毒花の人生にも彩りを
てふてふてふ
そして、男は死んだ
「金が・・・金がない・・・」
とあるアパートの一室。物という物が見当たらない空虚な部屋の中、男が苦悶の声を上げながら床を凝視している。年季の入ったアパートはお世辞にも綺麗とは言えず、それに掛かる費用も相応でしかないはずなのだが、それすらも、男の思考を蝕む原因となっている。
男は自身の持つ財布の中身を何度も確認していた。逆さまに振っても、床に落ちるのは数枚の硬貨のみであり、紙幣の類は一切見当たらない。どころか、財布に挟まっているカードは大体が利用不可になっており、銀行に預けているお金など当然ある訳がない。あったらこうして苦悩することもないだろうが。
「家賃を払うどころの話じゃない・・・このままじゃ飢え死ぬ・・・!」
しばらくは満足に食事も出来ていない。ほとんどが水で空腹を紛らわせているだけであるが、それも限界が近づいている。
このまま過ごしていればどうなるかなど、誰が考えても明白だ。
死という現実が目の前に迫ってくるのを幻視し、思わず身震いする。
まだ家賃を支払う時期ではないものの、先立つ物がないというのは嫌でも不安を増長させる。そして当然人間であるので、何も飲まず食わずで生きていける訳もない。
「飯を・・・探さないと・・・!」
男は体力のあるうちにと、とにかく口に入れられる物を探しに外へと向かう。
一体どこでケチがついたのだろうか。
小学校、中学校、高校と、基本的な学業をこなしている辺りでは、順調だった思い出しかない。成績だって中の上はキープしていたはずだし、悪行に手を染める事だってなかった。
問題はその先だ。
大学に進むも自身のやりたい事がはっきりとは見つからず、緩慢にぶらぶらと日常を過ごしていたのだが、そんな人間が社会に出たらどうなるか、想像もしていなかった。
ただ漠然と生きる為に生きる。その程度の意思しかない人間に、この世界は優しくなかった。
仕事を探すが、見つからない。いや正確には、何処もとってくれないのだ。1社に落ちた時はただ運が悪かったとポジティブに考え、2社落ちた時もなんとかなると楽観視していた。
しかし、それが何度も続けば、自身に何か問題があるのではと考えざるを得なくなる。
今となっては、自分の欠点は流石に理解をしている。
頭の中だけで色んなことを何度も思考してしまい、それでいて、人と対面するとうまく言葉を話す事が出来ないのだ。脳内の自分は、相手としっかりと話せているビジョンがくっきりと映っている。しかし、いざ対面で話すとなると、いままでの思考が全て無駄になるくらいには、うまく言葉にすることが出来ない。
表情にもそれは現れ、いつも何故怒っているのかと疑問視される顔は生まれつきだと返すのが常套句になっているものの、鏡を見返せば睨みつけるように鋭くした眼と不快気に歪めている眉毛が出迎えてくれる。『怒っています』というアピールをするのに困る事はなかった。
当然その欠点は面接でも遺憾なく発揮され、無事、社会不適合者の烙印を押される事となった。
それでも、この前まではアルバイトとして近所の百貨店で働いていたのだ。挨拶の声が小さいと怒られ、接客しようにも言葉に詰まり、何度も聞き返される日々を過ごし、2か月もしないうちにクビを言い渡され、その時の給料もほぼ残っていないが。
「くそぅ・・・。何もかも貧乏なのが悪いんだ・・・」
世の中を恨み、責任転嫁することくらいしか、今の男には出来ない。自身が他人よりも劣っているのだと認めたくはない。
惨めな気持ちを押し殺し、明日を生きる為に地を這いずり回る。
「腹が痛い・・・。痛いよぉ・・・」
男は苦しみ倒れていた。
空腹に耐えかね、食した事もなければ知識もない、見た目だけならばどこにでもありそうなキノコを口にした事が原因だ。
火を通せば問題ないだろうという甘い考えでライターを使って炙り、香ばしい香りが漂い始めた時には、自身は天才なのではないだろうかと勘違いをするくらいには、脳に栄養が回っていなかった。
一口食べた時は何も問題がなく、口に広がる旨味が腹を埋めていく感覚に幸せを感じるくらいだった。そうなってしまえば当然、腹が満ちるまで食べ尽くそうと考えてしまうのが人情なのだろう。
その浅はかな考えは、今こうしてすぐに覆される事となった。
おいしい、おいしいと涙を流しながら食べた食事は、すぐに別の涙を流す原因へと代わり、徐々に広がる痛みと痺れに口が震え、歯の摺り合わさる音が脳内へ響く。
男には正確に理解が出来ていないが、きっと毒のような物に身体が蝕まれているのだろうということは、薄れてゆく意識の中でおぼろげにイメージ出来る。
きっとこのまま何も為せず、誰にも看取られず、塵芥の様に消えてゆくのだろう。
「なんで、なんでこうなるんだよ・・・俺が何をしたっていうんだ・・・!」
男は地面に横たわりながら涙を流し、苦しさを紛らわすかのように大きく息を吐く。呼吸が細くなっていくのが分かり、
何をやってもダメな人生だった。
理想だけは頭にあり、それを実現できる力がなかった。
こんな毒に負ける程度の貧弱な身体しかなかった。
金がなかった。
知識がなかった。
運がなかった。
幸せに、なれなかった。
「くそぅ・・・くそうぅぅ・・・!!」
来世があるならば、もっと楽しい人生を歩みたい。
進む先を見通せるような、簡単な人生を歩みたい。
「あ・・・あ・・・」
口からは最早言葉とは呼べない何かしか零れてこず、次第に焦点も合わなくなる。痛みの臨界点を突破した肉体は、苦しさよりもむしろ心地よさすら与えてくれるようになり、その感覚に身を委ねれば、あとはもう、意識を手放すだけだった。
そして、男は死んだ。
「はっ・・・!?な、なに・・・今のは・・・」
商人から貴族まで成り上がったマリーゴールド家の娘、ステラ・マリーゴールドは、たった今まで見ていた夢によってベッドから跳び起きる。外は明け方近いものの普段ならばまだ寝ている時間であるが、眠気など欠片もなくなるくらいの衝撃により、目は完全に覚醒してしまった。
今年でようやく年齢が二桁に届くその少女は、少女には似つかわしくないくらい険しい表情をしており、鬼気迫ったものがある。
幼少期より伸ばし続けた、黄金に輝く長い髪は大きく乱れ、気が強そうだとよく言われる眼は見たものを射殺すのではないかと思わせるくらい鋭く尖っている。細く滑らかな指は、自身を覆っていた毛布を強く掴んでおり、その皺の強さからどれだけ力を込めていたのかが見て取れる。顔を伝う汗は冷え切っており体温が奪われていくのを感じるが、今はそれどころではない。
荒い呼吸を落ち着かせるように吸って吐いてを繰り返し、現状を整理する為に頭を働かせる。
「ゆ、夢・・・?でも、おかしいわ・・・。な、なんなの・・・!!」
寝起きでまだ朦朧としており、それでも考えなければと思う程、思考が乱れる。
夢を見ていた、はずだ。とある男の人生を。確実にこの世界とは違う、別の世界の男の一生を。生まれてから、成長し、そして死ぬまでの。
そう、一生分を、夢で見たのだ。
たった一度の夢で、まるで実体験したかのような明晰夢を。
「わ、私は、一体誰なの・・・!?」
自分がステラ・マリーゴールドであることは間違いない。
今よりもまだ小さい頃にやんちゃをして、怪我をしたことを覚えているし、家族の名前も、顔も、全て知っている。怒られたことも、褒められたことも、それが自身に向けられたものであるという確信だってある。あれは偽物ではないはずだ。
しかし同時に、自身があの夢で見た男であるという感覚もある。
夢を見ていたはずなのに、記憶や感覚はあれが現実であったと、自身が体験してきたことだと否が応でも実感させてくる。
震える手をもう片方で抑えつけ、しっかりと見つめる。
これは現実なのだろうか。まだ夢を見ているのではないだろうか。
ならば覚めて欲しい。
そうでないならば、誰か答えが欲しい。
「私は一体、どっちなの・・・!!?」
混ざり切った心の答えをくれる存在は現れない。
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