第二十二話 「魂の帰還」

「遼歌。遼歌、どうしたの?」 

(こ、このお声はっ!)

遼歌が振り返ると、花の様な笑みを浮かべて女性が笑っている。


「登子(とうこ)様!」

「ほほほ。遼歌は本当に可愛いこと」

まるで子犬の様にじゃれつく遼歌の頭を優しく撫でる登子。


 この女性、赤橋登子と言い足利尊氏の正室である。

花好きであった登子は、【草使い】の遼歌をまるで妹の様に愛しんでいた。


「ほら、登子様。桃の花が咲きましたよ」

「本当、綺麗ねぇ」

「お花より、登子様の方が・・・」

「何か言ったの? 遼歌?」

「い・・・、いえいえいえ。何も・・・」

憧れの視線を登子に向けていた遼歌が、慌てて手印を結ぶ。


«ポンポンポンッ»

耳には聞こえない様な小さな音と共に足元の草花も花を開く。


「登子様、足元のかすみ草も綺麗ですよ」

「まぁ! いつの間に」

嫋やかな笑みを見せる登子、そしてその隣で満足気な笑みを浮かべ続ける遼歌。

そんな幸せな時間を過ごす2人に敵意を向けている者が居た。


「登子」

「あら、お戻りでしたの」

「何度呼んでも上の空。6度目でやっと気が付くとはのう」

「申し訳ありません。つい、遼歌と花に夢中になっておりましたので」

「毎日毎日、花ばかり・・・」

現われた男性は苛立ちを含んだ視線を遼歌へと向ける。


「御無礼を致しました。私はこれで」

チラリと名残惜しそうな視線を登子へと向ける遼歌。


「良いではありませんか。武将とて、花を愛でる心のゆとりも必要でしょう?」

「えぇいっ! 勝手にするが良いわ!」

そう言うと男はドカドカと足音を立てて去っていく。


「宜しいのですか? 登子様?」

「室町に幕府を開いた征夷大将軍といっても、あの様子では些か心配です」

「尊氏(たかうじ)様の事を案じておられるのですね?」

「えぇ、如何に名門の足利家と言っても戦乱が治まった訳では有りません」

「・・・登子様」

「遼歌の咲かせる花を愛でるくらいの度量があれば」

そう言って、登子は空を見上げる。



「藤林・・・。そなた、【草使い】であったな」

「は、はい」

日を改めて、遼歌は尊氏に呼び出されていた。

いつもと違う離れの庭、登子の姿は無い――


「【草使い】と言うのは嘘であろう?」

「何を言われるのですか?」

「黙れ! お前は登子の心を妖術で誑かしておるのだ!」

「お、お待ちください! 尊氏様!」

「人心を誑かす妖怪がお前の正体であろう! 忌々しい、この儂が成敗してくれるわっ」

そう叫ぶと、手にした太刀を抜き、振りかざす尊氏。


「おやめください!」

「妖怪変化も儂が怖いのか。ははははっ」

「お願いです。登子様にお目通りを!」

「登子じゃと? あぁ、あの女なら儂が既に成敗したわ」

「成敗? 登子様を?」

「妖術に誑かされ、儂を無気にした罰じゃ。お前もこの太刀で登子の元へ送ってやろうぞ」

鬼神の様に顔となった尊氏が太刀を振りかざした。


(登子様がお手打ちになったのも尊氏様を狂わせたのも、全て私のせい?)

心の支えを無くした遼歌がガックリと項垂れる。


「儂は征夷大将軍、仇為すモノは全て罰するのじゃあぁぁぁっ」

叫び声と共に太刀が振り下ろされ。遼歌は意識を失った。




「奈々聖、こっち!」

「姉貴、もう無理。歩けないよ」

「しっかりしなさい。父上の母上も。奈於(なお)も、もう居ないのよ。私達が【水使い】を後の世に伝えないと」

「もう、嫌よ。何で、こんな目に合わなきゃいけないのっ?」


«パシーン»

奈々聖の頬が平手で叩かれる。


「私達まで死ぬ訳には行かないでしょ。私が絶対に奈々聖を守って行くから!」

「姉貴・・・」


 この時代、細川勝元と山名宗全が繰り広げていた戦いにより、各地の村々では数えきれない程の悲劇が生まれていたのである。

【水使い】の術者であった霧隠家も騒乱に巻き込まれ、生き残ったのは、長女の奈巳(なみ)と三女の奈々聖だけであった。


 そして――


「姉貴? どうしたの?」

「ううん、何でもない」

戦火を逃れて暮らしていた奈々聖と奈巳にも少しずつ変化が訪れていたのである。



「奈々聖、水汲んで来て」

「・・・」

「奈々聖。竈の火、見てて」

「・・・」

「奈々聖。ちょっと、聞いてるの?」

「聞こえてるわよ」

「ちょっと、何? その言い方!」

「こんな言い方しか出来なくて悪かったわね」

「だからっ」

「姉貴は何でもあたしに命令するだけだから楽でいいわよね!」

「奈々聖!」

「年上だから、姉だからって何でも押し付けていいって訳じゃ無いでしょ!」

感情が高ぶって言葉尻のきつくなった奈々聖。


奈々聖からその言葉をぶつけられた奈巳は黙って、ワナワナと震えていた。


「姉貴なんて、大っ嫌いっ!」

「待ちなさい! 奈々聖!」

奈巳の止める声を背に、奈々聖は表へと走り出し丘を越えて小川の前で息を切らして立ち止まった。



「ハァハァ、姉貴の馬鹿!」

いつの間にか奈々聖の目からは止め処なく涙が零れ落ちていた。


「氷点の氷柱!」

奈々聖が手印を結ぶと、川の水が次々と氷柱となって飛んでいく。


「怒涛の水瀑!」


«ドドドドッ・バシャーン»

奈々聖の叫びと共に川の水が大量に巻き上がり、一斉に地面へと叩きつけられた。


«ポトポトポト・・・»

水しぶきが奈々聖の全身を濡らし、髪から水が滴り落ちる。


「馬鹿っ、馬鹿バカ馬鹿!」

奈々聖はそう叫びながら、何度も何度も両掌で自らの頭を叩く。


そして――

「ゴメン・・・。姉貴」

そう呟いたのであった。



«パチパチパチ»

囲炉裏の火が燃えている。


「・・・」

「・・・」

奈々聖と奈巳は黙ったまま、囲炉裏の火を見つめていた。


「あの・・・さ。姉貴」

遠慮がちに口を開く奈々聖。


両親と姉の奈於を失った日から、奈巳が自らのの面倒を見て来た事が奈々聖の脳裏に浮んでいた。


「その・・・」

素直にごめんなさいと言えない自分に苛立つ奈々聖。

そんな奈々聖を横目で見た奈巳がおもむろに口を開いた。


「奈々聖・・・。もう、いいよね・・・」

「何っ? 姉貴?」

姉の口から出た思わぬ言葉の意味を図りかねる奈々聖。


「私、もういいよね? 奈々聖から解放されてもいいよね? 父上も母上も、奈於も分かってくれるよね!」

ブルブルと震えながら、涙を流し重い言葉を吐き出そうとする奈巳。


「あ、姉貴・・・。ごめ・・・」

「ウワアァァァァッ!」

奈々聖の言葉を遮る様に奈巳は大声で泣き叫んだ。


「私だって、誰かに助けて貰いたかった! 奈々聖さえ居なかったら、好き勝手に生きられたのに!」

「っ!」

これまでに見た事の無い姉の変貌ぶりに驚く奈々聖。


「あんたさえっ。あんたさえ居なかったら、好きな人を見つけて2人で幸せに暮らせたのにっ!」

ジロリと奈々聖を見つめる奈巳の目には、はっきりと憎しみの色が見えていた。


「返してよ! 私の人生、返してよ! あんたに使った私の時を返してよおぉぉっ!」

「あ・・・、あぁぁぁぁっ」

夜叉の如き形相で迫ってくる奈巳に身動きできない奈々聖。


(あたしが壊した? いつも優しい姉貴を、あたしが壊しちゃったんだ)

呆然とする奈々聖の両肩を掴んだ奈巳が大きく揺さぶりながら叫ぶ。


「あんたが死ねば良かったんだ。そうしたら、私はもっと楽に・・・。奈於もそうだって言ってる!」

奈々聖は頭を鈍器で殴られた様に衝撃を感じていた。


「あ、あは・・・。あたしなんて消えちゃえ。そうだ、消えちゃえばいいんだ」

ポツリとそう呟いた奈々聖の瞳には、既に何も映っては居なかったのである。




「彩暉、起きるんだよ」

(お婆ちゃんの声?)


暖かな日差しの中で目を覚ました彩暉の前で老婆が微笑んでいた。

「巴留(はる)殿」

老婆を呼ぶ声が聞こえた。


「分かってるさね」

不機嫌そうに応えた巴留は、改めて彩暉へと振り返った。


「それで、どうだったんだい? 徳川様と石田様は?」

「徳川様・・・、石田様・・・。っ!」

彩暉はぼんやりとしていた頭の中でそれまで忘れていた事を思い出した。


「そう、徳川様と石田様は関ケ原で対峙しておられて」

「うんうん、それで」

「お2人とも、【獣使い】が力を貸してくれるならって、仰って・・・」

「そうかいそうかい」

巴留の顔に満足気な笑みが浮かんだ。


「で、徳川様は何と?」

「【獣使い】に【猿飛】の名と甲賀一帯の地を与えるって」

「ほおぉぉぉっ、それは豪勢だ。それで、石田様は?」

「確か・・・」

記憶を探る彩暉を急かす巴留。


「豊臣の家臣として、大阪城に自由に出入りして良いって」

「はっ?」

ニコニコと笑う彩暉とは対照的に呆れて不機嫌顔になる巴留。


「どうしたの? お婆ちゃん? きっと徳川様も石田様も仲良く出来るよ」

「彩暉、あんた何言ってんだい!」

「えっ!」

これまでと打って変わった巴留の言動に驚く彩暉。


「全く、これだからお前は・・・。まぁ、今回は少しは役に立ったみたいだけどね」

巴留はスックと立ち上がった。


「皆、決まったよ! あたし等は徳川に付く、打倒、石田三成!」

「はっ! 巴留様」

彼方此方から【獣使い】達が走り出していく。


「どう言う事? 争いを止めるんだって言ってたじゃない」

「やっばり、お前は馬鹿だねぇ」

「どう言う事・・・?」

「あたしがアンタを拾って育てたのは、1人前の妖術師にして高く売る為さ」

「そ、そんな!」

「まぁ、年若い娘の方が何かと便利だからねぇ。アンタは馬鹿だけど少しは役立ってくれたよ」

巴留の言葉に衝撃を受けて何も言えなくなる彩暉。


「そ、それじゃあ。幼いわたしを助けて、育ててくれたのは・・・」

「勿論、今日の日の為さね。それにしても、石田はせこいねぇ。大阪城に自由に入れるからって一銭にもなりゃしない。それに比べて。徳川様は甲賀一帯をくれるって? あははは、この戦が終わったら、あたしゃ、領主様だよ」

高笑いする巴留の声が彩暉の頭の中で谺した。


(あの優しいお婆ちゃんか、わたしを騙していたの・・・?)

これまでの巴留との様々な思い出が心の中で音を立てて崩れて行った。


「どうせなら、徳川様の妾にでもして貰いな。もう、お前の価値はそれ位しか無いんだからね」


«パラパラ・・・カラカラ、ガラガラガラッ»

彩暉の心の中に有ったこれまでの記憶が音を立てて崩れた。


(あの優しかったお婆ちゃんは、きっとわたしが作り出した願望だったんだ)

彩暉は黙って目を閉じる。


(もういい・・・。誰も、何も信じたくない・・・)

彩暉の心に黒く思い蓋が乗せられた――




「やはり、この程度であったか」

殺生石の河原で彩暉達8人が呆然と立ち尽くす姿を見た環藻が呟く。


「所詮は、ヒト如き・・・何とも脆いモノよ。女媧の言った通りになったな」

そう言ってその場を立ち去ろうとした環藻の眼前を何者かが掠めて飛んだ。


「虎鶫・・・。貴様か」

環藻の眼前を掠め飛んだモノは、一際大きな殺生石に止まった。


«フィーッ・フィーッ»

虎鶫の鳴き声が殺生石の河原に響き渡る。


「無駄だ。何をしようと、我が術は破れぬ」

そう言った環藻の目が小さな光を捉えた。


「こ、これは?」

環藻の視線が向けられた先、そこには額に【信】の文字を浮かび上がらせた彩暉の姿が有った。




(何かが鳴いてる。でも、もういいんだ。どうでもいい。わたしは・・・)


«フィーッ・フィーッ»


(あの声、【ぴぃ助】? そんな鳴かなくても・・・。【ぴぃ助】?  【ぴぃ助】って何だっけ・・・。確か、【鵺】と戦った時に・・・。【鵺】? 【十六夜】?)



(たかがヒト如きが、我が術を破ると言うのか?)

環藻が見つめる中、彩暉の額の文字は更に輝きを増していく。


(【十六夜】が言ってた・・・。心を強く持てって。そして、信じる心を失うなって・・・。はっ!)


彩暉の頭の中で何かが聞こえた。



<彩暉、お前はあたしの大切な孫さ。例え血が繋がって無くても>

(お婆ちゃん・・・。そうだよ、わたしのお婆ちゃんは、あんな事は絶対に言わない!)


彩暉の目がカッと見開かれた。


「馬鹿な・・・」

明らかに狼狽を見せる環藻。


「皆・・・」

目覚めた彩暉は周囲を見回す。



「思い出して! わたし達はいつも大切な人に見守られていた事を!」

彩暉の額の文字が更に大きく光を放った。



「こ、この光は・・・。まさか、八葉蓮華のっ」

環藻は成す術もなく、成り行きを見届け様としていた。


彩暉の手が印を結ぶと、額から光が伸び、他の7人の額へと向かって伸びて行く。



<歩南・・・。歩南、俺達はいつもお前と一緒だ>

(綴彌・・・。衣更祇斎様・・・)

<頼朝様がお前を裏切る事なんて有る訳ないだろ。俺も衣更祇斎様も、お前を信じてる>

「綴彌ぁっ!」

大きく叫び目を開けた歩南の額に【忠】の文字が輝く。




<奈々聖。私はいつでも貴方の味方。絶対に見捨てたりしないわ>

(姉貴・・・。ごめんなさい)

<何も謝らなくていいのよ。だって、私は奈々聖のお姉ちゃんなんだから>

(そうだ、姉貴はあんな事を絶対に言わない!)


奈々聖が眼を開くと、【悌】の文字が光っていた。



そして――


遼歌の額に【義】の文字が

結那の額に【智】の文字が

望永の額に【仁】の文字が

慧の額に【礼】の文字が

栞寧の額に【考】の文字が次々と浮かび、順に目を開けて行く。


「登子様を。尊氏様がお手に掛ける事なんて、絶対に有り得ないっ!」

「頼義様の御心。ご正室様も側室の皆様も私を愛しんでくれていたわ!」

「新皇様は決してボクを、日ノ本の民を恨んだりしてなんかいない!」

「平和の為に、遷都を成し得た桓武帝。あたしは信じている!」

「中大兄様は人を利用したりしない。いつも、御自分が先に立たれていた方なんだもの!」


次々と目を開く8人の少女達――

その視線が、環藻へと向けられた。 


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