桃始笑(ももはじめてさく)
チカの頭上ではモモが花をほころばせている。春の訪れを感じさせる光景であったが、この地下にある植物園に外の季節が関係あるのかどうかまでは皆よくわかっていない。
それでもモモの花を見つければ「春だね」と話の種になる。なんだったら一番重要なのはそこかもしれないとチカは思った。
なにせこの閉鎖空間では常から話題に乏しい。季節の話題は会話に困って天気の話をするようなものであったが、それでも七人のあいだでは鉄板ネタであった。
「モモの枝持って帰らない?」
そう言い出したのはマシロだ。ちなみにこの場には他にササもいる。ここのところは同性三人でいっしょにいることも多くなっていた。
なにか大きなきっかけがあったわけではないものの、なんとなく三人で集まっておしゃべりに興じることが多くなった。
マシロは人懐こくて明るいから圧倒的にしゃべりやすかったし、無表情さが目につくササも、案外と悪い人間ではないということは最近わかってきたことも理由だ。
第一印象のササは、その美貌も相まって近づきがたい印象が強かった。ユースケに四六時中世話を焼かれているイメージが強かったことも、近づきがたいとチカの中で印象づけられていたように思う。
しかし近ごろはササが無表情なのは、単に怠惰だからなのかもしれないとチカは思うようになっていた。
ササは繊細な容姿に反し、どこか面倒くさがりで大雑把なところがある。だからユースケは率先して世話を焼くのだろう。
それでもユースケは根っから世話焼きというわけではなく、尽くすのはササだけだ。そういったところからなんとなくユースケとササの関係性や、両者の性格が透けて見えてくるようだった。
チカはマシロの言葉に釣られたようにモモの木を見上げる。幹はそこそこ太い。樹齢などはさっぱりわからないものの、素人目から見ても立派な木であることはわかる。
「折っていいの?」
地面を見てもモモの花がついた枝が落ちていなかったので、チカは自然とそういう発想をする。
「すぐ生えてくるだろう」
そう言ったのは先ほどまでだんまりだったササであった。
ササは無表情に加えて口数が多くないし、口を開いても声音はどこかぶっきらぼうに響く。そういうところにチカは気おくれを感じていたのだが、今は慣れて、それほどでもなかった。
そんなことよりも。
「すぐ生えてくる?」
「え? 植物ってすぐ生えてくるよね?」
チカが首をかしげれば、鏡合わせのようにマシロも首をかたむけた。
どうやら、この奇妙奇天烈で不可思議な“城”では、チカの元来の知識はあまりアテにならないらしい。……ということを、チカは目覚めてから何度も痛感している。
「そっか。じゃあ折っても大丈夫なんだ……」
モモの枝を折っても、ここでは怒るような人間はいなさそうである。チカはこの場にはいない四人の顔を思い浮かべるが、全員が興味なさげな表情をしていた。
チカの主観ではあったが、基本的に皆、マシロほど他人に興味がないように感じられる。
加えて、閉鎖空間という状況がそうさせるのだろうか。率先して揉め事を起こすようなタイプの人間はこの“城”にはいない。
そんなことをチカがつらつらと考えているあいだにも、マシロはするすると子ザルのごとくモモの木に登って、さっそく花がついた枝を折っている。
枝ぶりのいいものを三本手折ると、またするすると見事な身のこなしで下りる。
「ありがとう」と言ってマシロからモモの枝を受け取る。このときばかりはササも興味深げに手元の枝を眺めていた。
「部屋に飾ったら春めくね」
「早くあったかくならないかなー」
マシロもくるくると枝を回しながら薄紅色の花をつけるモモを見る。
「モモの花は多産を意味する縁起のいい花なんだって」
チカが「へー」と感心した声を出した次に、マシロは無邪気な顔をしてあけすけな問いをする。
「ふたりは子供欲しい?」
「多産を意味する花なのだ」といった話題から飛ぶには言うほど突飛ではなかったものの、もちろんいかにして子供が生まれるかを正しく知っているチカには、マシロのそれはあけすけに聞こえた。
加えて、マシロやササが、同室者とそういうことをしているらしいという、いらない知識を持っているチカはなんとなく居心地の悪さを覚えた。自意識過剰であることは理解していたものの、どうしても尻のすわりが悪い思いをしてしまう。
「別に」
ササは即座に気のない返事をする。照れ隠しなどではなく、心底興味がないという声だった。
そうすれば自然と次はチカが話す番になってしまう。
「……考えたことないかな」
チカはあいまいな笑みを浮かべてひどく無難な言葉を口にする。それは別に嘘ではなかった。将来のことなど考えたことはないし、しかも今のチカは記憶の一部を失ってしまっている。今は未来のことについて考えている余裕はないと言えば、そうだった。
しかしマシロにとってチカとササの返答は不満だったらしく「えーっ」と声を出す。
「マシロは欲しいのか」
そうなれば当然、次に矛先を向けられるのはマシロだ。ササが無表情のままそう問う。ササをよく知らない人が見れば怒っているように見えるかもしれないが、実際はまったくそんなことはないことをチカは最近になってわかるようになった。
「うーん。この“城”にいる限りはムリでしょ? たぶん“城”にいる限り子供はできないだろうし」
マシロの返答にチカは「なんじゃそりゃ」と二重の意味で思った。
こちらの答えに不満そうな声を出した割に、マシロ自身も今のところ子供を持つ気はないらしい返事。
そして「“城”にいる限り子供はできないだろう」という、チカからすれば初耳の推測。
両者の感情があわさっての「なんじゃそりゃ」という気持ちであった。
そこへ畳みかけるようにマシロが、チカがおどろくようなことを言い出す。
「あれだけヤってもできる様子がないってことは、たぶんそう」
この“城”でだれよりも幼く見えるマシロが、あけっぴろげに言うものだから、チカは内心で面食らう。
それと同時に、「やっぱりそういう関係なんだ……」という気持ちになった。
アマネから聞き及んではいたものの、当人たちから直接聞いたわけでもなかったので、チカの中では真実とは断定していなかったところがある。そこへきてマシロのこのセリフ。以前にもじゅうぶん推測できる出来事はあったものの、先のセリフでそういった関係であることはもう確定であった。
「まあ、そうだろうな」
ササがマシロの推測に同意する。ということはササもユースケとそういう関係なのだろう。
もしも痴話喧嘩などで関係がこじれたら、この閉鎖空間では地獄だろうな、とチカは思った。
「チカは?」
「え?」
「どう思ってるのかなって」
「どうって……私はアマネとはそういう関係じゃないんで……」
マシロとササの視線が刺さるような気がして、チカは目線を少し下に向ける。
「ふーん、意外だな」
そう言ったのはササだ。
「いっしょに寝ているんだろう」
「まあ」
「ならはずみでそういうことになっているのかと思っていた」
「はずみ」でそういうことになるには、己には色気が足りないのではないかとチカは思う。
チカは自己を美少女などとは思っていない。マシロのような愛らしさも、ササのような美しさも、己にはないとチカは思っている。
「ありえないよ」
だからそれは心底本気の、嘘偽りのない言葉だった。
そもそもチカには以前の記憶がない。いかにしてアマネと出会い、それまで関係を構築してきたのか、チカにはまったく記憶がないわけなのだ。
だから好きとか嫌いとか断定する前に、アマネがどういった人間性の持ち主であるかの知識が、チカの中では欠けている。
そういう状況では「なにかの間違い」が起こるはずもないとチカは思っていた。
チカの言葉にマシロとササは顔を見合わせる。
「じゃあそういう関係になったら教えてね! ゼッタイだよ」
マシロの声は「いずれチカとアマネはそういう関係になる」と疑っていないように聞こえた。
マシロの無邪気な言い方に、チカは引きつった笑みを浮かべることしかできない。
もしかしたら、記憶を失う前の自分はアマネに気があるそぶりを見せていたのだろうか? チカはそう考えたものの、その真実を知るべく問いただせるほどの勇気はなかった。
しばらく、部屋に飾ったモモの花を見るたびに、チカはそういうことを思い出してしまうようになってしまったので、ちょっと参ったのはだれにも秘密だ。
案外己は「ムッツリ」なのかもしれない……。チカはそう思い悩んだが、恥ずかしくて相談することはついぞできなかった。
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