第二十一話 「崩れ落ちる心」

«ホーホケキョ»

鴬の鳴き声が聞こえ、心地よい風が頬を擽る――


(あたし・・・。眠っていたの?)

暖かな日差しを感じながら、慧はそっと目を開いた。


「根来の術者よ。大儀であったな」

自らを呼ぶ声が聞こえ、慧は振り向く。


「陛下・・・。はっ!」

慌てて地に膝を付き畏まる慧。


「良い良い。この地に都を無事に遷せたのも、そなたの地鎮が有っての事じゃ」

「余りに勿体ないお言葉、痛み入ります。桓武帝様」

「見よ、この美しき平安の都。正に極楽浄土とも見えるぞ」

そよ風に乗って桜の花びらが舞い、静かに流れる川面へと落ちて行く――


「ところで・・・」

「はっ!」

「そなたに今一つ、頼みが有るのじゃが」

「何なりとお申し付けください。この根来の慧、【土使い】の名に懸けて如何なる事でも」

「そうかそうか。やはり、お主に頼んで良かった。では・・・」

それまでにこやかに笑っていた桓武帝の顔つきが変わる。


「それ!」

「はっ!」

「はっ!」

桓武帝がクィッと顎をしゃくると、両脇から現れた男達が圭の両手を掴むと捻り上げ、肩を押さえつける様に地面へと押し倒す。


「桓武帝! こ、これは? ご無体なっ!」

屈強な男2人に身体を押さえつけられた慧は、縋る様に桓武帝を見上げた。


「地鎮じゃと? この地の邪鬼をその霊力で押さえつけたのであろう?」

「一体、何を仰っているのですっ?」

「妖術使いの考える事など分かっておる。時を見て、邪鬼どもを従えて朕を脅しに来るつもりであろうが!」

「ご、誤解です。あたしは、この国の為に。日ノ本の国の為にお役に立ちたいと」

「妖術師の詭弁など聞き飽きたわ!」

「桓武帝・・・」

「そなたにはここで都の平穏の為に尽くして貰おう。未来永劫にな」

桓武帝の顔が醜く歪んだ。


「この妖術師を人柱としてこの地に埋めるのじゃ。最後まで役に立ってくれたのは感謝するぞ」

ニヤリと笑う桓武帝。


「嫌あぁぁあっ! やめてえぇぇぇっ!」

狂った様に泣き叫ぶ慧はいつの間にか丸太に縛られ、深く掘られた穴へと突き落とされる。


「しかりと埋めておけ。そうじゃ、来年はここに桜の木を植えよ。お前が埋められた事が皆にも解かる様にな。おっほっほっ!」

(あたしのした事って何だったの? 何でこんな事に?)


«ザッザッザッ»

縛られた慧の顔に身体に、無情にも土が掛けられていく。


(あたしは、もう・・・。もう・・・)

高笑いする桓武帝の声も少しずつ遠くなり、土の冷たさが身体の芯まで伝わった慧は奈落に堕ちる様に目を閉じたのである。




「都はすぐ、そこぞ! 坂東武者の世が始まるのじゃ!」

«ウオォォォォッ»

«エイエイオー! エイエイオー!»


(この勝鬨って・・・。まさかっ?)

望永は驚き飛び起きた。


「目覚めたか? 【風使い】」

「こ、これはっ! 新皇様っ!」

望永を覗き込む様にして、平将門(たいらのまさかど)が笑っていた。


「伊予では藤原純友(ふじわらのすみとも)も立った。日ノ本の国は我が手にあるぞ。そなたの力には感謝しておる」

「そんな・・・。ボクはただ、この国の皆の為に」

はにかんだ望永がそう、言い掛けた時――


「逆族、将門ぉぉぉっ!」

「フッ、貞盛(さだもり)か。何を血迷ったか。我の勝利は揺るがぬわ!」

将門が騎乗し、手綱を握った時であった。


«ビュオォォォォォッ!»

それまでとは真逆の方向へと風が吹き砂を巻き上げたのである。


「な、何いっ!」

突然の事に将門が、嘶く馬に翻弄された時――


「勝機天来!」

将門へと弓を引き絞った武将が矢を放つ。


«パシューン!»

弓から放たれた矢は、一直線に将門へと向かって飛んだ。


「新皇様! 危ないっ!」

慌てて手印を結ぼうとする望永。


だが、放たれた矢が将門の眉間を捉えていた。


«ガツッ»

鈍い音がして将門は額に刺さった矢を抜き取ろうと握ったまま落馬する。


「新皇様あぁぁぁっ」

慌てて駆け寄る望永。


「か・・・。【風使い】」

「はいっ。お気を確かに!」

「よくも・・・。よくも。謀ってくれおったなぁぁぁぁっ!」

「はっ? 」

額から血を流した将門が鬼の形相で望永を睨みつけていた。


「し・・・、新皇さま?」

「ぬしが儂を裏切るとは・・・。いや、もともと貞盛の間者であったのかぁぁぁっ!」

「ボ、ボクは」

「痴れ者があっ! この期に及んで、全てを見通せぬ将門と思ったかぁ」

「そんな・・・」

「許しはせぬ、許しはせぬぞおぉぉっ。ぬしと【風使い】の一族、いやそれだけでは物足りぬ。この日ノ本の民も全て永遠に呪い続けてやるわ。ぬしの咎が皆を永劫の地獄へと堕としたのじゃあぁぁぁっ。その身を持って知れいっ!」

カッと目を見開き、将門は絶命した。


「新皇様が討たれたのは、ボクのせい? そうだ、ボクが悪いんだ。ボクなんかが居たからだぁぁぁっ」

望永は頭を激しく地面に打ち付けながら絶叫する。


«ガンガン・ガン»

何度目か頭を打ち付けた時、望永の眼前に暗闇が広がった。


(もう、どうでもいい。ボクなんて、最初から居ない方が良かったんだ)

砂と土埃で顔を真っ黒にした望永は、パタリと倒れて動かなくなったのである。




「結那、茶を点てましたよ」

鼻腔を擽る茶の香りに目を開ける結那。


(ここは?)

辺りをキョロキョロと見回すと、クスクスと笑い声が聞こえる。


「ほんに結那は面白い」

結那の周りには、十二単を纏った女性達が集まっている。


「頼義(よりよし)様のお館?」

そう呟く結那を女性達は微笑んで見つめている。


「源頼義の館以外に、我らが居る所などあり得ぬ」

「全くじゃ」

「さて、今度は何をして遊ぼうかの」

(うちは、殺生石の河原に居た筈・・・。でも)

何度も何度も辺りを見回す結那を女性達は嫋やかに見つめている。


(帰ってきた? うちの居た世界に帰って来たの?)

知らず知らずの内に結那の顔がほころんで来る。


「お方様。お久しゅう御座います。皆様方も」

目頭を濡らしながら頭を深く下げる結那。


「ここにずっとおったのに?」

「久しいとは」

「やはり、結那は面白いのぉ」

女性達の華やかな笑い声が庭先まで届いていた。



「皆、楽しそうじゃな」

ふと気づくと部屋の入口に1人の男性が立っていた。


「これは,殿」

この館の主、源頼義である。

皆が道を開ける様に左右に分かれた。


「そのままで良い。用が有るのは結那じゃ」

「うちに?」

「うむ。此度も合戦になるのは間違いない。そこで【影使い】の、お前の出番じゃ」

「敵方の兵の影を縫い付けて、動けなくすれば宜しいのですね」

「そうじゃ。動かぬ相手など怖くは無い。此度も我らの圧勝じゃ。わっはっはっはっ」

「結那さえ居れば、我が殿は負け知らず。ほんに頼りにしておりますぞ、結那」

「我らも結那の友じゃ。いつまでも楽しく過ごそうぞ」

頼義も正室も側室達も、皆が結那を囲んで笑い合っていた。


(そう、ここがうちの居場所)

無論、結那もそう思っていたのである。



「結那」

「はい?」

「珍しい菓子が手に入ったのじゃ。茶でもどうかの」

「えぇ、喜んで」

「では、皆も呼ぼうぞ」

「もう、来ておりまする」

「おや、気の早い」

「お方様だけに結那を独り占めはさせませぬ」

「これは、参った。おほほほ」


「では、先ずは茶を」

正室がそう言うと、側室達は部屋の扉を閉めて回った。


「お方様、何か御座いましたか?」

怪訝な表情を見せる結那。


「そなたは気にせずとも良い」

そう言うと、正室は茶筅を手にして茶を点てた。


「先ずは、結那じゃ」

「いえ、うちは末席で御座います。皆様の後に」

「そう言うでない。これは殿からの御申し付けじゃ」

「頼義様の?」

「そう、此度も結那のお蔭で大勝利。手厚くもてなせとの事でな」

「そう言う事であれば・・・。殿の御配慮も無には出来ません、頂きます」

「そうじゃ、それで良い」

結那は正室の前へと進み、差し出された茶碗を手にする。


「頂きます」

「存分に味わうのじゃぞ」

正室の目が怪しく光った。


«ゴクッ»

一口を含んだ時、結那は異変を感じる。


(違う、これは茶などでは無いっ。毒!)

慌てて茶碗を置き、口に含んだ茶を懐紙に履き出そうとしたが――


«ガシッ»

両脇から側室達が結那の腕を掴んで押さえつけた。


「な、何をっ!」

結那は振り解こうとするが数人がかりが押さえつけられていて身動きできない。


「やれやれ、やはり下賤の女子(おなご)じゃ。礼儀作法も知らぬ」

正室は結那の置いた茶碗を右手で持つと、ゆっくり立ち上がった。


「お、お方様?」

「少しばかり顔立ちが良いからといって、我が殿を誑かすとは」

そう言うと正室は、左手で結那の鼻を強くつまんだ。


「どうじゃ? 息苦しいじゃろう? 早う、口を開けぬか!」

「くうっ! ぐうぅぅぅっ!」

必死に耐える結那。


「しつこいのう。これでどうじゃ」

正室は軽く片足を持ち上げると身動きの出来ない結那の水下につま先を蹴り込む。


「グッ!」

耐えられず口を開いた結那の口に茶碗の淵を押し込んだ正室は、ゆっくりと茶碗を傾けた。


「グフッ! グフッ!」

必死になって耐える結那、だが毒入りの茶は口から喉を通って身体の中へと流れ込んで行く。


「ほほほほ、これで我らも安泰じゃ。殿も仰っておったわ、風魔が、【影使い】がいつ裏切るかと思うと怖くて夜も眠れんとなぁ」

「結那、もうお前は用無しじゃ。後は我らが殿のお子を・・・」

「お前を油断させる為に、仲良う見せるのも大儀であったわ」

「ほっほっほっほっ!」

正室と側室達の嬌声が結那の耳の中で少しずつ小さくなっていく。


(うち、馬鹿みたい。上手い事、騙されて、最後はこのザマ。皆、仲良くしてくれてたと、心から信じてたのに。うちかて、綺麗な顔に生まれたかった訳や、無いのに・・・)


側室達が手を放すと結那は«ドサリ»と畳の上に倒れ込む。

その瞳には、最早生気は感じられなかった。




「【炎使い】、服部の者よ。これで日ノ本は守られたぞ」


(えっ!)

歩南は目を覚ますと、周囲を見回した。


「頼朝様・・・?」

「そうじゃが? 如何致した?」

人懐っこく、頼朝が笑った。


「北条・・・義時(よしとき)様? 梶原景時(かじわらかげとき)様! 比企能員(ひきよしかず)様! それに・・・、それに!」

歩南は涙を流しながら何度も何度も居並ぶ男達を見た。


(帰って来たんだ。あちの時代に!)

歩南の顔がパァッと明るくなる。


「最早、平家に従う者は居らぬ。我が源氏が日ノ本の頭領じゃ! 幕府を開いたのだぞ!」

頼朝の満悦した声に居並ぶ13人の武将達が感涙を流していた。


「それもこれも、衣更祇斎(きさらぎさい)殿とそなたのお蔭じゃ。よくやってくれたぞ」

頼朝は上座から降り、歩南の両手を握ると何度も何度も礼を言うのであった。


(そうだ、終わったんだ。あちもこれで里に戻れるんだ。【炎使い】の里に)

歩南の脳裏に里の風景が蘇る。


(衣更祇斎様、あちは頼朝様のお役に立ちました。綴彌(てつや)、あちの帰りを待ってて)


「今宵は宴じゃ」

「あ、あの。頼朝様、あちは里に・・・」

「何を言っておる。一番の功労者のそなたを盛大にもてなす宴ぞ。里に戻るのは、明日でも良かろう?」

「そ、それは有難き幸せ・・・」

こうしてその夜は、源氏の勝利と歩南の活躍をもてはやす宴の一夜のなったのである。



 翌朝――


「それでは、お世話になりました」

「うむ。達者で暮らせよ」

「はい。もし、頼朝様も里の近くに来られる事が有りましたら、是非お立ち寄り下さい」

「無論じゃ、そうさせて貰おう」

「ところで、皆様方は?」

常に頼朝の側に控えていた13人の武将達の姿が見えないのを不思議に思う歩南。


「いや、なに・・・。そなたと別れるのが寂しいと。皆が申してな」

「そうなのですか・・・」

「気にするでない。無骨な男どもじゃからな。それより待っている者が居るのであろう?」

「はい! 兄弟子の綴彌が!」

歩南の表情が明るくなる。


「兄弟子と言うだけでは有るまい?」

頼朝は探る様な目線を向ける。


「あっ、あのっ。そのっ! 綴彌とは・・・そんな」

「良い良い。若い者はそれで良いのじゃ」

耳まで真っ赤になった歩南を茶化す頼朝。


「では。その綴彌とやらにも、宜しくな」

「はい、それでは失礼致します」

「うむ。御苦労であった」

改めて深く頭を下げた歩南は、こうして頼朝の館を後にしたのであった。



「【炎使い】の里か・・・、行く事などあるまいに。なにせ・・・」

そう呟いた頼朝は邪悪な笑みを浮かべたのであった。



「もうすぐ里かぁ」

故郷へと向かう歩南の足取りは軽かった。


「あの丘を越えたら・・・。うっ!」

歩南の目には里のある方向に立ち上る黒煙が映ったのである。


「あの煙は一体? 里に何が起きてるんだ?」

矢も盾もたまらずに駆け出す歩南。


(どうしたってんだ? あちの居ない間に何があったんだ?)

胸騒ぎを抑えつつ、歩南は走った。【炎使い】の里へと向かって――




「ハァ、ハァッ。皆!」

息を切らして走る歩南とすれ違いに騎馬武者の集団がすれ違う。


(あの方々は・・・)

すれ違いざまに駆け抜けていく騎馬武者達の顔に見覚えがあった。


(もしや?)

自らの頭に浮かんだものの必死に振り払いながら、歩南は里の入口へと着いた。



「な・・・、何だよ。コレ?」

歩南は我が目に映る光景を疑った。

そこには、無残な人々の遺体がそこいらに転がり、家々には火が放たれていたのである。



「誰か! 誰か、返事をしてっ!」

生き残っている者を求めて里の中を駆け回る歩南。


「うっ、うぅぅぅっ」

「はっ!」

微かなうめき声を聞きつけた歩南は瓦礫の下敷きとなっている1人の青年を見つけて駆け寄る。


「綴彌? 綴彌!」

「うぅ、ほ・・・。歩南か・・・。よくもこの里に、のこのこと戻って来れたな・・・」

「綴彌、どうしたんだ? 何がっ?」

「お、お前のせいだ」

「あ、あちの?」

「お前が頼朝に【炎使い】の術を見せたから・・・。ぐふっ」

「そ・・・、そんな。き、衣更祇斎様はっ?」

「お師匠は・・・。お前を呪って死んだ」

「な、何で・・・」

「お前が面白半分に【炎使い】の術を使ったから、頼朝はいつ自分が寝首を掻かれるかと恐れて里を焼き討ちしたんだ」

「う、嘘っ」

「嘘じゃねぇっ。周りをよく見ろ、これがその証拠だ!」

「頼朝様が・・・。そんな事・・・」

「まだ、頼朝、頼朝か。皆、お前を恨み続けて死んでいった。俺もお前を恨むぞ、歩南・・・。がふっ」

綴彌は最後の恨み言と同時に吐血した息絶えた。



「あ・・・、あちが里の皆を殺した? 頼朝様に騙された? あちは・・・、あちは・・・。うわあぁぁぁぁっ!」

歩南の絶叫が響き、そのまま時間が止まった――




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