第27話 独立宣言

 一か月後。

 ロンダリア王国城前の広場に全国民たちが集まっていた。

 喧騒の中、国民たちの表情は様々。

 不安、期待、狼狽える人たちで溢れていた。

 それもそのはず。

 一か月前の騒動以来、国王であるヴィルヘルムやその妻であるシリカは一切表に姿を現さなかったのだ。


 あの時何が起きたのか、正確に把握している人間は少ない。

 ただ鉱夫たちが数人亡くなったこと、その際にヴィルヘルムが致命傷を負ったこと……そして元聖女であるはずのシリカが【死んだはずのヴィルヘルムを生き返らせたこと】という情報は、国民たちの間で噂になっていた。

 もちろん一つ二つの尾ひれがついてはいるが。


「国王様のご演説らしいが、一体何を話されるのか」

「鉱夫たちが反乱を起こしたらしいな。それで数人処刑されたとか」

「レオたちのことは正直驚いたが……いつかやるんじゃないかとは思ってたからなぁ」

「シリカ様のお噂は本当なのか? 元聖女でありながら国王様に治癒を施したと……」

「お噂が本当ならなぜお姿を見せてくださらないのか」

「国王様はお姿を見せてはくれない。ずっとそうだったじゃないか」


 国民たちは思い思いに話している。

 小国であり貧国のロンダリア国民には、多くの不満や軋轢があった。

 期待も希望もなく、後ろ向きな話題ばかり。

 だが先の一件が、幸か不幸か、国民たちの期待感を煽った。

 喧騒は徐々に収まり、自然と言葉はなくなっていく。

 誰が言うでもなく、国民たちは黙して城のバルコニーを見上げた。

 誰もいない。だがやがてそこには姿を現すだろう。


 国民たちが見守る中、静かにその人物は姿を現した。

 それはロンダリア国王、ヴィルヘルム・フォルク・アンガーミュラーその人だった。

 こうして全国民たちの前に姿を現したのは初めてと言っていい。

 先の騒動で彼の姿を見た者もいただろう。

 だがそれは極一部の人間だけだった。

 その時、彼らは思った。

 ああ、噂は本当だったと。

 我が国の王は、見るも醜い姿の『愚醜王』であることは間違いなかったのだと。


 だが。

 彼らの考えは一変した。


「あ、あれは……国王様、なのか?」


 誰かが言った。

 そして誰もが同意した。

 彼らの想像していた、噂に聞いていた、騒動の中で見た国王の姿は愚醜王そのものだった。


 だが違う。

 バルコニーに立つ、その姿は彼らの思い描く愚醜王とは異なっていた。

 微風に揺られる美しい髪、すらりと伸びた四肢に、血色のいい肌。

 やや細いが痩せぎすではなかった。

 骨と皮の様相だった容姿は、美しくも凛々しい王族然とした姿へと変貌していた。

 その姿を見て、世界中の誰一人として愚醜王などと思いはしないだろう。

 誰かが「ほぅ」とため息を漏らした。

 女は見惚れ、男は憧れた。

 あれが我らが王なのだと明確に理解した。


「『愚醜王』じゃない……『賢美王』だ」


 誰かが言ったその言葉は、不思議と人々の胸に刻まれた。

 それほどまでにヴィルヘルムは美しかったのだ。

 柔らかな風音が占める世界で、ヴィルヘルムは口を開く。


「あ……んんっ」


 あまりに静かな中での発声だったため、小声でも国民たちには聞こえた。

 数秒の咳払いを経て、再びヴィルヘルムが話し始める。


「ロンダリア国民の諸君。余は三十三代ヴィルヘルム・フォルク・アンガーミュラーだ」


 澄んだ声音だった。

 決して大きくはないが、なぜかよく通る声だった。


「先日の騒動を見た者もいるだろう。真実をそなた達に話すべくこうして機会を設けた」


 すーっと息を吸い込み、そして空を見上げるヴィルヘルム。


「余は一度死んだ」


 国民たちの中で喧騒が生まれる。

 しかしそれはたった数秒のことだった。

 黙して待っていたヴィルヘルムは、静かになると再び言葉を紡いだ。


「だが余の妻、シリカによって余は生き返った。彼女の……聖女としての力によってだ。聖女の力を失い、シリカはロンダリアを訪れたはずだった。だが、彼女は再び聖術に目覚めたのだ。一度聖女としての資格を失えば、二度と力は戻らぬと聖神教団では言われている。だが彼女は違った!」


 ヴィルヘルムはばっと両手を上げ、国民たちの視線を奪う。


「これは天啓だ! シリカは真の聖女であると! ゆえに力を奪われながらも、取り戻したのだと! 聖神様の啓示であることは間違いない! 聖女は献身の象徴。人に尽くし、癒し、支え、守る存在である! 国民の中にはシリカの人柄を知っている者もいるだろう。彼女の振る舞いを! 彼女が聖女たらんとするその姿勢を!」


 大きく頷く鉱夫や女子供たちが口々にはやし立てる。


「シリカ様は素晴らしい人さ。平民にも分け隔てなく接してくださった」

「シリカ様の作る飯は上手いんだよなぁ!」


 ヴィルヘルムは国民たちの声が聞こえたのか、満足そうに頷いた。


「現在、ロンダリア国は貧困に喘いでいる。誓って言うが、それは余の我欲によるものではない。聖ファルムス率いる連合国の搾取と圧政によるものだ。ロンダリアは実質、連合国の植民地と化している! 上納金がなければ連合国側への反逆とみなされ、ロンダリアの流通は奪われ孤立し、敵対したと判断されれば、ロンダリアは経済的、軍事的に制裁を加えられ、崩壊の一途を辿るしかなかった。ゆえに甘んじて搾取され続けるしかなかったのだ!」


 国民たちがざわつく中、さらにヴィルヘルムの口上は続く。


「だがそれも今日までのこと! 今の我が国には聖女たるシリカがいる! 余はここに宣言する! 今より、ロンダリア国は【新生ロンダリア皇国】へと生まれ変わる! 余は国王ではなく、聖皇帝となる!!」


 国民は様々な感情を視線に乗せ、ヴィルヘルムを見つめた。

 自然に拳を握り、歯を食いしばっている。

 それは過去の様々な激情がそうさせたのだろう。

 理解はまだ及ばない。

 だが、心が呼応している。

 我らが国王は……皇帝は真実を言っていると。


 全員ではない。

 だがそう感じた国民は少なくなかった。

 熱気を帯びつつあった空間。

 そんな中で、一人の人物がバルコニーに現れた。

 ヴィルヘルムの妻、シリカその人だった。


「彼女こそ余の妻にして、新たな聖女……いや、新たな【聖皇后】シリカ・アンガーミュラーだ!」


 ヴィルヘルムの横に佇むシリカはいつも以上に神々しく、そして美麗だった。

 普段とは違い、美しく着飾った姿は気品に溢れていたのだ。


「我が国民は聖皇后の加護のもとに生きることになる! 聖神教団とは異なり、信徒になる必要はない! 寄付も祈りも奉仕も必要ない! 新生ロンダリア皇国は誰にでも救いの手を差し伸べる! そして聖ファルムス率いる連合国からの脱却と独立をここに宣言する!」


 場を支配する熱気は徐々に薄れ、次に現れたのは穏やかな空気だった。

 人々の表情は徐々に和らぎ、自然に、一人、また一人と膝をついた。

 驚くべき光景だった。

 誰が言うでもなく、国民たちは全員、その場に膝をつき、聖皇帝ヴィルヘルムと聖皇后シリカに祈りを捧げ始めたのだ。


 静謐な空気だった。

 だがそこには確固とした決意があった。

 ヴィルヘルムの威厳ある立ち振る舞い。

 シリカの穏やかで清らかな存在感。

 その二つがあって初めて、国民たちの心は一つとなった。

 静かな終わりを告げ、ヴィルヘルムとシリカは城内へと戻っていった。

 しかし国民たちは祈り続けていた。

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