第501話 破滅を映す天使の瞳


 天の御力暴力に屈し、空に天剣の残骸が舞い散る……


「それ……か、それがルシルを魅了したモノ……か」


 宙に打ち上げられたミハイルの手元で、錆びたはかりが砕け散った。天使はもう羽ばたく事すらも忘れているのか、砕けた修道院のテラスへと墜落していきながら、天上で吠える“獄魔”を眺めている事しか出来なかった……


「天魔の体に人間の心火……通りで敵わぬ筈だ」


 黄色く灯る『先見の眼』……そこに映り込んだ不変の未来が、形を変えて己の敗北の姿を見せ始めた――


「永く、人の側に居続けながら、気が付かなかった……」


 口元の血を拭い、発火した拳の焔を払い落としていった鴉紋に、ミハイルは感慨深い視線を投げる。


「人は弱く、不完全で、何も成し得ない……しかしどうだ、思えば彼等は永き年月を経て、欲するものを全て手にして来たでは無いか……」


 高き土煙を上げてミハイルがテラスへと墜落すると、その衝撃に砕けた尖塔は完全に瓦解していった。


「彼等はいつだって弱者だった。だが、だからこそ人類は……他の生物を圧倒するだけのを胸に……」


 翼の折れたミハイルが天空へと手を伸ばす……その向こうより、彼を追い立ててくる黒の閃光と十二の雷火が見えた。


「天魔の様な強き存在には決して無い、生まれ落ちてから死ぬまで続く、永遠の苦難が……他の追随を許さない、逆巻く大火の焚き木となった」


 赤黒き陽光より差した黒の迅雷じんらいが、もう天使の目前に――


「それが人類の持つ……!」


 ――そして、


「――ゲエエッッばァァァアァアァアアァアアアアァアアッッ!!!!!」


 落雷と共になった鴉紋の踵がミハイルの腹に墜落し、天使の口から血の噴水が打ち上がった。

 未だ降り落ちる神聖の煌めきと血飛沫の雨……立ち退いていった鴉紋へと震えるまぶたを上げたミハイルは、全身に深手を負いながらも力強く腕を組んだ人類を認める。


「終夜鴉紋……お前さえ居なければ……私はルシルとの永遠を叶えられたのに……っ」


 大天使による怨嗟の瞳が鴉紋を射貫くと、空より光の花の群れが覆い被さって光明を照射する――


「もうソイツには飽きたんだよぉッ!!」

「……っ」


 力み上げた鴉紋が前屈みとなると、その背で爆ぜた黒き雷光が一挙に光を捻り潰してしまった。

 そして鼻筋にシワを寄せた悪魔は踏み出して来る……


「お前さえ……っお前さえ!!」

「グゥオオオオオオアアィッ!!」

「――ぅ゛――ッ!!」


 横腹を乱暴に蹴り付けられたミハイルが、テラスに降り積もった瓦礫の中へと突っ込んでいった。


「ゲふ……ぅ……っ」


 そして血反吐を吐きながら、伸し掛かった瓦礫の中でのたうち回る……


先見の眼私の目を超える、お前の様なイレギュラーさえ居なければぁ……ッ!!」


 一しきり暴れ回ったミハイルは、途中ピタリと動きを止めて制止した。


 まるで何か……今更となって重大な何かに気が付いたかの様に。


「あ……ぁあっ……!」


 些細な事だと見過ごしていた

 不変の未来を改変する存在。


「あ……! あ、あっ!!」



 あの事象が終夜鴉紋に起因するものでなく……もしものだとしたら……



 剥き出されたまなこが穴が空く程に大地を見つめる。


「私の目を超えるイレギュラー……辿るべき未来を変えた存在は……――居る……いや、


 絶望の未来に射した一筋の希望。書き換えられた破滅の未来を変え得る唯一の可能性、残された人類最期の光明……それは


「可能性は万に一つ……いや、もっと向こうか――だが」


 ……


「私も醜く抗って見せるか……人に習って」


 ミハイルに降り積もっていた瓦礫の山が、激しき黒嵐こくらんに吹き飛ばされる。

 悪意の灼眼灯らせた鴉紋は、スックと立ち上がりながら瞳を上げた天使をあざける。


「頼りの『天剣』とやらも砕け散り、もうお前に何が叶う!」


 すると灯ったミハイルの視線。突き合わせた眼光は譲り合う事も無く、天使はやはり意味深な戯言を吐く。


「……たとえその形を失ったとしても、『天剣』は砕けない」

「あ……? 世迷い言をのたまってんじゃねぇよ、無様に粉々になってるじゃねぇか!」


 そこに悠々踏み込んで来るは、憤怒に顔を歪ませた漆黒の悪意! 今奪われし世界を掴み取らんと、灼熱の闇を吹き荒らす!


「貰うぞミハイル……お前達が積み上げてきたモノ……全て!!」

「……」

「これからは、家畜と虐げられた俺達赤目こそが! 人類として……この世界を生きていく!!」

……?」

「あ?」

「俺達か……ハハハハ」

「き……貴様……っ!」


 血塗れの天使は折れたままの翼を持ち上げ、尚も挑発する様に微笑して見せた。その姿は、美貌は、何処か神々しく、哀れな姿となっていながらも、これ以上無く美しいのであった。


「私の目には……お前一人しか映り込んでいないが……?」

「キサマァァァああ――!!!!!」


 怒号を上げた恐ろしき悪魔が、遂に王の駒へと手を差し伸ばした!!

 地盤舞い上げ踏み込まれた軸足が、ミハイルの足下で爆ぜる――!!

 

「取ったぞッミハイル!!!」


 貫かれた鴉紋の黒腕――凄絶なる迫力で捩じ込まれた拳は天使の肉をえぐり出し、凄まじい衝撃を後方へと残した。


「……正真正銘、これが私に叶う最後の抵抗だ」

「お前まだ――ッ!!」


 だがその瞬間――!

 口元より血の濁流を垂らしたミハイルが、まるで抱擁するかの様に鴉紋の肩を抱いて拘束していた。


「この技は……使うつもりでは無かった」

「無駄な足掻きをッ……離せミハイル!!」


 神より授かりし神聖も失い、神遺物である業の秤ごうのはかりさえも無くした天使の手元で――


「『“原初の光エイン”』――」


 ――発生したが、鴉紋を薄明へと呑み込んだ。


 そして天使はまつ毛を揺らす……これより人類世界の命運の為に、自らの最も大切な存在に、そのに手を掛ける自分を呪って……


「お前を完全に壊してしまうから……」

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