世界がゾンビで滅びましたが親友♂がTS美少女になった俺はそれどころじゃない

瘴気領域@漫画化決定!

親友♂がTS美少女になった

「ほらほら、ケイちゃん見てみ? すっごい揺れる」


 声をかけてきたツカサを見れば、体操着がはちきれそうなほどに豊かな胸をばるんばるんと揺らしていた。

 俺は慌てて目をそらす。


「うるせぇ。静かにしてないとゴリ先に気づかれるだろ」

「こんな大雨なら大丈夫だって。ずっと大丈夫だったし」


 外からはうるさいほどの雨音がずっと聞こえている。

 格子つきの窓から外を覗くと、雨で煙って校舎が霞んで見えるほどだ。

 視界が一瞬白く染まり、遅れてごおおんと低い音がとどろく。


「ひゃっ!」

「うわっ!」


 突如身体に触れた柔らかい感触に思わず悲鳴を上げてしまう。

 そういえば、こいつは昔から雷が苦手だったな……。

 もう高2だっていうのに、まだ治ってなかったのかよ。


「ケイちゃん、しばらくこうしててもいい……?」

「お、おう」


 俺の服の裾を掴みながら、目をうるませるツカサに思わず生唾を飲み込んでしまう。


 ……いや、待て、冷静になれ。落ち着け、俺。


 いくら今は女の体になっていると言っても、ツカサは男で、親友だ。

 幼稚園のころから男友達としてずっとつるんでいたじゃないか。

 たとえ童顔ロリ巨乳と化したいまでも、それは変わらないはずだ。


 震えるツカサの隣に腰を下ろし、どうしてこんなことになったのか思い返していた。


 * * *


 それは体育の授業中に起こった。


雛山ひなやま先生、雛山先生。校庭に来客です。至急、体育館までお越しください』


 唐突に響き渡った校内放送。

 準備体操をしていた生徒たちの動きが止まり、一瞬考え込む。


 雛山という教師はこの学校には存在しない。

 これは学校に不審者が侵入した際の符丁であり、「校庭」は不審者が侵入した場所、「体育館」は避難先を指示するのだと思い出すまでしばらくの時間が必要だった。


「整列、整列! 整列ぅー!」


 体育教師の剛田が体育館の床を竹刀で叩く音でざわめきが収まった。

 散らばって準備体操をしていた生徒たちが4列縦隊で整列する。


「いまの放送の意味はわかったな! 先生は校庭の様子を見てくるから、お前らはここでおとなしくしているように!」


 剛田はデカイ体を左右にゆすりながら、がに股で体育館を去っていった。

 いかつい顔も相まって、生徒たちからは「ゴリ先」というあだ名を影でつけられている。


「ねぇねぇ、ケイちゃん、何があったんだと思う?」

「何があったも何も、不審者が学校に入り込んできたんだろ」

「共学の高校に入り込んでくるなんて、もの好きもいるんだねえ」

「まあ、普通は小学校とか女子校とかだよな」


 ゴリ先がいなくなったあと、小声で話しかけてきたのはさっきまで一緒にストレッチをしていたツカサだった。

 好奇心で目をキラキラさせている。これはまずいな……。


「おい、見に行こうなんて思うなよ」

「ええっ? そ、そんなこと考えてないよ」


 図星だな、これは。

 ツカサは昔っからガキっぽくて、気になることがあるとふらふらとそっちに行ってしまうのだ。

 それが危なっかしくて見ていられず、いつの間にやら俺はツカサの保護者のようなポジションに落ち着いてしまった。


 ……まあ、ツカサのそばにいると色々なことが起きて面白いという気持ちは否定できないのだけれども。


「小学校のときにも一度あったよね、不審者騒ぎ」

「あー、そういやあったな」


 通学路に不審者が現れるというので、探偵を気取ったツカサがその正体を暴いてやろうとこっそりパトロールをしていたことがあったのだ。

 正体は典型的な露出魔で、ツカサに鉢合わせた際もコートの前をはだけてを露出させたのだが……


 ――スーパーヒーローキィィーーック!!


 ツカサが放った飛び蹴りが股間に炸裂し、不審者はその場に崩れ落ちたのだった。


 パトロールに付き合わされていた俺が防犯ブザーを鳴らし、犯人は無事逮捕されたのだが、ツカサの黒いランドセルに気がついた露出魔のおっさんが「えっ? 男の子だったの? えっえっ?」とバグった反応を見せていたのが妙に記憶に残っている。


 ツカサは線が細く、小柄で整った容姿をしているせいか、昔から女の子に間違われることが多かったのだ。


「ああいうバカに付き合ってくれるケイちゃん、大好きだったんだけどなあ」

「バカだとわかってるんならやめろよ……」


 くだらない話をしていると、ガラガラと体育館の戸を開く音が響いた。

 ゴリ先が戻ってきたようだ。

 俺たちは慌てて口をつぐみ、背筋を伸ばして整列の乱れを直す。


「うごァぁあア……うごァぁあア……」


 ゴリ先の様子がどうもおかしい。

 目が血走っているし、歩き方もいつも以上にゆらゆらと不安定だ。

 こいつ、マジでゴリラに先祖返りしたのかな……と内心で思うが口には出さない。

 余計なことを言って目をつけられれば、しごきのターゲットにされてしまう。


「うごァぁあア……うごァぁあア……」


 ふらふらと歩いてきたゴリ先が、女子生徒のひとりの肩に手をかけた。

 あーあ、こういうところだよな、セクハラゴリラとか言って女子に嫌われてるのは。

 いい加減、誰か教育委員会に通報してクビにしてもらえないものか。


「きゃぁぁぁあああ!」


 とりとめもない思考を中断させたのは、その女子生徒の悲鳴だった。

 そして目を疑う光景。ゴリ先が、女子生徒の首筋にかみついていたのだ。


「ちょっ! 先生何してるんすか!」


 最初に動いたのは空手部主将の高山だった。

 高山がゴリ先を引き剥がしにかかると、柔道部やアメフト部など、体力自慢で血の気の多い連中が次々に参戦していく。


 数分の格闘ののち、やっと解放された女子生徒にツカサが駆け寄った。


「大丈夫!? わ、めっちゃ血が出てる!」


 ツカサがハンカチを取り出し、女子生徒の首筋に当てる。

 白いハンカチがみるみる赤く染まっていった。


 突然のことに硬直していた俺の身体もツカサの行動を見てようやく動いた。

 応急手当の手伝いをしようとツカサに向かって走りはじめる。


「わっ! 痛いっ!」


 またしても唐突な悲鳴。これはツカサの声だ。

 治療されていた女子生徒が、ツカサの手に噛み付いていたのだ。


「こら! 落ち着け、離せ!」


 ツカサから女子生徒を引き剥がし、なお暴れようとする女子生徒を押さえつける。

 いきなりゴリ先に襲われてパニックに陥っているのだろうか。

 一向におとなしくなる気配がない。


「「「うごァぁあア……うごァぁあア……」」」


 ゴリ先が発していたような不気味な唸り声がさらに増えた。

 女子生徒と格闘しながら声の方を見ると、校庭から複数の人影が侵入してくるのが見えた。


 スーツをまとった中年男。

 スウェット姿の不良風の男。

 エプロンをつけた主婦のような女。


 そして、それらすべてが、血まみれの服をまとっていた。


「ケイちゃん……これ、やばくない?」

「ああ……やばそうだ」


 噛まれた右手を抱えてうずくまるツカサの震える声に、俺も上ずった声で応じる。

 なんだよこれ……一体何が起きてるんだよ?


 * * *


 それから俺は、ツカサの手を引いて体育館の中を逃げ回り、最終的に体育準備室に立てこもった。

 他の生徒たちも散り散りに逃げ、体育準備室に逃げ込んだのは俺たちしかいない。


 ツカサは噛みつかれたショックのせいか、いつもの元気がない。

 横たわって荒い息をついている。


 早くちゃんとした手当をしてやりたいが……扉の向こうではあの不気味な唸り声がまだ続いている。

 少なくとも事態が落ち着くまではここに隠れているべきだろうと考えていると、かすれた声でツカサが言った。


「あれ……さ、ゾンビってやつだよね……絶対」

「そんな馬鹿なことあるかよ」

「そうだ……ニュース、見てよ。持ってるでしょ、スマホ」

「ああ、そういえば持ってたな」


 ツカサに言われて太もものホルダーに挿していたスマホの存在を思い出す。

 うちの学校は校則が厳しく、スマホの持ち込みが禁止されてるからこうやって隠し持ってるやつが多いのだ。


「ツカサだって持ってるだろ?」

「ぼく、ギガ死……」

「まだ月初めじゃねえかよ」


 小声で軽口をかわしつつ、スマホを取り出す。

 こういうときはどうしたらいいんだ?

 これだけの大事だ、さっそくニュースになっているかもしれないとニュースサイトを開くと、現実とは思えない見出しの列が目に飛び込んだ。


 ――日本全国で突発的な暴動発生。交通機関に重大な影響

 ――XX市で大規模火災。暴動による放火か?

 ――新種の狂犬病? 政府は不要不急の外出を控えるよう声明

 ――絶対に外に出るな!ゾンビが現実こrはジョークじゃnii


 ……は? 最後のとか盛大に誤字ってるじゃん。

 冗談にしては手が込みすぎてるぞ。


「……SNSも、見て」

「お、おう」


 ツカサの言葉に従って、ニュースサイトを閉じてSNSアプリを立ち上げる。


 ――誰か助けて! 家がゾンビに囲まれてます!

 ――釣り針がでけぇw ゾンビとかリアルにいるわけねえだろ

 ――ガチゾンビすぎて草。ショッピングセンターなう。これ死亡フラグ?

 ――警察も消防も電話つながらない。ねえ、どうしたらいいの?

 ――こっちは税金払ってんだよ! とっとと自衛隊出動させろよ!


「ほら、ホントに……ゾンビだよ……」

「はは、マジみてえだな……」


 とても受け入れがたい非現実的な出来事だが、目の前で起こった事件と、スマホで見た情報を合わせて考えるともはや否定はできなかった。


「だからさ、ぼくも……外に捨ててよ……」

「はあ!? 何言ってんだよ!」

「ぼく……ゾンビになっちゃうから……」


 ツカサがふらふらと上げた右手には、あの女子生徒の歯型がくっきりついていた。

 さらにいえば、あの女子生徒はゴリ先にかまれてゾンビになっていた。

 つまり、ということは……


「って、そうなるって決まったわけじゃねえだろ!」


 俺は思わず怒鳴ってしまった。

 ツカサの身体がびくりと縮こまり、思わず心臓がぎゅっとなる。

 ダメだ、ツカサが弱っているっていうのに俺まで冷静さを失ってどうする!


「あの女子はかまれてすぐにゾンビになってた。お前はなってない」

「発症まで……個人差が、あるだけ、かも……」

「個人差って言うんなら、ゾンビにならない可能性だってあるだろ」


 そのあともうわ言のように自分を捨てろと繰り返すツカサを無視し、体操マットを敷いてそこへ寝かせる。

 身体に触れるとものすごく熱い。

 にも関わらず、ツカサは背中を丸めてぶるぶると震えている。


 何か温められるものはないかと部屋の中を見渡すが、そんな都合のいいものが体育準備室なんてところにあるわけがない。

 着ていたジャージを脱いでかぶせるが、こんなのじゃ焼け石に水だ。


 どうにかして温めてやらないと。

 ぐるぐると同じところを歩き回って、はたと気がついた。


「あるじゃねえかよ、温かいもの」


 俺はツカサに覆いかぶさると、身体中をさすりはじめた。


 * * *


「ケイちゃん、ケイちゃん? おはよー! 起きてるー?」


 俺は聞き慣れた声で目を覚ました。

 手の中で何やら柔らかい何かがむにゅむにゅと動いていた。


 ああ、そうか。ツカサを温めようと必死なうちに、俺も眠ってしまったんだ。

 それにしても妙に柔らかいな。

 もうちょっと筋肉をつけたほうがいいぞ。


「ちょ、ちょっと。もう大丈夫だからさ。いい加減離してよ」

「悪りぃ悪りぃ。ちょっと寝ぼけてたわ」


 俺はツカサの身体から離れて身を起こし、あぐらをかいた。


「もう、クラスの連中に見られたらなんて言われるかわかんないよ」

「俺だって緊急事態じゃなきゃわざわざツカサに抱きつきゃしねえって」


 一瞬間を置いて、ツカサも身を起こして向かい合わせにあぐらをかいた。


「……そうだよねー。ぼくだって何にもないのにケイちゃんに抱きつかれたらびびるよ」

「ったり前だろ」


 俺が呆れてため息をつくと、ツカサは弱々しく笑った。

 やはり病み上がりで元気がないのだろうか。


「体調は大丈夫か?」

「うん、熱も引いたみたいだし、意識もはっきりしてる。なんか身体がふわふわしてるけど、問題はないと思う」

「そうか。でも無理するんじゃないぞ……って、お前、胸のところめちゃくちゃ腫れてねえか!?」

「え? あ、あれ!? なにこれ!? めちゃくちゃ腫れてる!?」


 状況も忘れ、思わず二人で大声を上げてしまった。

 ツカサの胸が、まるでバレーボールをふたつ押し込んだみたいに腫れ上がって、体操着がはちきれんばかりになっていたのだ。

 まるで、漫画雑誌のグラビアを飾るアイドルみたいに。


「お前、それ痛くないのか……?」

「痛くは……ないみたい」


 ツカサが巨大化した自分の胸をむにむにと揉みしだきながら確認している。

 寝汗で濡れた体操着が肌にぴったりと張り付いて、柔らかに変形するそれがはっきりわかった。


 って、あれ? ひょっとして、俺が目覚めるときに触ってた柔らかいものって、ひょっとしてツカサの胸だった……?

 反発があるようでないようなあの絶妙な柔らかさはまるで崩れないプリンとでも例えればよいのか、潰れないマシュマロとでも言えばよいのか……


 ……って、いやいやいやいや、俺はいま何を考えていたんだ!?


 そんなことよりも、ツカサの体の異常を調べなければ。


「他にも変なところがないか、ちゃんと調べた方がいいんじゃないか? 俺はあっちを向いてるからさ」

「なんでこっちを見ないんだよ。見てくれた方が変なところに気づきやすいと思うんだけど」

「なんでもだよ!」


 俺はツカサに背を向け、目をつむって深呼吸をする。

 後ろからはごそごそと衣擦れの音が聞こえてくる。

 やめろ俺、聞き耳を立てるんじゃあない。

 呼吸だ、呼吸に集中しろ。呼吸の回数をゆっくり数えるんだ……。


「うわぁっ!?」

「どうしたツカサ!」


 ツカサが急に素っ頓狂な声を上げたから、俺は慌てて振り返った。

 そこには、ズボンに両手を突っ込んで硬直しているツカサの姿があった。


「ど、どうしようケイちゃん……」

「どうしたんだ? 落ち着いて話せ」

「ケイちゃんも落ち着いて聞いてね……」

「おう、何があっても驚かないから安心しろ」


 実際、俺の肝はそんなに座っちゃいないが、ツカサを安心させるために強がりをひねり出した。


「ケイちゃん、ぼく、女の子になっちゃったみたい」

「へ?」


 その一言は、ゾンビ騒動なんて脳みそから消し飛ぶほどの衝撃を俺にもたらした。


 * * *


「外が大雨でよかったな……」

「ホントだね……」


 あまりの出来事に大声を上げて騒いでしまったが、いまはゾンビたちから身を隠している状況だったのだ。

 ゾンビ映画でよくあるように、音に反応するタイプだとしたらあんな風に音を立てるのは自殺行為でしかなかっただろう。


 しかし、幸運なことにいつの間にか大雨が降り出していたのだ。

 俺たちの騒ぐ声は、雨音にかき消されてゾンビには届かなかったらしい。


「喉、渇いたな……」

「お腹も空いたね……」


 どうも俺たちは、丸一晩眠ってしまっていたらしい。

 5限の体育の直後から数えると、軽く12時間以上が過ぎている。

 そりゃ喉も渇くし腹も減って当然だ。


「とりあえず、出られそうか様子を見てみるか」


 体育準備室の内鍵を開け、引き戸をそっと開く。

 そのわずかな隙間から外を覗き見てみた。


 体育館の中にはちぎれた衣服が散乱していたり、あちこちに血痕が残ってはいるが、人間やゾンビたちがいる様子はなかった。


「誰もいなそうだな」

「どれどれ、ぼくにも見せてー」


 ツカサの声とともに、背中に柔らかく温かい感触。

 自分も覗こうとして俺の背中にくっついてきたのだ。

 なんか甘い匂いがする……って、何を考えているんだ俺は!


「こ、こら、くっつくな。いまどくから」


 慌てて身を離し、ツカサに場所を譲る。


「確かに誰もいなそうだね。これならいまのうちに……」


 そう言って、ツカサは引き戸を人ひとりが通れるくらいに開き、外へ飛び出した。


「おい! 危ないぞ!」

「すぐ戻るから!」


 追いかけようとした俺をツカサが制する。

 言葉の通り、ツカサはすぐに引き返してきた。

 近場に転がっていた生徒の水筒やペットボトルを拾って、だ。


「これで水分はひとまず確保っと」

「お前なあ……」

「ごめんごめん、でもひょっとしたらゾンビがいないのは今だけかもだし」

「そりゃそうだけど」


 ツカサは昔からこういう向こう見ずなところがある。

 だから目が離すことができないのだ。

 言っても聞かないのはわかっているので、俺はため息をついて話題を切り上げた。


「とりあえず飲もう飲もう。この水筒の中身は何かなあ?」

「スポドリとか、糖分が含まれているものだと助かるな」

「ごはんも食べてないもんね。あっ、これスポドリだ」


 水筒の蓋をコップにし、二人で交互に飲んでいく。

 ペットボトルの方はまだ封が切られていなかったのでひとまず温存だ。


「これでちょっとは落ち着いたな」

「そうだ、ニュースとかどうなってる?」


 おっと、あまりにも異常な事態が続いたせいですっかり頭から飛んでいた。

 スマホを取り出し、最新の情報をチェックしようとする。

 が、まるでネットにつながらない。

 よく見ると、通信状態を表すアンテナが圏外表示になっていた。


「携帯の基地局もやられちゃった、ってことなのかな……?」

「わかんねえけど、これじゃ110番もできないな……」


 普通なら、こんな事態に陥ったら隠れて救助を待つべきなのだろうが、こんな大事件が起きたら普通であれば警察がとっくに駆けつけているだろう。

 つまり、警察もまともに動けない普通じゃないことが起きてるってわけだ。


 そういえば、いつの間にか体育準備室の照明も消えていた。

 壁のスイッチでオンオフを繰り返すが点灯する様子はない。

 どうやら電気も止まっているようだ。


 俺が考え込んでいると、ツカサが震える声でつぶやいた。


「ケ、ケイちゃん……やばいよ」

「どうした、ツカサ!?」


 青い顔をしているツカサに、思わず焦ってしまう。

 なにしろゾンビに噛まれたのだ。いまになって後遺症が出ているのかもしれない。


「いや、そういうのじゃなくて……」

「どうしたんだ?」

「おしっこ、したくなっちゃった」

「はぁ?」

「ねぇねぇ、ケイちゃん!? 女の子ってどうやっておしっこしたらいいの!?」

「わかるかよそんなの!」

「ケイちゃんには妹いるでしょ!? おしっこしてるとこ見たことないの!?」

「あるわけないだろ!」

「あわわわわ、どうしよう、どうしよう」

「我慢できないのか!?」

「かなりギリ! なんか急に来た!」

「と、とりあえず便器代わりになるものは!?」


 きょろきょろとあたりを見回して、二人の視点が一箇所で止まる。


「これしか、ねえよな……」

「すっごい罪悪感あるんだけど……」


 俺たちの視線の先にあったのは、いままで中身を味わっていた水筒だ。


「ほら、内蓋を外せばなんとか使えるだろ」

「これを狙うの……? ちんこないんだけど」

「他に手段がねえだろ……」

「ていうかさ、女の子のおしっこってどこから出るの!? 場所わかんないんだけど!?」

「だから俺だってわかんねえよ!? ちんこの生えてたあたりに穴があるんじゃないのか!?」

「ケイちゃん、ちょっと見ながら誘導して!」

「はぁ!?」

「おっぱいが邪魔で自分じゃ確認できそうにないの!」

「できるかそんなことぉーー!!」


 すったもんだはあったが、結論から言えばツカサは無事にひとりで小便を済ませることができた。

 水筒は固く蓋を締め、体育準備室の隅に封印した。


 * * *


「とりあえず、水分はなんとか確保できた。次は食料だな」

「第一候補は購買。難しそうなら各教室を回って弁当を探す。理想を言えば校庭の防災倉庫を開けられるといいけど」

「まずは手堅く購買から当たるかあ」

「そうだねえ。ついでに屋上まで行って街の様子も確認したいかな」


 水分を補給し、トイレも済ませた俺たちは次の行動についての作戦会議を始めた。

 ちなみに俺は、追加でペットボトルを拾ってきてそれに済ませている。


「まあ、何にせよゴリ先がいなくなってからの話にはなるが……」

「早くどっかに消えてほしいよねえ……」


 体育館の様子はちょこちょこと時間をおきながら偵察していたのだが、さっき確認したらゴリ先が体育館の入口に戻ってきていたのだ。

 それまでは校庭にいたのか、全身ずぶ濡れの泥だらけだ。

 それを意に介することもなくふらふらと歩く様子はまさしく想像上のゾンビそのものだった。


「これ、サンプル1のすっごい雑な仮説なんだけどさ」

「なんだよ?」

「ゾンビって、生前の行動をなぞるって設定よくあるじゃん。今回のやつも同じなんじゃない?」

「あー、言われてみれば」


 ゴリ先は、体育教師ではあるが何の運動部の顧問でもなかった。

 そのくせ、放課後は体育館では女子バレーボール部を、校庭では女子陸上部の練習をじっと見ていたりしたので、かなりキモがられていたのだ。


「ゾンビになってまで執着するとは……」

「やべーやつだね」

「やべーやつだな」


 二人で声を潜めてくすくす笑う。


「それで、続きなんだけど、大半のゾンビは家に帰ろうとするんじゃないかな?」

「まあ、学校に居続けるやつもいるだろうが、多くはなさそうだ」


 それはいまの体育館にゴリ先以外がいないことでも証明されている気がする。

 うちの学校はスポーツにはそれほど力を入れていなかったから、運動部でも熱心なやつは少なかったのだ。


「ん、待てよ? そうだとすると最初にゾンビたちが襲ってきたつじつまが合わなくないか?」

「ふふふ、いいところに気がついたねワトソン君。その答えは、この大雨にある」

「誰がワトソンだ……。って、大雨がどうして関係するんだ?」

「つまり、こういうことだよ」


 ツカサの推測によると、ゾンビたちは聴覚によって人間の存在を感知している。

 そして、人間が感知できない状況では生前の行動をなぞろうとする本能が優先される。

 大雨の音に邪魔をされて人間が感知できなくなったから、ゾンビたちは家に帰ろうとして姿を消したのではないか、ということだった。


「なるほど、さすがは名探偵ホームズ。それならつじつまが合う」

「ま、仮説も仮説なんだけどさ。もしこれが正しいなら、この雨がやまないうちになるべく態勢を整えたいよね」

「ああ、ゴリ先がいなくなったら即行動開始だな」


 それから数時間待って、ようやくゴリ先が姿を消した。

 待っている間に雷にビビったツカサが俺にしがみついてくるなどの些細なトラブルはあったが、特別危険を感じるような事態は発生しなかった。


 * * *


「ふぅ……やっと2階まで来れたね」

「普段ならあっという間なのにな」


 いつもなら数分しかかからないわずかな距離だったが、俺たちは30分近くかけて慎重に移動していた。

 万一、ゾンビに出会ったときに備えて体育準備室で見つけた雪かき用のスコップを手にしている。

 これで殴りつければ、倒せないまでも時間稼ぎくらいはできるんじゃないかという考えだ。


 やたらに時間がかかったのは、周辺の安全確認も並行して行っていたからだった。

 いざとなったらどこかに逃げ込む必要があるが、いまのところ体育準備室以上の候補がない。


 他の教室のドアはどこも薄く、ゾンビどころか人間が体当りしたって簡単に壊れてしまいそうな代物なのだ。

 逃げている途中に退路を塞がれてはかなわないので、どこかにゾンビが隠れていないか調べながら進んでいたのである。


「できれば職員室で防災倉庫の鍵を手に入れたいところだけど」

「ゾンビがいなけりゃゲットしておきたいな」


 これまでのところ見つけたゾンビはほんの数体だ。

 どれも真面目な雰囲気の生徒で、ガランとした教室の中でふらふらと歩いていた。

 ゾンビは生前の習慣をなぞろうとする、というツカサの仮説はやはり正しそうに思えた。


 足音を忍ばせながら、職員室に向かってそろそろと歩いていく。

 途中の教室を窓から覗いていくが、いまのところどこも無人だ。


 2ーBでは自分たちの通学バッグを回収して背負う。

 二人ともリュック型だから、容量もあるし両手も空くからこの状況にはぴったりだ。


 2-Dを通り過ぎたところで、後ろの方からカチャリと物音が聞こえた。


「ケイちゃん、聞こえた?」

「ああ、聞こえたよ」


 音の発生源は2-Dの中だろう。

 俺たちは引き返して、教室の中を覗いた。

 すると、掃除用具入れのロッカーの前に、ひとりの女子生徒が体育座りでうずくまっているのが見えていた。


「あれは、ゾンビだと思うか?」

「いや、人間っぽいよ。泣いてるみたい」


 そういうと、ツカサは教室の戸を開けて入っていった。


「おいこら、だから危ないって!」

「大丈夫だよ、ケイちゃんもついてるし」


 ツカサの脳天気な言葉に、俺は短いため息で返事をし、スコップを握りしめて後をついていく。

 雰囲気からして俺も人間っぽいとは判断しているが、万が一のこともある。

 もしゾンビであれば全力でスコップを振る必要があるかもしれない。


 教室に入ってきた俺たちに、女子生徒は座り込んだまま視線を向けてきた。

 さんざん泣いたのか、目の周りが赤く腫れてしまっている。

 改めて周囲を見渡せば、机は散乱して血痕があちらこちらに残っていた。

 この教室で起こった惨劇は想像に難くないことだった。


「あの、ぼくは2ーBの桜庭ツカサだけど、話はできる?」


 ツカサが優しげに声をかけると、女子生徒は泣きながらその胸に飛び込み、顔をうずめた。

 そして数十秒後、めちゃくちゃ苦しそうにぜーはーしながら顔を離した。


 うん、そりゃあのサイズだからね。まあそうなる。

 一瞬浮かんだ「羨ましい」という気持ちを頭を振って追い払った。


 * * *


 多少落ち着いたところで女子生徒から話を聞いた。

 名前は遠藤といい、ゾンビ騒動のときはロッカーに隠れて難を逃れたそうだ。

 こちらもこれまでの経緯と、知りうる限りの情報を手短に伝える。


「それで、あの、本当に救助は来ないんですか……?」

「うん、少なくともすぐには期待できないと思う」

「あくまで俺たちの予想だけどな」

「そんな……信じられない……」


 遠藤と名乗ったその女子生徒は、また膝の間に顔を突っ伏して泣き出してしまった。

 移動しようと促すが、立ち上がろうとする気配すらない。


 俺とツカサは顔を見合わせ、俺たちが体育準備室に立てこもる予定だということを伝えて一旦離れることにした。

 冷たいかもしれないが、動こうとしない相手を手取り足取り助けられるほど余裕のある状況ではなかった。


「あの声、たぶん放送部の人だよね」

「ああ、それでなんだか声に聞きおぼえがあったのか」


 2ーDを後にし、職員室へ向かう途中でツカサがそんなことを口にする。

 ツカサはガキっぽい性格をしているが、その分底抜けのお人好しだ。

 彼女のことを心配しているのだろう。


「戻るときにもう一度様子を見てみようぜ」

「うん!」


 俺が提案すると、ツカサは満面の笑みでうなずいた。


 * * *


「こりゃ……予想通りになってそうだな」

「学校から出るのはちょっと無理そうだね……」


 職員室で防災倉庫の鍵を探し出し、購買で当面の食料も確保した俺たちは、屋上に上がって街の様子を確認していた。

 うちの学校は住宅街の中にあるので、屋上へ登ると街全体が一望できるのだ。

 校舎はたかだか4階建てだが、一軒家ばかりのこのへんだとダントツの高さを誇る。


 そして、俺たちの視界に映ったのは昨日まで知っていたそれとはまったく異なる風景だった。

 雨で見通しは悪くなっているが、住宅街のそこかしこから黒煙が立ち上り、あちこちに事故を起こした自動車が転がっている。


 さらには雨にも関わらず、傘も差さずにふらふらと出歩いている無数の人影。

 確かめるまでもなく、あれらはゾンビだろう。


「そろそろ戻るか。これ以上濡れると風邪ひいちまう」

「うん、雨も弱くなってきたみたいだし、完全にやむ前に引き返そう」


 そう言い合った、瞬間のことだった。


 ――キィィィィン


 ガラスを金属で引っ掻いたような異音が鳴り渡った。

 異音とはいえすっかり聞き慣れている。

 これは、校内放送がはじまる前にスピーカーから発せられる騒音だ。


 ――お願い、誰か助けてください! 私はいま、学校にいます!

 ――ゾンビの大群に襲われて、みんなやられちゃったんです!


 続けて聞こえてきたのは、先ほど2-D教室で出会った遠藤の声だった。


「嘘……だろ……?」

「まずいまずいまずい、ケイちゃん、あれ見て!」


 ツカサが指差す方向には、数体のゾンビがたむろしていた。

 それまではバラバラにうろつくことしかなかったそれが、こちらに向かって身体を向けて固まっている。


 ――お願い、誰か助けて! 助けて! 助けて! 助けて!


 今度は固まっていたゾンビたちが一斉に走りはじめる。

 方向はもちろん、俺たちの高校だ。


「やばいよ! 遠藤さんを止めなきゃ!」

「ああ!」


 屋上の階段を降りて、放送室のある2階に向かう。

 放送を止めなければ、学校が街中のゾンビたちの標的にされてしまう。

 もっとも、いまさら止めたところでもう無駄かもしれないが……。


 しかし、停電しているはずなのになんで放送が……ああ、そういえば、災害時の備えとして放送設備には非常電源が備えられているとオリエンテーションで聞かされたおぼえがあるな。

 その備えが裏目に出てしまったのだから、まったく、世の中何があるかわからない。


 警戒しながら慎重に階段を下り、やっと2階にたどり着く。

 全力で走れば1分とかからないのに、その何倍もかけざるを得ないのがもどかしい。


「うごァぁあア……うごァぁあア……」


 ゾンビの呻き声が聞こえてきて、俺たちは足を止める。

 階段からそっと2階の通路を覗き込むと、生徒の姿をした数体のゾンビが放送室の前に群がっていた。


 そして、その中にはあの遠藤さんの姿も混じっていた。


「そういえば、いつの間にか放送も止まってたな……」

「うん……」


 俺たちは廊下のゾンビたちに気づかれないよう、そのまま階段を下っていった。


 * * *


 1階に降り、廊下を確認すると数体のゾンビがうろうろと歩いていた。

 おそらく教室にいた元生徒たちだ。

 校内放送の音で刺激されて廊下に出てきたのだろう。


「ここを進むのは危険だな……」

「窓から校庭に出て、体育館まで戻るしかなさそうだね」


 ツカサの言葉にうなずきで返す。

 体育館は校舎から直接行くこともできるが、校庭からも直接出入りできるのだ。

 いまは校舎の東の端にいるから、西の体育館に行くまでに校庭を端から端まで突っ切らなければならないのが問題だが。


「って、悩んでる場合じゃねえか」

「うん、急ごう」


 こうしている間にも街の外から学校に向かってゾンビが押し寄せているのだ。

 時間をかければかけるほど、状況は悪くなる。


「それじゃ、行こう!」


 ツカサが手近な窓を開け、さんを乗り越えて校庭へ飛び出していく。

 俺もそのあとについて外に飛び出す。

 本当にこういうところは思い切りのいいやつだ。


 雨の校庭を、泥を跳ね上げながらツカサの背中を追って全力で走る。

 こんな状況でなければどんな青春映画のワンシーンだって状況だ。


 走りながら、脇目で校庭の様子を見る。

 校門のあたりにいくつかの人影。

 やっぱりゾンビがもう集まってきている。

 本当なら防災倉庫に寄りたいところだったが、そんな余裕はとてもなさそうだ。


「うわぁっ!?」


 校庭に気を取られていたら、ツカサの悲鳴が上がった。

 慌てて視線を前に戻すと、生け垣から現れたゾンビがツカサに掴みかかっていた。


「この野郎っ! 離れろっ!」


 スコップを振りかぶり、ゾンビの頭を思い切りぶん殴る。

 学生服を着たゾンビの首が、あらぬ方向に曲がって後ろに倒れた。

 続けて尻もちをついていたツカサの手を取って引き起こす。


「ツカサ、大丈夫か!?」

「ごめん、ありがとう! 大丈夫!」

「ほら、また走るぞ!」


 外から侵入してきたゾンビも俺たちに気が付いただろう。

 はじめのゾンビに襲われたあのときのように、俺はツカサの手を引いて夢中で走り続けた。


 速度をゆるめず、開け放しの体育館に飛び込む。

 ここまで来ればひと安心だ。

 振り向いて背後の様子を確認しようと思った瞬間、あらぬ方向から衝撃。

 続けざまに全身が唐突な浮遊感に襲われ、視界が反転する。


「ケイちゃん!」

「くっ……そっ……」


 全身を床にしたたかに打ち付けてしまい、思わず苦痛の声がもれる。

 すぐに身を起こそうとするが思うように動けない。

 ずっしりとした重み。

 混乱しながら状況を確認。

 何かにのしかかられている。

 これは……ゴリ先のゾンビ!?


 噛み付いてこようとするゴリ先の顔のドアップに気が付き、とっさにスコップの柄で食い止める。

 ゴリ先はスコップの柄に歯を食い込ませながら、俺の首筋に噛みつこうとすさまじい圧力をかけてくる。


「こらっ、こらっ! ケイちゃんを離せよ!!」


 ツカサがゴリ先の背中をスコップで何度も叩いているが、ぴくりともしない。

 ゴリ先は体重100キロ超えの巨漢だ。

 ツカサの細腕ではまるでダメージが与えられていない。


「俺は大丈夫だから! 先に準備室に入ってろ!」

「でも……でも……」

「いいから早く行け!」


 怒鳴り声を上げると、ツカサの軽い足音が離れていくのが聞こえる。

 こんな状況、大丈夫なわけがない。

 だがこのまま時間が過ぎれば外から来たゾンビに襲われてツカサまでおしまいだ。

 せめてツカサだけでも逃してやれないと、死んでも死にきれない。


 ゴリ先の顔が徐々に近づいてくる。

 口から垂れたよだれが俺の顔を汚す。

 臭えなおい、こいつ歯は磨いてたのか?

 ゾンビになる前からゾンビみたいな体臭だったもんな、こいつ。


 ゴリ先の顔が近づくほどに、時間がゆっくりになり、くだらない考えがわいてくる。

 そういやこいつ、女子生徒へのセクハラもひどかったけど、ツカサにもやたらとボディタッチをしてきて気持ち悪かったな。

 よく女子に間違えられていたツカサだが、さすがにゴリ先も勘違いしてたってことはないだろう。


 なぜだかわからないが、思い出すとなんだか無性に腹が立ってくるな。

 こんなことになるんなら、一度思いっきりぶん殴ってやればよかった。


 ツカサの足音がまだ続いている。

 あいつの歩幅は狭いからな。

 ちょこちょこちょこちょこ小動物みたいに走るもんだから、子どものころはしょっちゅう転んでいた。


 二人で街中を駆け回って遊んでいた記憶が蘇る。

 あいつは転んでばかりで泥だらけの擦り傷だらけ。

 転んでもすぐに立ち上がって、えへへと笑ってまたすぐに駆け出していた。


 ツカサの足音に刺激されたのか、ずいぶんと昔の思い出が蘇ってくる。

 これが走馬灯ってやつかな……。

 ま、ツカサを守って死ぬんならそれも悪くないだろう……。


 って、さすがに足音が聞こえる時間が長すぎないか?

 しかも、だんだん近づいてきているような……?


「スーパーヒーローキィィーーック!!」


 何年ぶりかのツカサの必殺技が、ゴリ先の側頭部に突き刺さった。


 * * *


「はぁ……はぁ……。いやあ、危なかったね、ケイちゃん!」


 体育準備室の扉に背中を預けて、荒い息をついているのはツカサだった。

 頬は上気して赤くなり、雨で濡れた体操着が身体にぴったりと張り付いている。

 肩で息をするものだから、スイカでも入っているのかという胸が上下に揺れ……


 っておい! 何を考えてるんだおれは!?

 落ち着け、冷静になれ。素数を数えろ。


 ツカサの全力の飛び蹴りによってゴリ先は引き剥がされた。

 それから二人で体育準備室に逃げ込み、急いで引き戸を閉じたところだ。

 分厚いスチール製だから、さすがにゾンビにぶち破られる心配はないだろう。


「先に逃げろって言ったじゃねえかよ」

「ははは、ごめんごめん」

「……でも、ま、ありがとうな」

「うむ、苦しゅうないぞ」


 ツカサの軽口に、思わず苦笑いをしてしまう。


「とはいえ、こんな状況なんだ。あんまり危ない真似をすんなよ」

「はーい。ケイちゃんは過保護だよねえ」

「うるせえなあ」


 過保護と言われると、言い返す言葉がない。


「ケイちゃんは、ぼくが女の子になったからあんな必死に守ってくれたの?」

「はぁ? 男だろうが女だろうが関係ないだろ。ツカサは目を離すと危なっかしいからな」


 ツカサの言葉に、ついむっとなって言い返す。

 そんなのは、ずっと昔から変わってないじゃないか。


「ふふ、ケイちゃんならそう言うよねえ」

「わかってんならわざわざ聞くなよ」

「ぼくだって一緒だよ。そういうケイちゃんが昔から大好き!」

「はいはい」


 こいつはいつもこれだ。

 ツカサが起こした面倒ごとを手伝うと、決まってこれを言う。

 いつものれ言だと思って聞き流すと、ツカサがぽつりとつぶやいた。


「……女になっても、ケイちゃんが大好きだからね」

「え、それはどういう意味……」


 ――ガンガンガンガンガンガン!


 いつになく神妙な雰囲気のツカサの言葉に、意味を聞こうとすると、スチールの扉が叩かれる激しい音が遮った。

 くそっ、ゾンビどもめ。さすがにここに隠れてるのはもうバレちまったのか。


「ま、さすがにこれをぶち破れるようなパワーはないでしょ」

「そうだといいが」

「もしそんなパワーがあったら、どこに隠れようがお手上げだし」

「そりゃあそうだが、お前なあ……」


 あっけらかんと笑うツカサに、俺も緊張の糸が切れてしまった。

 ずるずるとその場に腰を下ろすと、ツカサも一緒に隣りに座った。


「そんなことよりさ、ごはん食べようよ、ごはん!」

「お前はホントにタフだよなあ」


 ツカサはリュックを開けて楽しそうに中身を漁っている。


「えへへ、数量限定の焼きそばパン。一個だけゲットしたんだよねえ」

「あ、おま、ずるいぞ! 俺だってまだ食ったことないのに!」

「こういうのは早いもの勝ちですー」

「せめて半ぶんこだろ!?」


 ゾンビの呻き声をBGMにして、俺たちはひさしぶりの食事を味わった。

 これからどんなことがあるかわからないが、ツカサとだったらなんとか生き抜いていけるんじゃないか。

 めぐんでもらった焼きそばパンの端っこを食いながら、俺はそんなことを考えていた。


(了)

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世界がゾンビで滅びましたが親友♂がTS美少女になった俺はそれどころじゃない 瘴気領域@漫画化決定! @wantan_tabetai

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