第11話 再会
私にとって滝谷久美子さんの最大の魅力は、敷島良枝さんと似ていたことでした。実際には良枝さんが「鷲鼻になった高橋ひとみ」なのに対して、滝谷さんは、そこまで鼻は高くはなくて、少し中島朋子が混ざる優しげな印象でしたが、二人を並べて姉妹だと紹介すれば、ほぼ全員が信じるであろうレベルでした。
ただ、似ているのは顔だけで、174センチの高身長で広い肩幅に厚い胸郭、長い脚と大きな胸、鍛えて割れている腹というアスリートや女性格闘家のような良枝さんに対して、滝谷さんは高からず低からずの164センチの身長、華奢な身体に70Cカップのきれいな形の胸という女性らしい身体でした。
良枝さんと二人でいるときは、アスリートとマネージャー(もしくは付き人)だと思われることが間々ありましたが、滝谷さんとだと普通にカップル認定で、ウインドウショッピングをしてても、二人は結婚する、もしくは結婚を考えている前提で商品を勧められるし、彼女が誕生日祝いに予約してくれたレストランでは、マネージャーから「お二人とも、とってもお幸せそうですが、御結婚されて長いのですか?」と尋ねられたりもしました。
私が二人目の男性ということで拗らせた性癖もなく、六年間も放置されていた身体は開発の余地があって、半年もすると胸がサイズアップして艶っぽさが漂い、表情も変わりました。以前は全くなかったのに、街中や仕事先で男性から声を掛けられるようになったと彼女自身が驚いていました。
しかし似ているが故に、彼女が仕掛けてくる恋人仕草に良枝さんを思い出すことがあり、「あのときは酷いこと言ってしまった」とか「できことなら謝りたいな」という後悔を常に感じていました。
決定的だったのは、名古屋を発つ前日の出来事でした。布団や枕まで引っ越し用ダンボールに詰めてしまったので、その日は滝谷さんとのデートも兼ねて伏見のヒルトンホテルに宿泊しました。
最後の夜なので彼女が甘えてきて、なかなか寝かせてくれず、午前三時近くまで起きていましたが、引っ越し作業の疲れもあって私は、いつの間にか寝落ちしてました。
翌朝、いつまでも寝ている私を起こすべく、滝谷さんは偶然、かつて良枝さんがやっていたように私の顔を優しく撫でてからキスしてきました。完全に目が覚めていなかった私は勘違いをして、あれ?今日は舌を入れてこないんだと思いながら、寝惚け
「あのときは酷いことを言って、ごめんなさい。本当は大好きです」
「なにそれ?どうしたの?瑛斗、変な夢でも見てた?」
その一言で我に返りました。そうか。良枝さんのわけがないもんな。滝谷さんは笑っていましたが、自分の本心がわかった瞬間でした。
顔は似ているけど、滝谷さんはバッティングセンターでホームランを連発した後、海からの日の出を見にドライブに行こうなんて突拍子のないことは言いません。首にチョーカーを付けてはくれないし、ストッキングを履いてとお願いしてくることもなければ、お揃いだねとスリーイン・ワンを見せ合うことだってしません。抱いているときだって貪るとか溺れるまでになったこともないです。
母が入院したという知らせを受けたとき、看病のために会社を辞めて千葉に帰ると滝谷さんに伝たら、いつ名古屋に戻ってくるのかを尋ねられました。
「いつ戻るかなんて、母の病状次第だから、わからないよ。
仕事だって辞めたから、もう名古屋には戻らないかもしれないし。
相談だけど母の看病が終わったら、東京で一緒に暮らす気はない?
クミの郷土愛もわかるけど、住んでみて気付く街の良さだってあるよ。
グラフィックデザイナーの仕事なら都内でもあるし、
夢だった漫画家を目指すことも可能だよ。
クミが望むなら、俺も、その夢を応援するし」
たぶん滝谷さんがOKしてくれてたら、東京での同棲生活を経て彼女と結婚し、その後の私の人生は今とは全く別物になっていたでしょう。残念ながら彼女の答えは同棲はYesだけど東京はNoでした。
「私は千葉や東京には行けない。
仕事も友達も家族もみんな名古屋だし、
生まれ育ったこの街が一番好きだから離れたくない。
どうして、二人で住む場所が東京じゃなきゃいけないの?
もちろん、瑛斗のことは大好きだから絶対に別れたくない。
だから、お母さんの看病が終わったら、戻ってきて欲しいの。
住む場所なら、私の部屋で二人で暮らせばいいし、
仕事だって、きっとすぐに見つかるよ。
もし、なくても私が瑛斗を食わせてあげる。
だから、東京じゃなくて、こっちで一緒に暮らそうよ」
千葉に引っ越して、滝谷さんとは会えなくなりましたが、頻繁にメールと電話はありました。「お母さんの容体はどう?」「瑛斗、ちゃんと寝て、しっかり食べてる?」「また瑛斗に会いたいな」最初は私や母を気遣ったメッセージや近況報告でしたが、次第に付き合い始めの頃には、おくびにも出さなかった結婚に関する話題が増えてきて、滝谷さんの態度も変わっていきます。
「両親が瑛斗に会いたがっているの。
千葉に行った彼氏は、ちゃんと名古屋に帰って来て、
本当にお前と結婚する気はあるのかって。
だから近いうちに一度、挨拶に来てくれない?」
「母が入院中なんだから、すぐは無理だよ。看病が終われば、
必ず挨拶に行くから、そう上手く御両親に伝えておいてよ」
「私が30歳だから、両親は結婚と名古屋での生活の確約を欲しがっているの。
私は年齢とか全然、気にしてないよ。でも二人がうるさいの。
あと私が一人娘だから可能ならば、婿養子が一番いいけど、
もし瑛斗に抵抗感あるなら、最初は私が島崎姓になって、
40代とかになってから夫婦で滝谷の籍に入るでも構わないよ」
「ちょっと待って。俺、名古屋に戻るって約束したことあった?
クミには断られたけど、俺は東京で一緒に住みたいって提案したよね?
婿養子とか夫婦で滝谷の籍とか、なんか俺不在で勝手に話が進んでない?」
「私と結婚するなら、名古屋に住むしかないんだし、
一人娘だから家や籍の話が出るのは仕方ないでしょう。
瑛斗は、ちゃんと私と結婚してくれるんだよね?
お母さん、自宅看護じゃなくて入院でしょう?
それなら、病院がお世話してくれるんだから、
1日くらい抜けても大丈夫じゃないの?
……初めて栄で三人で会う直前にナーザンが教えてくれたの。
私が28歳だったから、付き合う相手は、
結婚が前提じゃないか瑛斗が気にしてるってね。
だから、私、瑛斗の前では絶対に結婚の話をしなかったんだよ。
だって、どうしても瑛斗の彼女になって、結婚したかったんだもん。
本当は最初から、ずっと意識していた。
私は瑛斗と結婚できて、名古屋に住めれば、あとは何もいらない。
うちの両親だって、きっと瑛斗のことを大切にしてくれる。
絶対に悪い結果にならないから私のお願いを聞いて」
こっちは母親が入院中で結婚どころではないのに、自分と家族の要求だけを押し付けてくる彼女に対して、愛情が冷めた瞬間でした。滝谷さんが好きだったのは、名古屋で暮らす島崎瑛斗であって、私本人ではなかったようです。
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いろいろ考えた結果、私は良枝さんに連絡することにしました。
散々罵声を浴びせられでもすれば、自分の中で諦めがつくし、新しい彼氏ができていたら、それはそれで仕方ありません。
自分の本心が名古屋最後の朝にわかった以上、やり直せるものなら、やり直したいので、中西さんの持ってきた再雇用の返事は、良枝さんと話した後に決めることにしました。
久々に携帯電話で敷島良枝の電話番号を選択し、発信ボタンを押します。幸い番号は変わってないらしく、呼び出し音が聞こえました。
「……はい。もしもし」
「島崎です。ご無沙汰してます。今、少し大丈夫ですか」
「え! 本当に島崎くん? 本当なの? え? どうして?
うんうん。大丈夫だよ。大丈夫。
今、周りに誰もいないから。え? どうしよう。ドキドキしてる」
懐かしい良枝さんの声です。どうやら、いきなり怒鳴られたり切られることはなさそうな雰囲気です。
「今、会社を辞めて千葉の実家に戻っているんです。
以前、良枝さんに電話で酷いことを言ってしまって、ずっと後悔してました。
だから一言、謝りたいと思って電話しました」
「ちょっと待って。今、気持ちを落ち着けるから。待っててね。
あ、絶対に切らないでね。うわ、どうしよう。心臓がヤバい。嬉し過ぎる。
あのね、あのときは私もどうかしていたから、
私の方こそ謝らなきゃいけないの。
ごめんね、あのときは島崎くんを信じてあげられなくて。
お互い様だから、謝るとか全然気にしないで。
というか、今日、こうして電話をくれたんだから全部帳消しだよ。
私ね、島崎くんと別れた後、あんまりにも悲しくて寂しくて、
ずっと泣いてて、ファミレスも辞めちゃたんだよ」
「今日の星占いで天秤座の運勢は、
懐かしい人から嬉しい連絡がありますってなってて、
島崎くんだったら、いいなって思ってたの。嘘じゃないよ。
あー まだ信じられない。電話くれて、本当、嬉しいよ。
オバさん、嬉しくて、さっきから涙が止まらないよ。どうしよう」
なんか、こっちが泣きそうでした。良枝さんは全然、変わっていません。こんなことなら、もっと早く電話すれば良かった。
お互いの近況報告もあるから、直接会おうということで、翌週、都内で久々の再会をすることになりました。
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