夕陽で赤く染めて

赤いもふもふ

染められず

 私は後悔していた。

 何をと言われたら、作ったことも、渡したことも、告げたことも、全部だ。

「なんで」

 言いかけた言葉に先はない。

 さっきからドクドクと脈打ち続けるその意味を考えることもできないくらい、頭の中ではぐるぐると血が巡っていた。

「なんでって、そりゃ、好きだからだよ」

 当然の言葉は、血と一緒に回り始めた。

 好き? 誰が? 誰を?

 つい寸前まで、あんなに明白だったそれが、今やもう少しも分からない。

「それで、青葉は俺と付き合ってくれるの?」

「え?」 

 疑問符の先は、やっぱりない。

 私が言うべきことは、するべきことは、なんなのか。

 ふらりとするくらいの血流が、それらを考える余裕なんて与えなかった。

 立ち尽くして、何分、何十分、一時間くらい経ってたのかもしれない。校舎裏はずっと変わらなくて、そこから見える辺りの景色が赤く染まったことでようやく、私は自分がしてることに気づいた。

「ご、ごめん」

 突然謝った私に、須藤は驚いたような顔をする。

 私の答えを待つ須藤を、私はどれだけ待たせてたのか。考えるだけで、頭からはさっと血が引いていく。

「えっと、ごめんって……え、俺ふられたってこと?」

「え、いや違う」

 咄嗟の否定に、須藤は笑う。

「そうじゃなくて、ええと、私はお前をずっとここに立たせてて、それで、その」

 しどろもどろな私の様子を見て、須藤はいつものように落ち着くよう促してくる。言われたとおりに、一度大きく深呼吸をしてから、再びゆっくりと考えをまとめる。

「須藤、お前を長い間立ちっぱなしにさせた。ごめんな」

 それだけ言うと、須藤はまた笑った。

「いいよいいよ、別にどうってことなかったしさ。で?」

「で?」

 私は謝って須藤は許した、それ以上に何があるのか。

 考えて、はっと思い至る。

「えっと、その」

 冷静な頭は、今自分が言うべきことが何なのかを明確に伝えてくる。それを告げたのだから、その先の結末はそうであるべきだと。

 言葉が出ないままに数秒が過ぎ、須藤におーいと呼びかけられたことで、止まっていた思考はそのまま口から出た。

「ああ、付き合おう」

 少しの間をおいて、須藤はやったーと叫び私を抱きかかえる。そのままくるくると回るように私を振り回して、満足したのかぴたりと止まる。

「まったく、お前は昔から犬のようだな」

「いいだろ? 尻尾は見えないよりは見えてた方が」

 意味の分からない論理に少し笑ってしまう。付き合うとなっても何も変わらない須藤に、私は少し安心した。

「じゃあこれからよろしくな、青葉」

「ああ、よろしく」

 差し出された手に握手を返すと、須藤はそのまま私の手を引いて歩き始めた。

「ちょ、おい、この手はつないだままか?」

「付き合ってるんだし、なんか雰囲気出そうじゃん?」

 楽しげに言う須藤は、ぶんぶんと手を振りながら歩く。私の手がそれに振り回されるのも気にしないで、ご機嫌に歩くその姿は、昔見た覚えがあった。

「子供に戻ったみたいだな」

 ぽつりと言うと、何か言ったかと須藤が振り返る。それに否定の言葉を返して、私は須藤と帰路についた。


 それから二週間が経った。

 付き合い始めた私と須藤はと言うと、特に今までと何も変わりはなかった。

 もとより私と須藤はほとんど一緒にいたし、よく遊びにも出かけていた。デートだと言ってみても、特別何かをするわけでもなく、それはただいつもの日常と同じものだった。

 一つ変わったことがあるとすれば、今までうっとおしかった恋人いじりや夫婦いじりに、須藤も私も真正面から付き合っていると言えるようになったことだ。私たちの関係においては、それが一番の変化だろう。

「須藤、今日は帰りに寄りたいところがあるんだが」

「うんいいよ、どこ?」

「本屋だ。今日新刊が出る予定なんだ」

「了解、じゃあ部活終わったら教室で集合な」

 ほら、こういうやり取りをしていてもヤジが飛んでこない。正直流すのも面倒だったから、これは非常にありがたい変化だ。

 そう考えてみると、あの日告げたことも間違いではなかったのだと思える。

 放課後、私と須藤は教室で合流し本屋へと向かう。

 その道すがら、ふと、須藤がじっと私をうかがっていることに気づいた。

「どうした須藤、なにかあったか?」

「あ、いや。そういうわけじゃないんだけど」

 言いにくそうに須藤は私から目を逸らした。十年以上付き合ってきて初めての行動に内心驚きながら、私は須藤に問いただす。

「なんだ、私に隠し事か?」

「だから、そういうわけじゃないって」

「じゃあほら、言ってみろ」

「え、うーん……」

 本気で困ったように唸り始めた須藤は、その場でぴたりと足を止めて動かなくなってしまった。

 もしかしたら本当に何かあったのかもしれない、そう思うと急に心配になってくる。

「須藤、いいから言ってみろ。私とお前の仲だろ」

「……手を」

「え?」

 小さく言った須藤の両目は、私の左手に集められている。手? どういうことか分からずにいると、須藤はしゅんとした子犬のようになってしまった。

「すまん須藤、手が、なんなんだ?」

「……手をつなぎたいなって、考えてただけだよ」

 私はあっけにとられて、口を開いたまま何も言えずにいた。須藤が、手をつなぎたいだなんて言い出すとは、みじんも頭になかった。

 よくよく考えれば、私たちは付き合っているのだから、そう言ったことも普通なのかもしれない。しかし私と須藤がそういうことをするだなんて、思いもしてなかった。

「そ、そうか。手か、なるほど」

 動揺で声が震える。たしかにそう言えばあの日以来、手をつないで歩いたりはしていない。

「もちろん青葉が嫌だったらいいんだ、俺は」

 そう言う須藤からは、明らかに垂れ下がっている尻尾が見える。そんな反応をされては、私が悪いみたいではないかと言いかけて、その通りではないかと思い至る。

「いや、よし、つなごう」

「え? でも青葉」

「つなぐべきだ、私たちは恋人なのだから」

 そう言って、須藤の右手をがしっと握る。そうだ、これで正解なのだ。そう思い込む。

 いつの間にか夕陽が落ちてきて、辺りは赤く染められていた。

「さあ、これで問題は解決だ。本屋が閉まる、急ごう、須藤」

「あ、ああ、そうだな」

 それから本屋へ着くまで、私は何を考えたか覚えていない。気づいたら本屋にいて、新刊を手にしていた。

 帰り道も、思い切って須藤の手をつかんで帰ってきた。須藤は終始、申し訳なさそうな、後ろめたそうな表情をしていた。

「じゃあ須藤、またな」

「え、ああうん、また」

 歯切れ悪く言った須藤は、向かいにある家へ帰っていく。

 須藤、私は何かを間違えたのだろうか。聞くことのできない疑問は胸に落ちていった。


 翌日、私の緊張もそでに須藤はいつも通りだった。

 家の前で挨拶をして、一緒に学校へ行く。授業も休憩もずっと一緒で、放課後には帰りの約束を取り付ける。部活終わりに合流すると、並んで帰路につく。

 何もかもがいつも通りで、昨日のことなんてなかったかのように一日が進んだ。

「なあ須藤」

 だからこそ、私は帰り道の途中で切り出さずにはいれなかった。

「私は、お前に無理をさせているのか?」

「え……いや、そんなことないって」

 須藤は、苦笑いを浮かべながら言う。その言葉を信じられるくらいに、浅い関係であれば、あるいはよかったのだろうか。

「須藤、私は……」

 言葉の先に何を言おうとしているのかが分からなくて、声が止まる。

 私はなぜこんなことを切り出したのか、黙ったまま日々を過ごせばよかっただろうに。

 一瞬、そう考えた私に、私は酷く憤りを覚える。

「青葉、俺は平気だから。別に無理なんてしてないし、青葉だって無理しなくていいからさ」

「私は無理なんてしてない」

 否定の言葉だけは、ぱっと口から吐き出せる。けれど須藤は、きっとそんな言葉を信じていないということだけは分かる。

 それだけ、私たちは近かった。ずっとそばにいた。嘘なんて通用しないくらいには。

 だったら。

 思い至った考えを胸の中に押し込める。そんなことはありえない。

「須藤、私はお前の恋人なんだろう。隠し事は無しだ」

「うん、わかった」

 そう言った後、須藤は私と手をつなぎたいのだと、昨日のように過ごしたいのだと伝えてきた。

 私はそれを了承して、須藤の手を握って帰る。赤い夕陽が落とすV字型の影が、酷く目に残った。


 それから、須藤が私に隠し事をするようなことはなくなった。

 手をつなぎたいだとか、ほかの男子と二人きりにならないでほしいだとか、あまり以前のように顔を近づけないでほしいだとか。

 私にはよく分からないこともあったが、須藤がそう言うならとそうした。

 そんな私を見て、須藤はいつも後ろめたそうにしていた。そんな必要はないと何度伝えても、それは変わらなかった。


 その日、私はいつものように須藤を待つため教室へ戻っていた。

 するとそこには、誰かを待っていたのか、隣のクラスの朝比奈がいた。

「あ、来た来た。久留間さん、待ってたよー」

「……私?」

 どうやら待ち人は私のようだった。とてとてとでも言うべき歩き方でこっちへ来ると、朝比奈は耳もとに口を近づける。

「ねぇ、須藤君とどこまでいったの?」

 どこまで? そう聞き返そうとして踏みとどまる。付き合っている男女にそうして聞くことなんてものが、一つしかないことは私でも知っていた。

「そういうことは、あまり他人に話すつもりはない」

 そう言うと朝比奈は、えー、とうなだれた後、別にいいじゃんと続けた。

「だって気になるでしょ? まあ須藤君、ずっと好きだったみたいだし、やることはやってるかー」

「え?」

「え?」

 疑問符が、教室でこだまする。たしかに須藤は私のことが好きだった、だから私は須藤と付き合っている。しかしずっと? ずっとというのはいつから?

 朝比奈とは、小学生からの付き合いでもう八年ほどのものになる。そのころにはもう、私と須藤の関係は今とそう変わらないものになっていた。

「え、だって須藤君小学校からずっと久留間さんのそばにいたじゃない」

「それは、私たちが幼馴染で、友人だったからだ」

「いやいや、本気で言ってるの? もしほかに好きな人が出来たら、幼馴染だろうとなんだろうと、自分が別の異性とあんだけくっついてるの見られたくないでしょ」

「そ、そう、なのか?」

 ぽろりとこぼれたそれを拾いなおすことはできない。朝比奈が一瞬驚いたような顔をしたのを、私は見逃せなかった。

「ねえ、久留間さん今――」

「青葉、帰ろう」

 突然かかった声に振り向くと、そこには須藤が立っていた。

 須藤はそのまま私の手を持つと、引っ張るようにして歩いていく。廊下を渡って、階段を下りて、玄関につくまで、無言のまま私は引っ張られ続けた。

「須藤」

 かけた声に須藤は振り向く、その顔はやっぱりどこか申し訳なさそうな、後ろめたそうなものだった。

「青葉、どうかした?」

「……いや、なんでもない。今日も手をつないだまま帰るのか?」

「うん、俺はそうしたい。青葉は?」

「私は」

 私は、どうすべきなのだろう。どうしたら正解なのだろう。

「青葉は、どうしたい?」

 どう、したい。それは、今の私には難しすぎる問いだった。答えられないまま、時間が過ぎていく。赤い夕陽が照らす中、ただ立ち尽くす私を、須藤はじっと待ってくれていた。

「私は、須藤のしたいようにすればいいと思っている」

 それは、絞り出した本心だった。

 私は須藤が嫌いじゃない。須藤が私を好きと言うなら、須藤が私と手をつなぎたいと言うなら、それはきっと叶えるべきことなんだと思う。

 それが普通で、それが正解だ。そうすれば間違いはないはずだ。私は心からそう信じている。

「……そっか。俺はさ、青葉のしたいようにしたいんだ」

「私のしたいように?」

「俺は、分かってたのに、浮かれて、喜んで、目を逸らし続けたんだよ」

 独白とでも言うべき雰囲気が、誰もいない玄関に満ちる。

「俺はもう十分、したいようにしたんだ。だから次は、青葉のしたいように、青葉のやりたいようにしたい」

 零れそうになる涙をこらえた。ここで泣いたりしたら、それを認めることになる。それだけはだめだ。

 私はつながれたままの手をぎゅっと握った。

「じゃあ須藤、私はお前と手をつないで帰りたい。須藤、私はお前とキスがしたい、須藤、私はお前と――」

 ぎゅっと、つないだ手以上の強さで抱きしめられる。

 顔のすぐ横からは、嗚咽が聞こえた。

「なんで、お前が泣くんだ」

 私がそう聞いても、須藤は答えなかった。

 私たちはただ、ずっと泣き止むまで、抱き合っていた。

「須藤、見ろ、空が赤を通り越して暗くなってきた」

「そうだな、そろそろ先生が見回りに来るかも」

「それにしても、今日のことで私たちは学校公認になるかもな」

「あれだけ熱烈に抱き合ってれば、噂くらいにはなるかもね」

「なあ、須藤」

「なんだ?」

「私は、私はお前の恋人として、正しく在れたか?」

 あの日きっと言おうとしていたことを、今聞く。

 須藤は少しの間考えて、三角くらいだと思うと笑った。

「三角か、厳しいな」

「これでも随分甘めに採点したつもりなんだけどね」

「なあ、須藤」

「こんどはなんだ?」

「なんでお前は、私とキスもセックスもしなかったんだ?」

 ぶっ、と須藤が吹き出して、げほげほとむせかえる。

 なに聞いてんだよと言うその顔に、もう後ろめたさはない。

「なんでって、そりゃ、俺がお前を好きだからだよ」

「……そうか」

 あの日私が分からなかったことを、お前はもうずっと知ってたんだな。

「なあ、須藤」

「おいおい、次はなんだ?」

「私と、別れてくれ」

 しん、と、何もかもが音をなくす。赤かった空はもうどこにもなくて、赤く染められていた玄関ももうどこにもない。

「いいよ」

 短くて簡単な肯定の返事は、当然の様に告げられた。

 それは、けれど。

 ああ、あの日の須藤も、こんな気持ちだったのだろうか。

「須藤、ごめん、私は――」

 言いかけた私の口は、須藤の手でふさがれた。そしてそのまま、私たちは初めてのキスをする。

「別れよう青葉、好きだった」

 手越しのそれは、私たちにとって、たしかに本物だった。


 その後、私たちは見回りの先生に見つかり、学校を追い出されるような形で帰路についた。

 私と須藤は、手をつなぐこともなく、ただ、隣を歩いた。

「じゃあ、また」

 須藤はそう言って、向かいの家へと帰っていく。

 もう二度と、あの日より前には戻れない。

 けれど、そこに後悔はない。

 私と須藤に、もう嘘も隠し事もない。

 きっと、それだけで良かったのだと、私は思うから。

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夕陽で赤く染めて 赤いもふもふ @akaimohumohu

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