第5話 1人目のお客さんがやってきた
モフが喋るようになってから数日が経った。
今日はいよいよ木曜日。カフェ開店日だ。
いつもどおり閉店作業を終え、モフにご飯を与えて自分も食事を済ませたあと、再び1階へ降りる。
そして――あの「星宮カフェ」と書かれたレジのボタンを押した。
現れたドアを通過すると、前回同様の空間が変わらない姿で広がっている。
そして私もモフも、いつの間にかあのブラウスとフレアスカートの姿に変わっていた。
カフェ側の準備は完璧だ。……でも。
宣伝も何もしてないし、看板も出していない。
こんなんでお客さんが来るわけがない。
それに来たとしても、私は研修すら受けていない素人。
いったいどうしろというのか。
――はあ。モフの考えることは分からないな。
まあモフ、猫だしね。
そうこうしているうちに、開店時間の9時になってしまった。
「それじゃあ、星宮カフェ開店にゃ!」
モフはそう言うと、カウンターの中へ入ってしまった。
どうやら本気でカフェを開店するつもりらしい。
仕方ない、明日FAXする予定の新刊案内でも処理しながら――
そう思っていたその時。
カランコロン……
透き通った美しい音色のベルが鳴り、同時にドアが開く音がした。
え、というかそんなところにドアあったっけ!?
私たちが入ってきた、星宮書店と繋がっているドアとは別に、外へと通じているドアがあったらしい。
うち、こんなところにドアなんてないんですけど。
いやまあ、そもそもこんな空間もなかったはずだけど。
外から見たら今どうなってるんだろう?
私は混乱しつつ、とりあえず来てしまったお客さんを迎え入れる。
「いらっしゃいませ。……い、1名様でしょうか?」
「え、ええ」
「お好きな席へどうぞ」
書店の接客はし慣れてるけど、カフェで働いたことなんて一度もない。
私は自分が客としてカフェに行った際のことを思い返し、たどたどしいながらもどうにか接客を試みた。
初めてのお客さんは、同い年くらいの女性だった。
会社帰りなのか黒髪をうしろに1つに束ね、スーツを着用している。
――うん? あのモヤっとしたの何だろう?
女性の周囲には、何やら黒い靄のようなものがまとわりついていた。
女性はそれには気づいていない様子で、うつむき気味に視線をさまよわせながら不安そうに周囲の様子を窺っている。
『あれは<闇雲>にゃ。あれが発生すると、周囲が見えなくなって正常な思考ができなくなってしまうのにゃ』
突然、モフの声が脳に直接響いてきた。
そして。
「いらっしゃいませ。本日のウエルカムドリンクは朝焼けサイダーにゃ」
いつの間にか近くに来ていたモフが、細い筒状のグラスに入ったドリンクをテーブルに置いた。
朝焼けサイダーは、上から赤、ピンク、オレンジとグラデーションになっているドリンクで、その中を炭酸の泡がキラキラ輝きながら上へ上がっていく。
「きれい……」
女性は思わずほうっとため息をつき、朝焼けサイダーに見とれている。
グラデーションを楽しみながら、上がっていく泡を目で追っているようだった。
「気に入ってもらえて何よりにゃ。当店にはメニューはないにゃ。これからお客様専用の特製ブックパイをご用意するにゃ」
「ブックパイ……?」
「本型のパイにゃ。とってもおいしいから楽しみにしてるにゃ」
「はあ」
女性は再び不安そうな表情になり、チラッと私の方を見る。
「大丈夫です。心を込めてお作りしますね」
「で、ではそれを」
「はい。ご注文ありがとうございます」
私はとりあえず笑顔を作り、モフとともにカウンターへと戻った。
そして。
女性に聞こえないようにできる限り小さな声で。
「……で? どうするの? 作ったこともないのに」
「問題ないにゃ。凛があのお客さんに出したいと思うブックパイをイメージすれば、きっとぴったりのブックパイが完成するにゃ」
あー、なるほどね。ぴったりのパイがね。
ってそんなわけあるかああああああああああああ!!!
思わず大声で突っ込みそうになったが、寸でのところでどうにか堪えた。
お客さんに出したいブックパイなんて言われても、私あの人と初対面なんですけど!?
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