が○○県○○駅周辺の大地主で、腐るほど金があったから
都内のビル3棟ほど買い与えて、性犯罪者だった娘を
不動産管理会社の社長にロンダリングしてやったの。
当時、何もせずに毎月2000万以上の家賃収入があるから、
(註:現在の貨幣価値で約6000万円)
児童劇団や芸能プロダクションのスポンサーやオーナーになって、
役者や歌手志望の若い男の子を沢山飼ってたよ」
私は絵のクライアントだった関谷社長について、何も知らなかったのですが、鮎加瀬さんと良枝さんの知人でした。父親似のため体形も含めて、男優の田口浩正にそっくりですが、三歳年下の妹である
「田口浩正似の女子高生ですか… あぁぁ、イメージできました」と言う私の微妙そうな表情を見て、良枝さんと鮎香瀬さんが大笑いをします。
「アイリーン、その田口浩正似の関谷瑞枝なんだけど、
昔、みんなと一緒に彼女のビルに行ったじゃない?
そのとき案内されたプレイルームに飾ってあった絵を覚えている?」
関谷社長は長谷部先生だけでなく、数名の画家に少年の裸画を描かせていました。多くが緊縛や女装、拘束具や貞操具を付けた被虐絵、もしくは少年同士の絡み絵でしたが、クオリティーは玉石混交だったそうです。自己所有のビルのワンフロアを「隠れ家」と称して、若い子を囲っており、そこの部屋や廊下に飾っていたそうです。
「ああ、もちろん覚えているよ。
超悪趣味なヤリ部屋に飾ってあった絵だろう?
あのF20号(727x606㎜)サイズの三枚は傑作だった。
一枚300万だかで描かせたとか関谷が自慢してたよな。
三枚とも金属製の貞操具を付けた痩せた少年がモデルで、
黒いロンググローブの手ブラで乳首を隠しているポーズの絵が好きだったな。
ルージュとアイシャドウが濃い商売女みたいなメイクでね。
妖艶かつ淫靡だけど妙に綺麗で、あんな子が悲しそうに立っていたら、
是が非でも拾って連れて帰っちゃうな。
前にも話したけど、私が女性っぽい男性を探し始めたきっかけは、
関谷コレクションの、あの絵を見たときの衝撃なんだよね」
「あのね、アイリーン、信じられないだろうけど、
あの貞操具の少年のモデルは、ここにいる瑛斗っぽいんだよ」
「いやいや、ビーノ、お前、変態君と何年、付き合ってんだよ?
そんな話、今まで一度もしたことなかったろうが。
いくら彼を雇って欲しいからって、嘘はダメだぞ」
鮎香瀬さんは、記憶にある絵と私の顔が違うと言って、良枝さんの言うことを信じません。あの絵を描いてもらったのは、10年以上前の高校生の頃だし、濃い化粧をしていたので、違っても当然なのですが……
「嘘じゃないって! 私だって瑛斗から話を聞いたのは今日なの。
もう可哀想でショックで泣きそうだったよ。
顔は高校生の頃とアラサーじゃ違って当然でしょう?
アイリーンだって、高校時代は、もっと可憐な美少女だったじゃない。
瑛斗、悪いけど、さっきの長谷部先生とアトリエでの話、
アイリーンにも聞かせてやって」
話し始めたときは、鮎香瀬さんは鼻で笑いながら、お構いなしに茶々を入れてました。しかし話が進むにつれて、だんだんと無言になっていきワインだけを飲み、最後はワインを飲むことも止めて、じっと聞き入っていました。
「つまり、あの傑作三枚を描いたのは、千葉の長谷部響子って女流画家で、
モデルは高校時代の変態君ってことか。
……ちょっと待ってよ。変態君は今、何歳よ? 今年30歳か。
ビーノ、私らが関谷瑞枝のビルに行ったの何年前だっけ? 11年前?
ってことは変態君は19歳か。なるほど。数字的には合っているな」
鮎香瀬さんはロンググローブの絵について、あの構図やモデルの衣装や化粧は、関谷瑞枝からのリクエストなのかを尋ねてきました。
関谷社長の依頼は、ポーズや衣装が変更されることがあり、あの絵も最初はエナメルのニーハイブーツも履いてて、床に座らされた状態でM字開脚し、両腕は腕枷を嵌められ、吊るし上げられた状態という指示でした。しかし、すぐに立ちポーズに変更され、それに伴ってニーハイブーツは履かなくなって、ロンググローブと首輪だけの手ブラポーズに変わりました。
あの濃い化粧は関谷社長がメイクアップアーティストを長谷部先生のアトリエまで派遣してくれ、その方と先生が相談して決めたなどの裏話も披露しました。
「へぇーあの絵に、そんな舞台裏があったんだ。
ところで変態君は関谷瑞枝に会ったことあるのかい?
あの女だったら、金を払うからモデルに会わせろとか、
平気で言ってきたと思うんだけど?」
実は、関谷社長から四枚目の絵の注文があり、その際に社長がモデルの子と旅行に行きたがっているので、長谷部先生にも紹介料を支払うから、一緒に旅行するよう説得して欲しいという要望がありました。
長谷部先生が「それは、できません」と拒絶したら、向こうは手を変え品を変え、なんとか先生を懐柔しようとしたものの、最後まで態度を変えなかったら、四枚目の絵の注文がキャンセルされました。先生は、「あんな要求は絶対に飲めないからいいんだよ」と悔いてはいない様子でした。
「ほぉ、長谷部は、変態君を関谷瑞枝に売らずに守ってくれたんだ。
人として最後の一線は越えなかったとは、偉いじゃないか。
まぁ、もし奴に売られていたら、とっくに堕ちて沈んで、
今頃、こうして会うこともなかったろうから、その点だけは長谷部に感謝だね」
鮎香瀬さんが彼女を褒めましたが、実際には、そうではないと思います。もう、この頃の長谷部先生は、私に完全に依存して壊れた状態だったので、自分の管理者である若い彼氏は、例えパトロンであっても絶対に会わせたくないという考えで、教え子だからとか、人として、どうこうではなかったと思います。
「貞操帯を付けたまま勤務先の中学校で授業して、
その鍵を高校生の彼氏に預けて、私は管理されてるとかぬかす屑だからな。
壊れていたのは間違いないね。まぁ、こういうのは、
間近で見ていた変態君の意見が正しいんだろうな。
……いや、話は、かなり脱線したけど、
変態君が、あの絵のモデルだというのはわかったよ。
疑って悪かったけど、目の前に本人がいるなんて、普通は信じないよ。
ビーノの彼氏ってことは、8年くらい前から身近にいたんだね。
いや、世の中は狭いな」
いつもはグラス一杯しかワインを飲まない良枝さんが、珍しく二杯目を飲んでいます。鮎香瀬さんに話を信じてもらえて嬉しそうです。
「ねぇ、瑛斗、長谷部先生の壊れっぷりのエピソードって、
貞操帯を付けて授業やってた以外もあるの?」
「ありますよ。例えば、高校の文化祭の準備の買い出しで
クラスの実行委員の女子と一緒にチャリでホームセンターに行ったとき、
たまたま、先生が、その様子を車から見ていたらしくて…」
突然、鮎香瀬さんが話に割って入ってきます。
「……待って! 変態君、ちょっと話しを止めてくれよ。
ワインがなくなるんで、ミニバーからビール取ってくるから。
長谷部の話、冷えたビール飲みながら聞きたいんだよ。
変態君もビール、飲むかい? ここのビール、エビスなんだよ。
持ってくるまで話を止めとけよ!」
当初の目的の秘書面接そっちのけで、しばらく長谷部先生の話題で盛り上がりました。
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