第9話 震天不動④

 それはまさに嘘のような光景であった。

 自分の立っている場所が、動き始める。

 惑星が鎌首をもたげて起き上がるという、ありえない情景。

 巨大な顔が、わたしたちを見下ろしていた。


「ハハハ、それが虚空刃か。すごいね、すごい! ボクの昔の体が殺されちゃったよ!」


 直上、いや、この惑星のありとあらゆる場所から震天不動の声がする。

 天を揺るがし、今もなお起き上がろうとしている惑星。

 それが徐々に徐々に人の形をとっていく。

 工場だと思っていたものは全てこのための機構であったのだと見せつけてくる。


 そうして出来上がっていく人型を、わたしは見たことがあった。

 初めて七星剣と出会った際、オリクト・タリスマンが初めてヴァイオレットお嬢様の護衛を拝命したその時の姿。


 まるで子供のような笑みをする茶色犬ブラウンヘアの義体。

 十七衛星もまた形を変えていく。

 それは彼が長年愛用していた鉄槌を模したものだ。


 つまるところそういうことなのだろう。


「あなたは、この惑星ファルクトそのものを自分自身に改造した」


 震天不動とはよくも言った。

 それを体現するとは恐れ入る。

 天が震えても動かざる。

 そういう意味合いでつけられた二つ名は、彼の余りある防御力から来るものだった。

 それが今、形を変えてここに現れる。


 天さえ震わせ、誰に揺るがされることもない。


 それほどまでに巨大。

 それほどまでに強靭。

 震天不動の真の姿がここに完成を見る。


 人の身体に大気層が生じるほどの巨大質量。

 彼の足の上にいるわたしたちが未だに何かに引きつぶされることもないのは、彼なりの配慮なのだろう。

 この圧倒的威容を見せつけるためだけに、彼はわたしたちを安全な場所に誘導したということか。


「な、なんなのこれー!?」


 フォスの驚きにはわたしも同意する。

 強くなるために義体を改造し、新しいものへ新しいものへとアップグレードを重ねていたが、まさか惑星規模の身体を作るとは。

 思いついてもやらないし、いくら金があっても足りないだろう。


 元々ファルクトが工業惑星で基盤が出来上がっていたのだとしても、あの三年前からこれまで随分と良い生活をしてきたようだ。

 お嬢様の命を奪って、アイテールワープ技術を奪って。

 それで彼らは、己の欲望を叶えたというわけだ。


 わかってはいたが、まざまざと見せつけられてはらわたが煮えくり返る思いだ。


「抜けば魂散る、紅の刃――剣理抜刀!!」

「あっ、待ってよリーリヤ、あたしも乗せてよ!」


 妙月を呼び出し乗り込むわたしに、フォスが無理矢理ついて来る。


「危険です」

「ここにいるよりは安全でしょ!」


 小さな体を活かして、するりとコックピットに侵入し、内部に存在する緊急事態時における非常備品を押し込むスペースに身体を折りたたんでいれる。


「これなら邪魔にならない!」

「…………」


 操縦の邪魔にはならないが、共に鎺にいる以上衝撃を喰らうことはある。

 しかし、言っている暇はない。

 相手は変形を終えて、こちらを待っている。


「文句は受け付けませんので」


 それだけ言って、わたしは妙月を疾走させようと意を込めた瞬間、わたしたちは宇宙へと蹴り出された。

 凄まじいまでのGに首が持って行かれそうになるが、内力を合わせて何とか耐える。

 危ない、一瞬でも遅れていれば、その瞬間には首がへし折れていたところだ。


「さあ、始めようか」


 震天不動の宣誓とともに、十七衛星槌ハマー・セブンティーンが振り上げられる。

 衛星を十七連結した大槌は、振り下ろすだけでも一大事業だ。

 超巨大な隕石めいた一撃が、妙月めがけて落ちて来る。

 回避するには、振り下ろされる以上の速度での離脱。

 恒星間戦艦クラスの速力を一足で出すには、現状の妙月では不足。


 ならば、軽身功にて応じる。

 軽身功は体を軽くする内家の功夫だ。

 本来、釖装では使用することのできない功夫でもある。

 そもそも内家の技を使うように釖装というものはできていない。

 

 しかし、八代妙月は違う。

 魔性『星雲切妙月』には、絶対に存在するはずのアイテール機関が組み込まれていない。

 シモン妙月がわたしのために作ってくれた、特殊な機関であるところの練気機構による内力でこの八代妙月は動いている。


 妙月は唯一無二、練気を行い気を生み出すことができる釖装なのだ。

 だから、軽身功を扱うことができる。

 だからこそ、虚空を扱うことができる。


 練った気を妙月に施された気脈網により隅々まで行き渡らせることで、その重量を気の運行とともに軽くさせる。

 それとほぼ同時にインパクトが来る。

 わたしの妙月は、軽くなったことでその大槌へとことに成功した。


 強烈というだけでは済まされないGがわたしを襲う。

 アイテールを使っていないから、基本的に慣性および鎺にかかるGを軽減することもできない。


「ぐ、ぎぃ!」


 後ろでフォスが文字通り潰れたカエルになって、悲鳴にもならない声を出している。

 内功を使っているわたしとしても厳しいというのに、それすらないフォスにはことさら厳しいだろう。

 それでも辛うじて形が保たれているのは、わたしと違ってアイテールを持っているからだ。

 つまり、彼女のアイテールが切れれば、潰れて死ぬことだろう。


「あまり長引かせられませんね」


 相手が振りぬいた勢いのまま頭部へと飛ぶ。

 軽身功のおかげもあって、飛べないわけではないだろう。


「何をしても無駄だよ!」


 しかし、震天不動の頭部への距離は遠い。

 その間に、確実に防がれる。

 現に巨大な腕が飛んでくる妙月を落とそうと、蚊でも払うように手を出してくる。

 大きさが違い過ぎて、それだけでも完璧な殺傷能力を秘めているのがわかる。


 流石に今度も同じては通じないだろう。 

 相手は七星剣だ。

 軽身功を使った回避をしても掴まれる。

 掴まれれば最後、何もできずに潰される。

 宣言通りというわけだ。


 スラスターを吹かしてもまだ速力が足りない。


「クッ」


 やるしかないか。

 未だ、妙月の練気は十分ではないが、虚空刃を放てないわけではない。

 莫大な量のアイテールに守られた指の一本でも切り落として、掴まれる前に脱する。

 今日二度目の虚空発勁ともなれば、揺り戻しはより大きくなるが四の五の言っていられない。


「虚空――」

「掴まれ」


 通信の刹那後、目の前に漆黒の高速艇が目の前に滑り込んでくる。

 咄嗟に掴む。

 はたから見れば、加速度により妙月はまるで吹っ飛んでいったかのように見えたことだろう。

 震天不動の指が遥か下方を掠めていく。


「なぜ、ここに」


 わたしたちを助けたのはあの運び屋だった。


「まずこちらの質問が先だ。あれは何だ」

「あれは、七星剣のオリクトですよ」

「なに……?」


 そう言われても信じられないだろうが、真実だ。


「へえ、面白い友達がいるんだねー」


 しかし、悠長に話している暇はなかった。

 十七衛星槌が再び振るわれる。


「チィ!」


 さらに高速艇は加速。

 わたしたちを抱えながらも見事に殺戮領域からの脱出を果たして見せる。

 素晴らしい性能の高速艇だ。

 それをデブリにぶつからずに操る腕前も良い。


「化け物だな」

「逃がさないよー」


 しかも、こちらを執拗に追いかけてくる。

 

「おい、アレをどうにかする手立てはあるのか」


 運び屋からの通信。

 どう答えるか一瞬、躊躇ってから。


「あります」


 二度目の虚空刃。

 相手の命脈であるアイテール機関に叩き込めば、あの巨大な躯体は全ての機能を停止する。

 あれほどの巨体を動かすにはそれこそ魔法が必要だ。

 アイテールをふんだんに使って、制御を行っているのは自明の理。


 その中心は脳だろうが、巨大アイテール機関の恩恵で防御が固すぎる。

 虚空刃一発二発だけではどうにもできない可能性の方が高い。

 しかし、そのアイテール発生の命である心臓ならば、まだ幾分かは可能性がある。

 狙うなら心臓だ。


「行先は心臓だな?」


 そう運び屋がいった瞬間、急制動がかかる。


「諦めたのかなー?」


 手へと突っ込む瞬間、急加速し、軌道変更。

 震天不動の手を掻い潜るようにして、大気圏へと再突入する。


「はは、何をしようっていうのかなァ!」


 無論、ここは敵の体内。

 侵入したわたしたちという名の細菌を駆逐しようと、防衛システムが動き出す。

 放たれるアイテール砲の軌跡は数億といったところだろうか。


「躱せますか」

「誰にものを言っている。掴まっていろ、仕事は果たす」

「まだ前金を支払ってはいませんが?」

「いいや、礼はもうもらってある」


 何のことかと思ったが、運び屋はただそう言うと防衛システムに突っ込んでいった。

 妙月の傍を数億を超えるアイテール光が掠めていく。

 どれか一つにでも当たれば、高速艇は落ちるというのにアクセルを緩めるどころか、まだ足りないとばかりに加速していく。


 完璧な慣性制御のおかげで加速度の影響はわたしたちにも届かないおかげで身体は楽だが、刀身鋼晶モニターに映し出されている映像はもう見れたものではない。

 色の洪水だ。

 キラキラと輝く色とりどりのアイテール光が線の洪水となって氾濫している。


 もはや何が何だかわからない。

 しかし、こんな中でも運び屋は正確にビームを躱し、障害物を躱し、迫るドローンを追いつかせずに腕部から肩部へと入り、コアへと向かって行っていた。


「そうはいかないよ!」


 コアへと続く防壁が徐々に閉じていく。

 内部隔壁を落とされたら、完全に包囲されて終わる。


「運び屋!」

「問題ない」


 さらに加速。

 今まで使っていなかった高速艇のブースターが点火する。

 慣性制御の性能すら振り切る加速は、色の洪水どころか刀身鋼晶がホワイトアウトしている。


 何が起きたかわからない、永遠にも感じる短い時間。


「到着だ」


 そう運び屋の声が言った。


 速度が落ちて刀身鋼晶が回復する。

 そこはまぎれもなく震天不動のコアブロック。


 虹が物質化したかのような輝きをあげる莫大なアイテールが海のようにそこにある。

 ここから先はアイテールが濃すぎて高速艇でも進入できない。


 もしこのままの状態で突っ込めば待っているのは自爆。

 もちろん、そんなことはさせない。


 意気を整える。

 十分に練気機構は温まっている。


「行きますよ、妙月!」


 妖しく眼瞳が輝きをあげる。


「虚空刃――抜刀!」


 妙月が叫ぶように駆動音が唸る。

 超過駆動する練気機構が奏でる音はさながら悲鳴のようだ。


「ぐゥツ――」


 わたしの肉体の方にも、無視できない痛みが走る。


 それらは全て無視して、虚空刃を抜刀する。

 今度も振りぬくではなく、刀の切っ先まで通した虚空気で突き破るように突きを放つ。


 加速度と合わせて高高度から大地に激突したかのような衝撃が襲う。

 それでも、妙月の練気機構により増幅されたわたしの虚空は徐々に莫大な海を割り貫いていく。


「馬鹿な、ありえない、ありえない。昔の身体よりもはるかにアイテールの出力は強いはずなのに!」

「それは、こちらも同じなんですよ」


 あちらの出力も上がっている。

 こちらの出力も上がっている。

 ならば、重要なのは相性。


 そして、虚空とアイテールはぶつければ必ず虚空が勝る。

 妙月の刃は漆黒へ輝く咆哮をあげてコアを刺し穿つ。


「併せ:暗黒星雲ダークネビュラ


 さらにダメ押しの虚空発勁。

 刹那、虚空が爆ぜる。


 コア内部に侵入した虚空は、アイテール機関の機能を確実に沈黙させた。


「ゴフッ」


 十分なインターバルおよび調息もしない中の連続使用は、確実にわたしの寿命を削り取った。


 だが、結果は上々だろう。

 あれほど煌めいていたアイテールの輝きは失せて闇がそこにある。

 轟音がそこかしこから生じて、この躯体が消滅を迎えているのがわかる。


「脱出する」


 運び屋のおかげで脱出も叶う。


 しかし、まだ終わりではない。

 メイド剣豪としての勘が言っている。

 頭脳部へ行ってみれば、そこにあったはずの脳はない。


 これほどの巨大な躯体なのだ

 虚空の影響がオリクトの脳に達するには、莫大な時間がかかる。

 逃げるのに十分な時間と言えた。


 辛うじて履歴を読み取れば、脱出した方向はわかる。


「追いつけますか」

「誰にものを言っている」


 これまた運び屋に手伝ってもらい、オリクトに追いつくことができた。


「く、クソ、なんなんだ。どうやってあの防衛網を突破した!」

「オレにできないことはない」


 通常サイズのサイボーグを八代妙月で掴み取る。


「く、クソ、せっかく、せっかくの身体を! せっかくここまで強くなったんだぞ。ボクは、強く!」

「知りません」


 そのまま握りつぶす。

 アイテールにまもられているとはいえ、そのアイテールごと圧力をかけてやればアイテールに挟まれて圧死させられる。

 ギシギシと彼の身体が悲鳴をあげる。


「や、やめ――」

「あなたに逆らった労働者たちもたぶんそれを言っていたと思いますが、あなたはやめませんよね。わたしもです」

「い、いやだ、死にたくない! せっかく病気にもなにもならない無敵の身体になったのに! 強い身体になってボクをバカにしてた連中、全員見返してやったのに! なんで、ボクが!」

「わたしの大切なものを奪ったからですよ」

「強い奴が全てを奪う、当たり前だろうがァ!」

「なら、わたしから奪われても文句はありませんね」

「あっ、たすけ――」


 ぶちりと、オリクトを潰す。

 忌々しい少年のような声は、これで一生聞かなくて済む。


「はぁ……」


 これで二人目。

 残りは四人。


「リーリヤ、大丈夫……?」

「ええ、大丈夫ですよ。これで二人目ですからね……」


 すぐに残りの四人にも罪を償わせる。


「ごほっ、ぐほっ!」


 気を抜いたら血を吐いてしまった。

 無重力の鎺にわたしの血が球となって浮かぶ。


 ぎゅっとフォスがわたしの手を掴んできた。


「リーリヤ、無理しないで。これは、主としての命令よ」

「あなたは主ではないのでその命令は聞けません」

「でも……」


 フォスの心配そうな瞳に、今にも死にそうなわたしの顔が映っている。


「心配しなくても良いです」


 心配する必要はない。

 わたしは、あと四人を殺すまでは死なない。

 たとえ亡者になろうとも食らいついてやる。


 そもそも、彼女にわたしを心配する義理はない。

 ただの同行者という関係でしかない。

 ほとんど他人だ。

 彼女が勝手に主とか言っているだけ。


「心配、するよ!」


 だというのに、フォスはわたしのことを本気で心配しているようだった。

 まったく顔などは似ていないというのに、わたしはヴァイオレットお嬢様を思い出す。

 フォスはあの陽だまりのような、お嬢様と雰囲気が似ている。


 ずかずかと他人の懐に入り込んできて、本気で涙を流して、一緒になって悲しんで、そして、笑ってくれるあの人に……。


「ああ……まったく…………」

「リーリヤ? リーリヤ!」


 わたしの意識はそこで途絶えた。

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