第十四話
「ヴァンさん、剣を拾ってください。まだ終わってはいませんよ」
鋭い視線で射抜かれ怯むヴァン。
グランツの表情は戦士そのもの。戦場さながらの空気に思わず困惑してしまう。
「どうしたのです? 本職の剣士が魔術師に負けるはずがないのでは?」
「いや、ちょっと待って……」
「問答無用」
剣による薙ぎ払いを寸前のところで躱すヴァン。転がりながらもなんとか剣を拾いグランツから距離を取る。
「ちょっと待って……戦場でそれが通じますかな? 剣を拾う時間を敵がくれますか?」
依然グランツの表情は険しいまま。剣を構えるその姿は本職の剣士と遜色ない。
「ヴァンさん、貴方が何を思いどう行動するかは自由です。ですが……失ってからでは取り返しのつかないこともあるのですよ」
「くそッ……」
ヴァンとグランツの剣が重なり鍔迫り合いとなる。
必死に押し返そうとするヴァンではあるが、グランツは微動だにしない。
「剣も魔法も同じです。心の乱れが顕著に現れます。貴方の剣は軽すぎる」
「⁉︎ そんなことはない! 俺の、俺と爺ちゃんの剣は軽くなんかない!」
金属同士が激しく擦れるような音が響く。ヴァンの感情による影響なのか、剣は熱を持ち始める。
「武人は武器を重ね合わせることで相手の力量が分かるといいます。ヴァンさん、貴方は二年前に最強となり得る存在を知ってしまった……」
「さっきから何なんだよ!」
熱に対抗するようにグランツは剣に水を纏わせる。熱が冷やされ二人を中心に蒸気が漂い始める。
「剣聖に続く存在。次代を担う新たな最強。頭では否定しても心の中では分かってしまう。貴方が優れた剣士故に……」
「……黙れ」
二人の姿は完全に蒸気に覆われ視界が白く染まる。
「いつか来るであろう剣聖の終わりを貴方は悟ってしまった」
「黙れぇぇぇーーー!」
空き地全体にまで広がっていた蒸気をヴァンの炎が一瞬で吹き飛ばす。上昇気流により周囲には激しい風が発生していた。
「これは……
ヴァンの背後には巨大な剛腕が現れていた。灼熱の炎で錬成された炎の化身の片腕。その手には同じく炎で創られた大剣が具現化している。
ヴァンが剣の切っ先をグランツに向けると連動するように剛腕も動く。
「これが爺ちゃんの力だ……。爺ちゃんは最強なんだ!」
「……ヴァンさん。マスフェルトさんは貴方が言うように最強の剣士かもしれません。――ですが完璧ではないのですよ」
そうかよと呟きヴァンは剣を振りかぶる。
手加減はしない。後悔もしない。
剣聖を否定する存在を許すわけにはいかない。例えそれが剣聖と肩を並べた賢者であったとしても。
そうしなければ、そうでなければ、これまでの全てを否定することになってしまう。
「燃やし尽くせ……!」
振り下ろされた炎の化身の斬撃。剛腕に握られた豪火の剣はグランツはおろか周囲の全てを焼き尽くそうと牙を剥く。
夕闇に染まりつつある街に光が瞬く。輝く焔によって赤く熱く燃え上がる。
「ヴァンさん。貴方はマスフェルトさんにはなれません。先ずはそれを認めることです」
グランツの持つ剣はヴァンとは対照的に静かであった。
「そして、完全無欠など存在しないことを理解することです」
凪のように穏やかな魔力を剣に纏わせる。派手さがなければ圧倒的な力も感じられない。
「人は……独りでは生きていけません」
一閃。
燃え盛る化身の腕と大剣。それを横一文字に斬り裂く。
音が消え、炎が消失し、激しい突風が吹き荒れる。
ヴァンの背後に顕現した炎の化身は完全に消滅していた。
「いつか、心穏やかな貴方の剣を見てみたいものです」
その言葉を最後にヴァンの戦意も失われていた。
✳︎✳︎✳︎✳︎
街が闇に沈みつつある頃、空き地には二人の影があった。
グランツとヴァン。両者の戦闘は終わり地べたに腰を下ろしていた。
「落ち着きましたかなヴァンさん?」
「……あんた魔法が専門じゃなかったのかよ」
ディアバレト王国の賢者。魔導の真髄へ迫ったとされる国の叡智。
興味の無いことに対してはとことん無関心なヴァンではあるが、賢者の話題についてはよく耳にすることから頭に入っていた。とても凄い魔法を使うという大雑把な認識ではあったが。
「もちろん魔法が専門ですよ。私は元魔術師ですから」
「俺はその元魔術師にすら剣で負けたのか……」
項垂れるヴァン。王都とラギアスダンジョンではジークに完膚なきまでに叩きのめされたが、今回はその時以上に受けた精神的ダメージは大きい。
驕りからの油断に真正面からの力負け。ヴァンにはもう言い訳すら残されていなかった。
「慰めに聞こえるかもしれませんが……貴方の剣は決して弱くはありません」
嘘つけよと内心思う。ここまできたなら最後まで罵倒して欲しかった。下手な気遣いは余計に凹んでしまう。
「貴方が本調子であれば、最後の一撃で私は消し炭になっていたでしょう」
「それこそあり得ねぇよ。俺は未だに爺ちゃんの奥義を習得出来てないんだからな」
自嘲するように笑うヴァン。
祖父であるマスフェルトとの修行は何年も続けている。多くの剣術を学び修めてきたが剣聖の奥義には届かなかった。
「分かってたはずなのにな。永遠に最強な存在なんていない。必ず次が出てくる。それが俺じゃなかったって話だ……」
王都で出会った同年代の貴族だけではない。目の前にいる賢者もそう。自分よりも優れた人間は沢山いる。そういう彼らの存在により、剣聖の名も記憶も人々から忘れ去られてしまうのだろう。
「俺は……特別なんかじゃなかった。ただの剣聖の孫だったんだ」
視界が滲む。これまでの全てが崩れてしまう感覚。見ないように、気が付かないようにしてきたが、それももう限界だった。
「ヴァンさん……貴方は何故剣士になろうと思われたのですか?」
「何でって……」
何でだったかなと思い出す。特に大きなきっかけはなかったはずだ。
幼い頃に見た父と祖父の立ち合い。離れた位置で見守る優しい母。
目にも留まらぬ剣の応酬を見て純粋に抱いた感想は憧れであった。いつか自分も同じようになりたいと木の棒を振っていた。それが始まりであった。
「……カッコ良かったから、か。ホントくだらない理由だ。こんなので強くなれるわけないのにな」
「私は……それでもいいと思いますよ」
顔を上げるヴァン。
立ち合い中の険しい顔とは異なり穏やかな笑みを浮かべているグランツ。優しい陽だまりのような笑顔であった。
「いいじゃないですか。格好が良い、強くなりたい、誰かのようになりたい。人の誰もが抱く感情です」
「いや、そんな子供じみた理由が……」
「ヴァンさん。貴方が慕うマスフェルトさんも目の前の爺も初めは皆子供ですよ? 子供だからこそ成長出来るのです」
ヴァンに雷を落とすマスフェルトからは想像もつかないが、確かにその通りである。生まれた時から老人では一種のホラーである。そんな当たり前のことすらヴァンの頭からは消えていた。
「貴方がマスフェルトさんを目指すのもジークさんにライバル意識を抱くのも自由です。……ですが、それは今必要なことなのでしょうか?」
「……!」
「マスフェルトさんに残された時間は……決して長くはない」
息を呑むヴァン。
そもそも自分が商会を離れて旅をしている理由がマスフェルトの治療法を探すことであった。
マリア教会の治療も薬師協会の薬も効果がなかった。だからこそ一縷の望みにかけて未開のダンジョンに挑んだのだ。
「色々なことに囚われ過ぎて心と体がちぐはぐになっています。今は一つのことに集中するべきです。それ以外のことは後から考えればいいのですから」
思う結果が得られず時間だけが過ぎていった。焦りと不安に駆られていた時にジークと再会した。二年前の記憶が呼び起こされヴァンは分からなくなっていた。
「俺は、どうしてこんな……大切なことを」
情けなさが胸中を占めていたが今では怒りに満ちていた。他の誰でもない自分自身に。これでは本当に
「その様子でしたらもう大丈夫そうですね。一緒に方法を探しましょう」
「一緒にって、あんたは、いやグランツさんはそもそも……」
「乗り掛かった船、マスフェルトさんには色々と助けられましたから。……それに私だけではないようですよ」
グランツが視線を向ける先には二人の姿があった。
いつも通りの無表情なアトリに困ったような苦笑いをしているエリスであった。
「アトリはともかく何でエリスまで……」
「お二人には情報収集をお願いしていました」
光源代わりなのか、二人の周りには光を放つ球体が浮かんでいた。
「事情を聞いたからにはほっとく訳にはいかないでしょ。……その代わり依頼料はしっかりもらうわよ」
「ほっほ、強かですねエリスさん」
当然よと胸を張るエリス。裏表のない真っ直ぐな性格は今のヴァンからすれば輝いて見えていた。
「……ヴァン、ばっかもーん?」
「あぁ、爺ちゃん以上にしごかれたよ。でもお陰で目が覚めた気がする」
瞳には決意の色が現れている。がむしゃらに剣を振っていた時とは異なる姿を見てアトリは安心していた。
「それでバジリスクの情報はありましたかな?」
「ダメね。少なくとも依頼は無かったわ。竜ってのもあるけどそもそも希少種って話だし」
「バジリスク? 何の話だ?」
そうだったわねとエリスが事情を説明する。マスフェルトを救うきっかけがバジリスクにあるかもしれない。ジークから齎された情報であった。
「何であいつがそんなことを……いや今はそうじゃないな」
「アトリさんから話を聞きましたが、マスフェルトさんの症状はとある奇病と酷似しています。それは『魔力硬化症』と呼ばれています」
魔力硬化症。聞き慣れない病名に首を傾げるヴァン。エリスやアトリも同様であった。
「数年前に治療法が見つかった不明点が多い病となります。この街にはその『魔力硬化症』を克服した少年がいました」
レント領で暮らしていた当時十二歳の少年。
少年の父親である騎士団の連隊長があらゆる手を尽くして治療を試みたが、少年が快復することはなかった。
「その少年ってまさか……」
「はい、お話に上がったルーク・ハルトマンさん。彼がその少年です」
ルーク・ハルトマン。その名ならヴァンも知っていた。同年代の人間が最年少で騎士団に入団を果たす。
一体どのような人物なのかヴァンは気になっていた。
「ここを療養地に選んだのもそれが理由だったのね」
「近かったという理由もありましたがね。……バジリスクの情報がないなら彼の話を集めてみるのも良いかもしれません」
繋がった。一度は全てが無駄となり振り出しへと戻っていたがまだ可能性は残されていた。
諦めるのはいつでも出来る。まだ終わりではない。
「よし、じゃあ明日からはバジリスクの情報も探しつつ、ルークって奴の話も聞こうぜ」
「乗ってきたわね!」
「……お腹すいた」
何でだよ!とツッコむヴァンと楽しそうに笑うエリスに無表情なアトリ。そして柔らかい笑顔を浮かべ三人を見守るグランツ。一つのパーティができていた。
「さて、夜が更けてきましたから宿に帰りましょうか」
グランツの言葉により三人は歩き出す。重苦し雰囲気は消えていた。
三人から少し離れた位置で空を見上げるグランツ。雲の無い夜空には星々の輝きがある。先を進む若者達を祝福するかのような輝きであった。
「そう、完璧な人間など存在しない。ジークさんもまた不完全な人間なのです」
何処か悲しそうなグランツの発言は誰の耳にも届くことはなかった。
第三章 誰かの前奏曲と後奏曲 終
✳︎✳︎✳︎✳︎
マリア教会の跡地。廃墟の地下を拠点の一つとする彼らのアジトには複数の姿があった。
「災難だったね〜、まさかラギアスと鉢合わせるなんてね」
クスクスと可笑しそうに笑うパリアーチ。その姿だけを見ればただの子供のようである。
「あいつは化け物か? 何故俺達の行動を予測出来る?」
「そうだね……やっぱりラギアスには一定の情報が王家から流されている。そうとしか考えられないよ」
うんうんと頷くパリアーチに胡乱な目つきとなるデクス。明らかに疑っていた。
「まぁまぁ、そこは当事者に聞いてみようよ。……ねぇフェルアート?」
「……どうでもいいだろ、そんなこと」
燃え盛るような赤髪が特徴的なフェルアートではあるが、地下ではまた違った印象を受ける。本人の心情が影響しているのか、赤髪が燻んで見えていた。
「手酷くやられたようだな? まぁ俺も人のことは言えんがな」
「……次は必ず殺る。今回は制限があっただけだ」
瞳に浮かぶのは憎悪。憎しみに囚われたフェルアートには何よりも優先するべきことがあった。
「やめときなよ。あれは無理! 災厄は殺すとかそういうことは出来ないの」
「……なら、ラギアスの家族を狙う。全員皆殺しだ」
「色々な意味で却下だな。両親が死んだところで奴はなんとも思わん悪党だ。それに親が死ねば『番人』が継承される可能性が高い。そうなれば……突破はかなり厳しくなる」
頭を冷やせとデクスから声がかかるがフェルアートには届かない。ラギアスは必ず消す。消えなければならない。その思いだけで進んできたのだ。
「あんまり勝手なことしてると怒られるよ? ――次が事実上最後の『鍵』だね」
「あぁ、奴らも一枚岩じゃないってことだ。すんなり誘導出来た。『代替案』だけじゃあ、ちっとばかし不安だからな」
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