第27話 13時30分、13時36分
2049年12月21日 火曜日 13時30分 東京都狛江市 某所
渋滞に苛立ちを隠せない様子の里井をよそに、助手席に置かれた携帯電話が鳴る。
「里井です、分かりましたか?」
『いや、さっきの話はまだ掴めていないです。野矢美佐子が乗ったSUVの行き先、カメラがないエリアなんですよ、この様子だとすぐには見つかりませんね……。それより、さっき横沢さんと話していたのですが、急に電話を切って、何だか不自然な様子だったんです。誰が来たような。何かあったのかもしれない……里井さん、あと何分で到着ですか?その後電話しても出ないので、様子が気になります』
里井は既に狛江市まで来ていた。しかし、前述の通り逃げ場のない国道は少々混み合っており、想定よりも到着にはかなりの時間を要していたのだ。
「かなり道が混んでいて……10分以内には行けるかと。とりあえず横沢さんと合流したら連絡します。行田さんは、野矢美佐子の足取りを引き続きお願いします」
『了解、里井さんも気をつけてください』
里井は電話を切る。ハンドルを叩き、イライラを募らせるのだった。
2049年12月21日 火曜日 13時36分 東京都狛江市 某所
「……ここですか」
男は窓を開けてマンションを見つめる。周囲を確認した後、ドアを開けた。
「野矢さん、案内を。すぐ降りてください。……翔は待っててくれ。逃走経路だけ確認を」
野矢はその声に従い、車を降りる。男に促され、マンション内に入っていく。
「……ここよ。2部屋借りているんだけど、こっちが正解」
301号室の前に到着する。男は瞬時に違和感を覚える。
「これは……」
ドアノブを回すと、いとも簡単にドアが開いたのだ。
男は扉を開くと、野矢に対して部屋に入るよう促す。野矢は無言で部屋の中へと入っていく。すると中の光景を見て驚かざるを得ない。後ろから、男も次いで入ってくる。
「……いない」
男はそう呟いた。目を疑う光景だ。野矢にとっては想定外のことである。有能なRTSの商売人も、ここに猿田がいないことまでは想定できていなかった。
「友弘……隠れているなら出てきなさい!」
野矢はそう言いながら窓を開けバルコニーへ、クローゼットの中へ、脱衣所へ、手当たり次第に探すが見つからない。そもそも1LDKの間取りで、成人男性が隠れるようなスペースはそうそうない。焦りを隠せない野矢の行動を眺めながら、男はリビングダイニングのカーテンを全て閉めた後、机に置かれたマグカップを触る。手を離し、腕時計に目線を移した後、野矢に向かって言った。
「野矢さん、心当たりは」
野矢の行動を見れば、手持ちがないことは明らかだ。この男も、分かっていて言っているだろう。心無い、冷たい声色だった。
野矢は、自分の利用価値が何か分かっている。しかしながら、その問いに返せる答えを持ち合わせていないのだ。
「まあ、そうでしょうね……まさかこうなるとは。私も少々甘かったようです。猿田を狙っていた人物が、警察以外もいたとは」
「え……あなたたち以外に友弘を……?」
男は腕時計の周囲に付いているボタンをカチカチっと操作し、溜め息をついた。
「野矢さん、残念ながらここまでです」
「ちょ、ちょっと待って!考えるわ、友弘の行き先!」
「いえ、猿田はおそらく、誰かに捕まったんですよ。玄関ドアは無施錠で、暖房器具も付けっぱなし、マグカップのコーヒーはまだ暖かい。さっきまでここに居たはずです。彼の状況で外出するなら、自宅を無施錠なんてことはあり得ない」
野矢も薄々気づいていた。しかしそれを認めることは、自分の利用価値が無くなったことを認めることと、同義なのだ。
「今、タイマーをセットしました。そのイヤホン、昨日爆破できると言ったでしょう。爆発まで1時間でセットしました。残念ですが、ここで死んでもらいます」
男はゆっくりと玄関に近づき野矢を背にしながら、続ける。
「非情だとか、言わないでくださいね。猿田を見つけたら息子は助けると言いましたけど、貴方の身の保証なんて、最初からしてませんし。結局、協力も失敗したんで、息子もどう処理するか考えないといけないですが……。貴方の身から出た錆ですよ。裏家業なんかに首を突っ込むからこうなるんです」
野矢はその言葉に顔を強ばらせる。
「そうね……私は……いいわ。自業自得、あなたの言う通りよ……けど息子は!息子は何もしていないじゃない……」
「そうですね……息子さんがその能力を私のために使うなら、生かすことも検討しましょうか……」
男は笑みを浮かべながらそう呟く。野矢は涙を浮かべながら、その言葉に目を見開く。
「驚きましたか?超記憶研究……私が知らないとでも?実は私の弟も治験に参加した内の一人なのでね」
男は振り返り野矢に近づく。
「研究のことは全て知ってますし、貴方の息子、野矢優がその中でも際立った成果を上げたことも知ってます。どんな能力を持っているか、についてもね」
「あなた、もしかしてそこまで知った上で優を……」
男は野矢の目の前まで近づき、野矢の髪をかき上げる。野矢は恐怖と驚愕の感情からか、それに何の反応も示すことができない。
「ええ。どんな計画も、簡単に狂います。完璧に近づけば近づくほど、些細な歪みで壊れるほど脆くなる。だから最初から、用意しておくんですよ……何があっても、何が起きても対処できるように……ゲームは、より多くの事態を想定できた奴が勝ちます。人質は誰でも良い訳じゃない、そのリスクヘッジも含め、貴方のところに荷物を預けたんですからね。まあ、猿田の行動は予定外でしたが、こうして人質の利用価値は残る。貴方が心配することはない、安心してください」
野矢の目から涙が溢れ出る。男はそれに何も反応を示さず、髪をかき上げたことで露わになったイヤホンのある左の耳元へ顔を近づける。
「さようなら」
男はそう言うと、野矢からゆっくりと離れていく。
「あ、言い忘れましたが、お渡ししていた携帯に息子さんへ繋がる電話番号が登録されてます。短縮ダイヤル1番です。貴方の残り1時間、息子さんと話す時間を残したんです。好きなだけお話しください。……おっと、お喋りしていたらもう13時45分過ぎか、あと残り50分くらいですかね」
男は玄関のドアノブに手を掛けた。
「あ!もう一つ。そのイヤホン、時限爆弾ってだけじゃなくて、地雷と同じ役割もあって。私が、いま貴方の立っている場所を設定したので、そこから半径1メートル以上離れても、爆発しますよ。結果は同じですが、残りの50分、粗末にはしないでくださいね、では」
野矢は泣きながらその場に膝から崩れ落ちた。男は振り返りもせず、ドアを開けた。
「ま、待って!!」
野矢の絞り出した声に、男の足が止まる。
「私、あなたに殺されるのよね……殺される相手の名前も知らずに、死にきれないわ……冥土の土産に、あなたの名前を教えてちょうだい……あなたみたいな最低な悪人を、呪いながら死んでやるわ……」
野矢が泣きながらも振り絞った声に、男は再び笑みを溢す。
「勿体ない、貴方のそういう強気なところ、嫌いじゃないです。……いいでしょう。私は、
男はそう言って、部屋を出た。
扉が閉まる音は、野矢には希望を閉ざされる音となった。野矢はただ泣き続け、自分のしたことを後悔していたのだった。
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