S : I : I(シー) ~ He's "No Name"

Ash

第0章 プロローグ 

第1話 

「つ、捕まえて!」


 目測で二十メートル程、前方から女性の声が聞こえてきた。「カフェ・アルファ」のテラス席で新聞を眺めながらカフェオレを啜る男は、その声に反応し顔を上げた。


「どうかしましたか?」


 周囲にいた人間がその女性に声を掛けたようだ。二十メートル前が慌ただしくなってくる。


「あ、あの緑の帽子の、あの人に鞄を盗られたんです!」

「なに……ひったくりだ!おい、ひったくりだぞ!」

「だ、誰か捕まえてください!」

「警察だ、警察を呼んでやれ!」


 目測で四十メートル前方、緑の帽子を被った男は、狭い商店街を歩く人々に体当たりしながら全力で駆け抜けていく。だが見たところ、逃走犯はが得意ではないようだ。


「おいおい、誰か捕まえてやらないのか……。揃いも揃って傍観するだけとは、世知辛い世の中だねぇ、そう思わないか、マイケル」

「ジャパニーズにそれを要求するのは酷な話だろう。このご時世、赤の他人のことに構っている余裕のある人間なんていないのさ。警察を呼ぶだけ、立派なもんだ。最も、彼らが呼んだ警察が来る頃には、逃げられてしまっているだろうがね」

「相変わらず、冗談がきついねぇマイケルは」

「孝太郎にそれを言われるのは心外だな。そんなことより、これこそお前のジョブではないのか」


 その男は、マイケルと呼ぶ店主の話を耳を傾けながらカフェオレを一気に飲み干し、椅子に立て掛けていたアタッシュケースを手に立ち上がった。


「言われなくても。正確に言うと、窃盗は管轄外だけどね」

 

 男は続ける。


「ところでマイケル、今日のカフェオレは少し甘すぎたんじゃないか」


 不敵な笑みを浮かべ、ポケットから小銭を取り出しテーブルに置く。


「文句なら後で聞く。早く追いかけないと、流石に見失うぞ」


「大丈夫さ、被害者の女性は頼んだよ」


 男は振り返ると同時に「ごちそうさま」と言い残し、百メートル近く離れている逃走犯の背中を追って駆け出していった。



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