第2話

「ッ! 父上ッ……!」


 俺はその場から飛び起きると、そこは見知らぬ場所だった。

 何が起きたのか分からないまま視線を動かすも、ただ海が広がっているだけ。

 どうやら俺は浜辺にいるらしく、波が穏やかに砂浜を濡らしていた。

 しかし、遠くを見つめると、沖の方は海流が激しいようで、渦潮があちこちで確認できる。


「ここ、は……」


 流れる潮の音に呆然としつつ、不意に手を動かすと、何かが触れた。


「? っ!?」


 俺の手に触れたのは、人骨だった。

 しかも、視線を動かせば、そこら中に同じような骨が。


「い、一体……ここは……」


 そこまで言いかけると、俺は気を失う直前のことを思い出した。


「そうだ……俺は確か、父上に……」


 あれだけ不安だった心が、一気に冷えていくのを感じる。

 ――――俺は、見捨てられた。

 今までどんな扱いを受けても、いつか受け入れてもらえる……そう信じて生きてきた。

 いや、そう信じないと心が持たなかったのだ。

 ただ誰かに認めてもらいたい一心で。

 たとえどんなに邪険に扱われても、家族は見捨てない。

 心のどこかでそう願い続けてきた。

 だが、それは叶わなかった。

 これまでも俺を気にも留めなかった父上は――――本当に俺を、捨てたのだ。


「あ、ああ……」


 俺は強欲だったのだろうか。

 誰かに受け入れてほしいと思うのは、傲慢なのだろうか。


「ああああああ」


 地位も名誉も、何もいらない。

 欲しいものは、俺を受け入れてくれる居場所だけ。

 それを求めることは、間違っていたのだろうか。


「ああああああああああああああああ!」


 俺は溢れ出る感情を抑えられず、思いっきり叫んだ。

 この叫びは、怒りからくるものなのか。

 俺を否定したすべてに対する憎しみなのだろうか。

 ――――違う。

 ただ、悲しかった。

 どうして俺は、皆と違うのだろう。

 もし普通の家庭に生まれ、普通の体だったのなら、俺は悲しまずに済んだのだろうか。

 分からない。

 俺にはもう、何も分からなかった。


***


 ――――どれほど時間が経っただろう。

 俺がどれだけ悲しもうと、涙は枯れ果てる。

 心に、体が追い付かないのだ。

 体が悲しみの許容を超えたところで、俺は父上たちの会話を思い出す。

 今、俺がこの場にいるのは、とある儀式のための生贄としてである。

 それは百年に一度行われる、この地で討たれた妖魔の怨霊を鎮めるための儀式であり、生贄を捧げ、陽ノ国が再び平和であることを祝う、祝祭だった。

 陽ノ国でも最古の歴史を持つ、重要な行事だ。

 俺も書物でこの儀式について、知識として知ってはいたが、自分の代にその儀式が行われるだけでなく、生贄になるとは思いもよらなかった。

 浜辺に転がる人骨も、俺と同じく生贄に捧げられた罪人たちのものだろう。

 この島には魍魎が跋扈していると言われ、【七大天聖】のような紫位の刀士でなければ海を渡ることすらできない。 

 恐らく俺も、紫位刀士の誰かによってここまで連れてこられ、捨て置かれたのだろう。

 そして陽ノ国では、また百年の平和を祝い、祭りが行われているはずだ。


「は……はは……俺が死ねば、皆幸せなのか……」


 呆然と海を見つめていると、不意に背後から気配を感じた。

 その気配に視線を向けると、俺は体を強張らせる。


「ッ!」


 異様に膨らんだ腹と、その身体に不釣り合いな細い腕と足。

 落ち窪んだ目には赤い瞳が宿り、大きく裂けた口からは涎が垂れている。

 そこには、この島――極魔島に棲む妖魔、【堕飢だき】がいたのだ。

 元々、刀士と妖魔は六段階に分類され、一番上から順に、紫位、青位せいい赤位せきい黄位こうい白位はくい黒位こくいと存在する。

 そんな中でこの堕飢は、白位に分類されていた。

 白位の妖魔であれば、同じく白位刀士一人で対処可能な妖魔であるものの……。


「コォオオ」

「カロロ……」


 この妖魔は群れをなしていたのだ。

 しかも、俺は刀士ですらなく、魔力も扱えない赤子同然の無力な存在。

 そんな俺が堕飢に勝つことなど……万に一つもない。

 そして、堕飢はその名の通り、常に飢え、堕ちた妖魔。

 獲物を見つければ、容赦なく襲い掛かる獰猛な存在である。


「カァアアア!」

「!」


 群れの内、一体の堕飢が、勢いよく飛びかかって来た。

 それを俺は、無感情に眺める。

 ――――どうせ俺は、誰にも必要とされていない。

 それならここで、死んだ方がまだ誰かの役に立てるだろう。

 もう、疲れた。

 ここで終わり、俺も母上の下へ――――。

 そう、思っていた。


『――――刀真。ごめんね……無能な私のせいで、ごめんね……』

「ッ!」


 俺は目を見開くと、無様に転がりながら堕飢の攻撃を避ける。

 幸い、ただ真っすぐに飛びかかって来たので、こんな俺でも避けることができた。

 さっきまで無気力だった俺が、いきなり動いたことで、堕飢たちは微かに驚く。

 死を受け入れる寸前、母の言葉が浮かんだのだ。

 俺は……まだ死ねない。

 死にたくない……!

 母上が、無能だと?

 そんなこと、あるはずがない!

 ――――元々体の弱かった母は、俺が五歳のころ、体調を崩してそのまま帰らぬ人となった。

 当時、すでに魔力が扱えず、周囲から蔑まれた俺を、母上はいつも受け入れてくれた。

 俺のことを、常に護ってくれたのだ。

 ……そして、いつも俺に謝っていた。

 こんな体に産んでしまったことを。

 ――――違う。

 母上は悪くない。

 悪いのは、俺が魔力を扱えないことだ。命刀を発現できないことなんだ……!

 どれだけ否定しても、母上は自分を責めた。

 確かに、誰にも認められないことは辛い。苦しい。

 だが、母上の子供であることは……俺にとっての誇りなのだ。

 もしここで俺が死んでしまえば、俺は母上の悔恨を認めることになる。

 それだけは絶対に嫌だ……!

 堕飢からの攻撃を避けた俺は、砂浜に転がる人骨を手にすると、構えをとる。


「俺は、最後まで生きてやる……! 母上が誇れるよう……俺が母上のことを証明して見せる! だから……俺の邪魔をするなあああああああああああああ!」


 俺の全力の咆哮に、堕飢たちは一瞬気圧された。

 何の力もない、この俺によって。

 しかし、すぐに正気に返ると、先ほどとは打って変わり、獰猛な牙をむく。

 そして、より確実に俺を仕留めるべく、本気で踏み込み、接近してきた。

 その速度は、刀次と何ら遜色なく、一瞬で距離を詰められると、そのまま肩に噛みつかれる。


「があああああっ!」


 深く抉り込む堕飢の牙。

 その歯の痛みに絶叫するも、俺は歯を食いしばり、全力で顔面を殴りつけた。


「ギャッ!?」


 ひ弱な俺でも、一瞬だけ堕飢を怯ませることに成功する。

 だが、その拍子に堕飢は俺の肩を食い千切った。


「うぐッ!」

「キィィイイイヤアアアア!」


 耳を突き刺すような甲高い歓声を上げると、堕飢は嬉しそうに俺の肩肉を貪った。

 その様子を見ていた他の堕飢たちもそれに触発され、一斉に襲い掛かって来る。


「うがあああああああああ!」


 ただ、生き残ることだけ考え、俺は手にした骨を振り回した。

 しかし、前に刀次と戦った時と同じく、俺の攻撃は容易く避けられ、今度は腕、腹、足と、何か所も噛まれた。


「ま、まだ……」

「クルアアア」


 肉を食い千切る堕飢たちに、全力を振り絞りながら動こうとすると、俺の肩を食い千切った堕飢に押し倒された。

 そのまま俺の顔を覗き込むと、堕飢は邪悪な笑みを浮かべる。

 そして、堕飢は俺の首に噛みついた。

 どくどくと流れ出ていく血液。

 もはや意識がどんどん遠のき、このまま俺は死んでいくだろう。

 それでも……。


「俺は…………死な……ない……」


 無意識にそう呟いた瞬間だった。


「――――ほっほっほ。こりゃあ凄まじい生命力じゃのぉ」


 薄れゆく意識の中、俺の首を噛みついていた堕飢の頭が、突然消し飛んだ。

 それを皮切りに、俺の体に噛みついていた堕飢たちも、次々と殲滅されていく。

 気づけば俺の体は、堕飢の群れから解放されていた。


「はてさて……助けたはいいが、どうしたもんかのぉ……」


 そんな言葉を最後に、俺の意識は完全に沈むのだった。

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