俺を愉しませて、そして逝け

ぽち

プロローグ

 遠くを自動車のヘッドライトの灯りが通り過ぎて行くのが見えた――。

 実に、明かりを見るのは久しぶりのように、俺はその光景を目を細めて見守る。

 遠くには街の灯り。そして、近くにはパチパチと何度も明滅する古惚けた水銀灯。そんな弱々しい灯りに照らされながら、俺は薄暗い深夜の公園で立ち呆けていた。

 …………。

 いや、呆けていたというのは正しくない。

 俺は待っていたのだ。

 そしてようやく目当てのがやってきた。

「臭いな。殺意の臭いがプンプンする。三流か」

 そんな稚拙な殺気の隠し方で、誰を殺すつもりなのか。殺気すら引っ込められない三下では、きっと素人を殺すので精一杯だろう。

 そんな事じゃあ、駄目だ。

 獲物は手強い程面白いんだが、この分では期待薄だろうな、と俺は落胆する。

「出てこないのか? それともまだ俺が気が付いていないとでも思っているのか? そんな稚拙な動きじゃ駄目だ。そんな児戯を見せられたら、思わず……」


 ――殺したくなってしまうじゃないか。


 深夜の静謐な空気を肺一杯に吸い込む。

 それだけで、俺の中の細胞という細胞がマグマのように燃え滾る。

 肩を抱いていないと凍えてしまう程の寒さだというのに、俺の息だけが白い昇り龍のようになって天へと昇っていく。

 お相手は何故か俺を狙っていた。

 俺もそんな相手を殺したがっている。

 何故か?

 理由なんて分からないし、特に考えてもいない。

 ただひとつ言えるとすれば、今の俺には倫理観とか、道徳的な概念がすっぽりと欠如していたという事だ。

 だから、殺しを厭う事がない。躊躇う事がない。

 むしろ、先程から殺したくて殺したくてうずうずしているのだ。

 この衝動は抑えられそうにもない。

 何故なら、食欲よりも性欲よりも睡眠欲よりも何よりも、俺は殺人衝動が強いからだ。

 美味しい食事をするように人を殺したいという思いが強まる。

 いけないな。この寒空の下に鮮血が舞い散る光景を想像しただけで興奮してしまう。

 俺が戦闘態勢に入った事で、相手の心拍数が跳ね上がる。

 おいおい、本当に素人か。

 呼吸と心拍数で位置と人数が丸見えになってしまうじゃないか。

 これじゃあ本当に弱い者虐めになってしまう。

 いや、関係ないか。殺しは殺しだ。

 朝食の御飯に納豆をかけるか、卵をかけるか――そんな議論をするぐらいには無駄な懊悩だ。

 何故ならば、俺はこの衝動さえ解放出来ればどうでも良いのだから。

 相手が強いか弱いかは些細な問題だ。

 手応えがあった方が楽しい……だが、それだけだ。

 相手を思う存分殺せるという誘惑に比べたら大したものじゃない。

 それじゃあ、行こうか。

 俺は、じゃりと公園の土を踏んで歩き出す。今更気付いたが、俺は靴を履いていなかった。土の感触が足の裏に心地好い反面、細かな砂利の痛さに表情が歪む。

「嗚呼、くそ……」

 何で今から人を殺そうという人間が足の裏の痛さになんて細事に囚われるんだ。

 俺はそんな自分自身が可笑しくて思わず笑ってしまう。

 そして、気付いた時には目の前の背丈の低い茂みの奥へと頭から飛び込んでいた。

 飛び込んだ瞬間に見えたのは、しゃがみ込んでいた暗視ゴーグルを付けた迷彩服姿の男。

 俺は伸身宙返り一回転半捻りを行いながら、両手で男の頭を掴んで捻り込む。

 それだけで、男の首は千切れ、竹とんぼのように明後日の方向へと飛んでいった。首無し死体の首から噴水のように血が噴き上がるのを見て、俺は素直に美しいと思う。

「嗚呼、綺麗だ」

 こんなにも美しいオブジェなんだ。

 やっぱり、もっと世の中の人に知って貰う為に増やさないと駄目だろう。

 俺は上がる口角を隠しもせずに、襲撃者に声を掛ける。

「様子見の時間は終わりだぞ。もっと足掻いて藻掻いて、命の煌めきを見せてくれ」

 仲間の一人を失った事で、既に場所が割れている事を理解したのだろう。公園に生えた大きめの木の影からオレンジ色の光と共に銃声が鳴り響く。

 消音装置サプレッサーが付いているからか知らないが、随分と発砲音が小さい。

「もっと大きな音を立てて人を集めてくれても良いんだがな」

 その方が殺戮の時間が伸びて、ずっと楽しいのに。

 木の影から鬱陶しく撃ってくる相手には、その辺の石ころを拾って投げ返す。すると、上手い事当たったのか銃撃が止んだ。

 それを見て、俺はするりと木に近付くと、暗視ゴーグルを外して目元を押さえている男の前に立つ。

「ものもらいか? 可哀想に」

 ウィットに富んだ会話だと思ったがウケなかったようだ。男がいきなり銃口を向けてきたので上段蹴りを相手の頭にぶち込む。それだけで、男の頭はスイカにロケットランチャーをぶち込んだぐらいの勢いで爆散していた。頬に跳ね飛んだ肉片を、俺は笑いながら指でニチャリと弄ぶ。

「こういう場合は、とでも言うのか? はっはっはっ」

 笑っていたら脾腹を背後から刺された。

 ったく、冗談が通じないな。

「はっ、はっ、はっ、はっ……!」

 俺を後ろから刺したのは迷彩服を着た女だ。

 俺は背後を振り向くとその女の暗視ゴーグルを取り外す。その女の顔は異常なまでに青白い。それは、初めて人を刺した事に対する恐怖なのか、それとも今のナイフの一撃でも俺の脾腹の薄皮しか貫けなかった事に対する驚愕なのか。まぁ、どちらでもいいか。

「可愛い顔をしているな。ぐちゃぐちゃになったら、もっと可愛いんじゃないのか?」

 俺は彼女の顔を鷲掴みにすると、そのまま一気に地面へと折り畳んでいく。アルミ缶を地面に立てて、足で踏んでぺしゃんこにする遊びがあるのだが、それを人間でやってみたら、こうなるといった感じだ。

 ははっ、高層ビルの屋上からトマトを落としたぐらいに酷いな。芸術点高いよ、お前。

「楽しみ過ぎたか? 逃げられてしまった」

 ハッ、ハッ、ハッ、ハッ――。

 発情期の犬のように自分の呼吸が荒い。

 嗚呼、もう少しでイケそうだったのに何だ、くそ。

 こんな所でお預けか。

 全く。焦らしてくれるな。

 俺は地面に出来た真っ赤な肉塊を片手で掬う。

 そして、それを愛しむように何度も何度も指先で愛撫する。ぐちゃぐちゃぬちゃぬちゃと粘り気のある血の粘土と肉の感触が気持ち良い。こんなにも気持ちの良いものをお預けなんて駄目だろう。

 そんな事をされたら、もっともっと――、

「沢山の人間を殺したくなるじゃないか」

 そんな事を思っていた俺の意識が急激に何かに揺り起こされて、俺は静かに拳を握り込む。

 そして、俺の意識はそこでプツリと途絶えた。

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