2 破
ふたりの上司である男は、むろん部下たちの椿事を知らぬ。
女が自分に靡くかもしれぬと、その眸の色のうらに見当はずれな期待を
ウェットティッシュの感触はやはりおしぼりに比べ劣る、と男は思った。コストを考えれば已む無しとすべきだろうが、何度も再利用できるおしぼりよりも使い捨てのウェットティッシュの方が安価だと云うのは考えてみれば不思議な話だ。それでも環境のことを思えばおしぼりのリユースを優先するのが正解なのだろうか。だがコスト高の背景にはなにか余計な負荷がかかっているのであって、それが環境にもマイナスに働く可能性は否定できない。例えばそういうところなんだよ環境対策の胡散臭さって。
課長ちょっと仕事が出ちゃってますよこんなときぐらい仕事のこと忘れましょうよと女がジョッキに
彼としては話の内容には興味なく、只管に早く宴がお開きになって妻子の待つ我が家へ帰りたいとそれが望みで、そのため話を広げるよりも閉じる方向へとさっきから会話を誘導していた。職場の三人で
ところがいま、上司の視線が女へ向かっているのを見て、少し考えが変わった。
このひとに彼女を押しつければよいのではないか。彼の心に浮かんだストーリーは明快で安直で自己中心的だ。
彼女とは一夜限りの関係にしておきたい。と云ってそれが彼女の意思と合致すればよいのだが万一彼女が関係の持続を求めるなりあるいは表面上は同意するとして心の裡では納得せず妙な想いを拗らせ、最悪ストーカー化なんぞした日には目もあてられねえ。迷惑このうえねえ。ではどうすれば? 彼女の心がほかの男へ向かえばよいのだ。目の前の上司は見た目はぱっとしないししゃべっていてなんの面白味とて無いが経済力だけは盤石で、常識人ではあるから結婚相手としてお勧めするのに五段階評価をするならぎりぎり四をつけてやってもいいってもんだ。おれと不毛な不倫関係に突き進むよりよほど彼女の未来も明るいんでねえの?
勝手に女の人生設計まで
例の過ちの一夜に呑んでるさいちゅうふたりでさんざっぱら上司をこきおろして盛り上がったことは都合よく記憶の海のサルガッソーの底に沈めて、妻帯者はまた勝手にふたりの未来図を描いて自身の不倫地獄の可能性は遠くへ追いやった。
***
呑み会は延々とつづいている。「どうだい一杯」が一杯で済むことは決してない、それは世の
それはよいのだが、
妻子持ちの男の饒舌はつづく。まるで上司に向かって私をプレゼンしているように。それでいて彼は、上司のことも褒めそやす。今度は上司のプレゼンか? だれに向かって? 私か。私しかいないか。妙なやつだぜ、まるでふたりをくっつけようってみたいじゃないか。とせせら笑ったところでハッとした。
冗談じゃない。なめた考えこいてんじゃねえバカヤロウ。
テーブルに並ぶのは具沢山の炒飯と、鰤大根に、ポテトサラダに
無くなると急に惜しくなる。どうして先に鰤をとらなかったのだろう。だが後悔さきに立たずだ。いずれおれはこの女を一夜だけで見限ったことを惜しむのかもしれない。いやきっと惜しむだろう。いやだがこれが正答だ。これが正当だ。真っ当な男の決断だ。こいつにしたって、と男は酔いのまわって表情に締まりのなくなった女をちらり見た。
こいつにしたって、おれとハッピーエンドになり得ない不倫の道を行くより、つまらん男だが経済力だけは優良物件の課長と平凡な恋してうまいこと取っつかまえて、まんまと安定した身分を得る方がきっといい。
自らの保身を善意にすり替え男はいよいよ饒舌になった。居酒屋の陽気な喧騒のなかで男の紡ぐ言葉はどれもこれも真実味のない二酸化炭素になり地球はまた一歩カタストロフィに近づいた。
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