ラボ
春雷
リリシズム
小説を書くということは、僕が考えているよりもずっと簡単なことなのかもしれない。僕は最近、そう思うようになった。
僕は昔からものを書くことが苦手で、読書感想文を原稿用紙で二枚書くのにもとても悩んで、本の要約だけを書いて出したこともある。当然先生に怒られて、書き直しになった。
でも僕はいつも思うのだ。感想とは何だろう、と。そもそも、僕が感想を書いたところでどうなる?僕が感想を書いたところで、地球温暖化の進行は止まらないし、無駄な争いが止むことはない。誰かが救われるわけでもないし、宇宙の真理に辿り着けるわけでもない。ではどうして本を読んだ感想なんて書くのだろう。自分のため?自分のためだとしたら、僕は全く自分のためにこうしてあーだこーだ考え、結局大した感想を書けずにいるということになる。僕がものを書くということが、将来的に自分の何かにつながるのだとしても、僕にはあまりものを書くことがそれほど重要なこととは思えない。
ものを書く。
何かについて書くためには、何かについて知っていなければならない。僕が一体何を知っている?僕は僕自身についてさえ、あまり何も知らない。僕は僕についてというテーマでも、上手く文章を紡ぐ事ができない。そんな奴に何を書く事ができる?大した文章を書けるわけがない。良い感想を書けるわけがない。
そんな僕が、何故小説について考えているのか。それを語るためには、僕が大学生の頃の話をしなければならない。
大学生の頃、僕は誰よりも凡庸な学生だった。考え方も凡庸で、趣味も見た目も、読んでいる漫画も好きな映画も、当然のように凡庸だった。でもそんな凡庸な僕でも、大学3年生の時に色々と上手くいかなくなった。大学やバイトでの人間関係、親との関係、そして将来への不安なんかが一挙に押し寄せ、耐えきれなくなった。僕は1年間休学することになった。何もかもが不明瞭だった。右も左も僕には理解できない事ばかりだった。人とは何だ?何のために生きている?何故俺はこうも苦しんでいるのだ?何もかもが分からなかった。
僕には1つ年上の兄がいた。兄は卒業研究で忙しい時期であるのに、僕の相談によく乗ってくれた。ラーメン屋に行って一緒にラーメンを食べたりした。兄は僕にこう提案した。
「小説を書いてみたら?」
それは唐突な提案に思えた。僕は元々文章を書くのが得意ではないし、そもそも小説を読んだことがほぼなかったからだ。そんな僕が小説を書く?それはとても難しい事に思えた。
「下手でも良いんだ。とにかく何か書いてみる。そうすることで色んな事が分かってくるようになる。文章を書きながら何かものを考えるんだ。自分の事、人生の事、人間関係の事。何でも良い。とにかく書いてみる。そうすることで、少しは心が軽くなるだろうと思う」
僕は兄の提案を一応聞いてみることにした。でも結局、小説は書けなかった。軽いエッセイのような、いや、それは言い過ぎで、結局は日記程度のものしか書けなかった。それもとてもひどい出来の文章しか書く事ができず、ああ僕に文才はないのだなあと、結構落胆した。自分の事も人生も人間関係も、何も分からずに終わった。提案してくれた兄に少し悪い気がした。
その休学中に、一度だけ離島でのんびり過ごした事があった。親がお金を出してくれて、母親と一緒に叔父の家にお邪魔したのだ。叔父は島で観光客向けのレストランを経営していて、まあまあ繁盛しているようだった。僕は朝から昼まで、島をのんびりと歩いて、夜は叔父の家の二階で眠った。何にも考えずに、ただただ心身を休めることに集中した。釣るつもりもないのに釣竿を垂らした。そういえば江戸時代の武士は釣りが好きだったと聞いた事がある。暇だったのだろうか。いや、そもそもこの話は本当なのか、僕は知らない。とにかく僕は何も知らないのだ。どうして僕はこうも何も知らないのだ。世間も、教科書に載っているような常識も、とにかく何も知らない。何も分からない。僕はそんな自分に苛立つ。僕は何のために生きているのか。結局はその壁にぶち当たり、ひどく狼狽する自分だけが残る。僕は何者なのだろう。あるいは、これから僕は何者かになるのかもしれない。いや、結局何も成さず、何者にもなれないまま終わるのかもしれない。名もなき群衆のうちの一人として、歴史に忘れ去られたまま、僕の生きた証はどこにも残ることはない。そんな、悲しい人生。でも、それが普通の人生というものだろう?何がいけないのだ。俺は何を望んでいるのだ。お前はどうしたい?お前はこれから何をしたいんだ。何をしたくて、何をやりたくないのか、何が欲しくて、何を失っていいものと思っているのか、僕には何も分からなかった。謎は深まっていくばかりだ。
海の満ち引きを眺めながら、どうせなら風にでもなって、この宇宙を巡り続けていたいなんてことを思った。自分の思いや考え。僕はそれを表現することが昔から苦手だった。感情を表に出すことも、怖くてできなかった。僕は怖いのだ。人が、そして自分が。人からどう思われているのか、その事ばかり気にしている。誰かの顔色を見ている。自分を押し殺し、場が乱れないよう配慮している。誰かの相談を黙って聞いている。相手が今欲しい言葉を言えるようにしている。
それらのどこに、俺はいる?
僕が自分を見失っていたのは、自分を知らず知らず心の奥深くへと、押し殺していたからかもしれない。
果てしないように見える海にも、宇宙と繋がっている空にも、きっと果てはある。それは悲しい事でもあるが、喜ぶべきことでもあるのかもしれない。人生は果てしないように思えるけれど、おそらく何かしら答えはある。
僕は島での休暇を通し、そうした結論に至った。
大学を中退し、僕は叔父のレストランで働いた。注文を受けたり、レジを打ったり、皿を洗ったり、店を掃除したり。要するに雑用だ。毎日汗だくになって働いた。生きているという感じがした。毎日が充実していた。
それでも時々、辛くなる事があった。自分が分からなくなり、眠れなくなることがあった。そんな夜に、僕は兄の提案をよく思い出した。
小説を書く。
僕はろくに小説を読んだ事がないので、自分の物語しか書く事ができない。私小説、と言えば良いのだろうか。まあとにかく、僕は自分の経験した事を、少し脚色して書くことしかできなかった。
でも、眠れない夜に机に座って原稿用紙を広げてみても、何も書けない事が多かった。例えば、真っ白なキャンバスをいきなり渡されても、僕は何も書く事ができないだろう。どれと同じで、大体は何の物語を生み出す事もできず(自分がモデルでも)、そのまま朝を迎える事もあった。
難しく考えすぎているのか?
時々僕はそう思う。小説はもっと気楽に書いても良いのかもしれない。例え誰が読まずとも、僕は僕の物語を、こんな物語を書いた事も忘れた頃に、読むことになるかもしれないのだから、自分に手紙を書くような気持ちで、気負わずに文章を紡いでも良いのかもしれない。何も考えずに、感じたことをそのまま、書いてみても良いのかもしれない。感性の赴くまま、気が向くままに。だって小説は自由なのだから。心は自由なのだから。何を書いても良いし、何も書かなくても良い。俺の自由。僕はもっと、文章を書く時くらいはわがままでも良いのかもしれない。
自由とは何か。僕は知らない。知らないけれど、知らなくても生きていける。
それもまた自由だ。
僕はやはり上手い文章を書けてはいないと思う。でも、今はそれで良いと思う。
小説を書くことについて語れるほど、僕は小説について知らないけれど、何か、少しでも物語を生み出して、自分を癒せることができたのなら、今はそれで良いじゃないか。
そんなことを、人生に迷いながらも、思った。
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