第32話 殴りたい相手

「おい!何するんだよっ?!リディアッ!ムゴッ!」


「全くうるさい男だなぁ!」


マスターはポケットから更にナフキンを取り出すと、クルクルと器用な手付きで細長く巻くと、まるで猿轡の様にジルベールの口に噛ませたのだ。


ナイスッ!マスターッ!


「ムグーッ!ムゴッ!」


芋虫のように床に転がされているジルベールを見下ろしながらマスターが言った。


「ふん、これやっと静かになった。それでは領主様、厨房で話をしましょうか?」


「ええ。それがいいわね」


頷く私。


こうして私は拘束されたジルベールをその場に残し、マスターと一緒に厨房へと向かった。



****


「え?あの若者は病気なのですかっ?!」


厨房にマスターの声が響き渡る。


「ええ、そうなんです。あの人は遠縁の親戚なのですが、田舎育ちなのに都会に憧れて行ってみたものの、そこの生活が合わず、挙げ句に見事に騙されて身ぐるみ剥がされて、再びこの土地へ戻ってきたのです。その時には…可哀想に…精神を病んでしまい、自分が領主だと思い込んでしまったのです」


私は多少の事実を交えながらマスターに説明した。


「なる程…それでは気の毒な青年なんですね〜…」


人の良いマスターは腕組みしながらウンウンと頷く。


「ええ。なのでどうか自警団だけは勘弁して頂けませんか?彼が飲み食いした分は私がお支払い致しますので。全部でおいくらになりますか?」


肩から下げていたショルダーバックからがま口財布をパチンと鳴らしながら私は尋ねた。


「何を仰ってるんですかっ!領主様からお金は頂けませんって!」


慌てたようにマスターは言うも、私は首を振った。


「いいえ、お金はお支払いします。マスターにだって生活はあるでしょうから…だからどうか今の話は他言無用でお願いします」


言いながら、私は余分にお金を支払った。


「…申し訳ございません、領主様…」


お金を受け取ったマスターはしょんぼりした様子で私に言う。


「いいのよ、どうか気にしないで?その代わり自警団と…」


「ええ、あの若者の境遇は秘密にしておきますので御安心下さい」


マスターはニッコリ笑った―。



****


 マスターと2人でホールに戻ると、相変わらずそこには床の上に転がったジルベールがいた。そして私達二人を見ると声にならない声で抗議する。


「フゴーッ!ムゴッ!!」


「全く…うるさい男だ」


マスターが猿轡を外すと、ジルベールが喚いた。


「おいっ!何てことしてくれるんだよっ!早く全部縄を解けよ」


そしてマスターを睨みつける。


「ジルベールッ!!」


私が名を呼ぶと、ピタリとジルベールが静かになる。


「リ、リディア…」


「いい加減にして、ジルベール。馬車の中で私がした話…覚えているわよね?」


「わ、分かったよ…リディア…静かにするよ…」


どうやら今のジルベールにとって、私は頭の上がらない存在になっているようだった。


「マスター、縄を解いてもらえますか?」


ため息をつきながらマスターに頼んだ。


「はい。リディア様」


そしてマスターはシュルシュルと縄を解き、ジルベールは開放された。




****


 

『カヤ』の村の騒動も落ち着き、私はズキズキ痛む頭を押さえながらジルベールと帰りの馬車に揺られていた。


馬車の中のジルベールは妙に上機嫌だ。


「やっぱり、流石はリディアだね。きっと君なら解決してくれると思っていたよ」


ニコニコしながら言うジルベールを前に思わず殴りつけたい衝動にかられる



でも我慢よ…ここで事を荒らげたら計画が水の泡になってしまう。フレデリックが戻ってくるまでは…耐えるのよっ!


私は馬車の中で話しかけてくるジルベールを無視して窓の外に目を向けた―。

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