第七話 「脅威・犬神使い」

不気味に微笑む夜鈴。そして、淋し気に笑う浄人。


「可哀相だけど。皆、死んで貰うね。月下の怨牙(げっかのおんが)!」


〈月下の怨牙(げっかのおんが)とは、犬神使いによって呼び出された犬童が高速で突進し、体当たりを加えた後にその鋭い牙でとどめを指す技である。〉



ドンッ!

「きゃあっ!」

疾風の様な速さで突進した犬童が、奈々聖を跳ね上げた。

空中で体勢を立て直そうとする奈々聖。

だが、その真下では犬童の赤い目が光り、牙を剥いている。


「大蜘蛛の網巣!」

栞寧の呼び出した大蜘蛛が奈々聖と犬童の間に巣を張り、落下する奈々聖を保護する。


「ありがと! 栞寧ちゃん! 氷点の氷柱!」

奈々聖が手印を結ぶと、池の水が瞬時にして凍り付く。

巨大な氷柱が犬童へと目掛けて飛んだ。


「駄目だよ。遅い・・・。遅すぎる」

生気の無い浄人の声の通りに、犬童は左右へと飛び回って氷柱を回避している。

いや、それだけでは無い。

着実に奈々聖達4人との間合いを詰めているのだ。


(こりゃ、アカン。もう、わい等に勝ち目あらへん)

勝機を見い出せないと悟った覇智朗が、夜鈴へと詰め寄る。


「何でや、夜鈴ちゃん! わい等は本気で戦ったんやで、こんな仕打ちはあんまりやんかぁ」

「負けたモノに何の価値が有ると言うの? 覇智朗」

夜鈴の目が紫色に変わった。


「妾はヒトを想像した三皇の1人。お前達の生死など蟻一匹と変わらぬわ!」

「わい等を騙したんやな!」

「騙してなどおらぬ。百地の当主として、望月に劣らぬ事を証明して見せよ、と言っただけじゃ」

「せやかて!」

「ふっ、妾の美しさに勝手に跪いたのはお前じゃ。のう、覇智朗」

「ぐっ!」

言葉に詰まる覇智朗。


だが、夜鈴の言葉は半ば真実でもあった。

百地のプライドだけが先行し、奈々聖達を召喚したのは何を隠そう、自分自身である。

化け猫を使った時でさえ、夜鈴を信用していた自分の愚かさを呪う覇智朗であった。



「見やれ。あの娘達もそろそろ限界じゃ」

クスリと笑う夜鈴の視線の先では――



「皆、飛んでっ!」

慧の合図で3人が地を蹴って飛び上がる。


「奈落の蟻地獄!」

慧の掛け声とともに、犬童の足元が崩れ落ちる。


「笑止!」

犬童は鼻で笑い飛ばすと、崩れ落ちる斜面をものともせずに駆け上って来る。


(坂が崩れ落ちる前に、それよりも早く駆け上って来るなんて)

慧の顔に焦りの色が浮かんだ。


(ここじゃ水が少なくて、大掛かりな攻撃は無理)

(この月明りじゃ、うちの【影針】も使えない)

奈々聖と結那が顔を見合わせる。


「万事休すだね」

浄人がポツリと呟いた。


「せめて、少しでも苦しまない様に殺してあげる。犬童!」


浄人の声に犬童が、ビクリと反応した。


「月下の怨牙!」


ウォォォォォォンッ!

犬童が雄叫びを上げた。


「来る!」

「栞寧! 慧!」

結那の指示が飛び、2人が頷く。


「砂礫の防壁!」

「大蜘蛛の網巣!」

飛び掛かろうとする犬童の前に土壁が盛り上がり、体当たりした犬童に大蜘蛛の糸が絡みつく。


(一瞬だけど、動きが止まった!)

微かに見出した機会を逃すまいと結那が走る。


「漆黒の影縫い!」

僅かな月明りで薄くぼやけた犬童の影を結那の【影針】が捕えた。


だが――


「くっ、薄すぎる!」

結那が唇を噛む。


(そうや、結那はんの【影針】は相手の影の濃さに比例するんやった)

忌々しく夜空を見上げる覇智朗。


「覇智朗」

「何や!」

「今からでも遅くないぞえ。今一度、妾に仕えよ、さすれば命だけは救ってやろうぞ」

勝ち誇った様に笑みを浮かべる夜鈴。


「まだ、諦めない!」

「あたし達がコイツをここで止めないと・・・」

圧倒的に不利な状況にありながらも戦う結那達を、見つめる覇智朗。



「どうじゃ? あの子猫の様に,妾の戯れに従わんか?」

夜鈴の高笑いする声が響き渡った。


「あんまり馬鹿にせんといてや」

「何?」

「こう見えても、この覇智朗。百地の37代目当主なんやで!」

覇智朗は屋敷の裏手へと走り出す。


「逃げても無駄ぞえ」

そう言った夜鈴、だが屋敷の屋根に上った覇智朗が何かを持っているのを見て顔色が変わった。


「わいは妖術は使えんけど、こっちには文明の利器があるんやぁ!」

屋根に上った覇智朗は樽の様な物体を犬童へと向ける。


「そーれぇ、スイッチオンやぁぁぁ!」

「何? あれ?」

「ま、眩しいっ!」

犬童へと向けて、サーチライトの強力な光の帯が向けられた。


「むうっ!」

自らに向けられた光の帯に戸惑う犬童。


「結那さん! 今よっ!」

奈々聖が叫び、結那が動いた。

「任せて!」

結那の【影針】が犬童の影に次々と打ち込まれていく。


「犬童! 振り払え!」

アオォォォォォンッ!

浄人の叫びに全身を震わせる犬童。


「チッ! 小癪なマネを!」

事態の急変を見て取った夜鈴が、屋敷へと駆け出す。



「氷点の氷柱!」

「飛翔の石礫!」

結那の【影針】と栞寧の術で辛うじて犬童の動きを抑えているものの、百地邸では〈水〉も〈石〉も少なく、決定的な攻撃力に欠けていた。



「このままやったら、皆、殺られてまう」

大きな腹を揺らしながら、覇智朗が走って来る。



「あ、あれは?」

覇智朗が手にしたモノを見た慧。


「あたしの弓?」

そうである、覇智朗は慧の弓と鏑矢を持って来たのである。


「弓で射たとしても、果たして、犬神に効果が有るか・・・」

「違う! 違うんや。これで、望月に知らせるんや」

「あの4人に?」

「そうや。わい等が全滅しても、望月に。それから・・・」

「あの娘達!?」

結那と奈々聖が顔を見合わせる。


「わい等はここで朽ちても仕方ない。せやけど、この国の守りを後は望月に託さなあかんのや」


結那の脳裏に、歩南の笑顔が浮かんだ。


《どうする? まだ、やる?》

そう言って、右手を差し出した歩南の姿を――



(あの娘達に、この国の未来を託す!)

結那の顔に決意の色が浮かんだ。


「慧、弓を! 栞寧、発行虫を!」

「分かった。やるよ、栞寧ちゃん」

結那の指示を受けて、慧が鏑矢を弓に番える。


「奈々聖、奴を足止めして!」

「分かりました!」

限られた池の水を出来るだけ効率的に使える様に奈々聖は意識を集中して、無数の小さな氷柱を犬童に振らせ続ける。



「蛍群生!(ほたるぐんせい)」

〈蛍群生(ほたるぐんせい)とは、無数の蛍を呼び出し、従わせる妖術である〉


栞寧が手印を組むと、無数の蛍が寄り集い鏑矢の前半分を覆い尽くした。


「行っけぇっ!」

キリキリと音を立てて蔓が引き絞られ、矢が放たれた。



ポーっと音を立てて、蛍を纏った鏑矢が浮湖荘へと向かって飛んだ。

結那・奈々聖・慧・栞寧、そして覇智朗の思いを乗せて――



「奈々聖! 慧! 栞寧! あの娘達が迎え撃つ準備の時間を稼ぐよ!」

「わいもやるでぇ!」

「ハチコーはどいてて! 邪魔よっ! 邪魔!」

「そない言わんでも。これも何かの縁や、最後まで付き合うたるわい!」


 ガッシャーン!

屋根に上った夜鈴が、サーチライトを蹴り落とした。


「ええぃ、忌々しい。やはり、この国は滅ぼさねばならぬ様じゃなぁ。 浄人! 皆殺しにしてやれっ!」

「犬童っ!」


サーチライトの光が消え、影縫いの効果が切れた犬童がゆっくりと立ち上がる。


「小娘共、終わりだ!」

犬童が飛び掛ろうとしたその時――


 バチバチッ! バチバチッ! ボッ!

夜鈴が蹴り落としたサーチライトが、ショートして火を噴いた。


 メラメラと燃え上がった火は、百地邸を炎に包んでいく。


「まだ、やれるっ!」

燃え上がった炎が犬童の影を映し出していた。


「行くよ! まだ勝敗は決してない! 漆黒の影縫い!」

結那の放った【影針】が炎に映し出され、揺らめく犬童の影を捉える。


「まだ甘い! 慧!」

「奈落の蟻地獄! 栞寧ちゃん! 奈々聖ちゃん!」

「大蜘蛛の網巣!」

「氷点の氷柱!」

不利な状況は変わらぬまま、この国の未来を託す為に捨て石となる闘いに身を投じる4人の少女達であった。





浮湖荘――


「何? あの灯り?」

庭先で光る何かが飛んで来るのに気付く紫理。


「あれは、百地の方角から?」

そう呟いた時であった。


ポーッ!

「鏑矢の音?」

「紫理さん?」

「何の音?」

鏑矢の飛来音を聞きつけた彩暉達も、中庭へと集まって来る。


ガツンッ!

鏑矢が庭の松の木に突き刺さる。


「これは、矢?」

「この前のと、同じ?」

「違うよ」

「何か、光ってる。蛍?」

彩暉達は、先日の果たし状では無い異質の何かを感じていた。


「あの娘、確か〈蟲使い〉だったよね」

「それに、この光る矢は・・・」

「もしかして、あの娘達に何かあったんじゃ?」

「紫理さん!?」

彩暉達4人の視線が紫理に集まった。


「百地が何者かに襲われている」

「えっ!?」

紫理は暗闇の中の一点を指差した。


「何処なの?」

「あ、あれはっ!」

「何かが!」

「燃えてるんだっ!」


最初は小さな赤い点であった。

それが少しずつ、大きくなって行く――


「助けに行こう」

彩暉が口火を切った。


「待ちなさい!」

「紫理さん?」

顔を見合わせる彩暉達。


「これは、百地からの申言よ! 皆、早く闘いの準備をしなさい!」


「どう言う事ですか?」

「あち等にも分かる様に説明してくれる?」

騒めく彩暉達に、紫理は大きく息を付いて話し出した。


「今、百地を襲っている敵は次に私達を狙ってくる。だから、あの娘達は私達が迎え撃つ準備をする時間を稼いでくれているのよ」

「そんな・・・」

絶句する4人――


「恐らく、並大抵の相手じゃないわ。皆、急いで!」

「紫理」

「何? 歩南?」

「悪いけど、あち・・・。助けに行くわ」

「何、言ってるの! あの娘達は貴女達の為にっ!」

「紫理さん!」

「わたし達も」

「助けに行きます!」

彩暉が話に割って入り、望永と遼歌も同調して大きく頷いた。


「貴女達・・・」

じっと4人を見つめる紫理。


「そんなに強い相手なら、4人より8人の方が断然有利だろっ!」

「それに、あの娘達を助けたい」

「見捨てるなんて、出来ません!」

「紫理さんも、そうでしょ?」

ニッコリと微笑む4人を見て、紫理は思う。


(もしかすると、これが本当の闘いの始まりなのかも知れない)

「いいわ、行きなさい! でも、約束して。絶対に全員無事で帰って来る事、いいわねっ!」

「はいっ!」

彩暉達4人が一斉に答えていた。



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