第6話 震天不動①
息を吐き、閉息し、再び呼気とともに内々より練り上げた気を、丹田より全身へと巡らせていく。
傷は現代医療のたまもので既にニサイクル航行時間の間に復調していて、行動に支障はない。
練気とともに軽くなる肉体に満足しつつわたしはおもむろに佩刀を静かに抜き放つ。
八代妙月の作。
星雲切妙月の刀身に曇りはない。
美しく芸術的でもあるそれを、かつては握ったことなどなかったが、今ではメイドの得物であるホウキと同じくらいには握り慣れてしまった。
静かに衝天流剣術の構えをとる。
師に教えられたのは基礎の部分だけであり、わたしの剣は未だに最果てへ向かって遥か銀河へ漕ぎ出している最中だ。
常日頃から鍛錬は必要であると耳にタコができるまで言われ続けた。
ゆったりと形取りを始める。
自分の身体に剣が馴染むように、覚え込ませるようにゆったりと焦れるほどにゆっくりと型をなぞっていく。
空調の聞いたAI貨物船の船室であるが、じっとりと汗がにじむ。
重力制御されていなければ、玉のような汗が浮かんでいたことだろう。
今日はよく冴えている。
刀の先まで気を通わせられている。
もっとそれを深めていこうとした時、かけられた一声に中断を余儀なくされる。
「ねえ、あたしにもそれ教えてよ」
ヒルードーとの一件で、ついてくることになってしまった同行者。
目的は同じであるため、送り返すことができないというのが悩ましい。
「子供に教えるものではありません」
「あたし十三歳よ。子供じゃないわ」
「大人はそんなこと言いません」
「むぅ」
ぷぅっと風船のように膨らんだ頬が、まだ子供であると宣言しているようなものだ。
ふっと、わたしはそれを見てヴァイオレットお嬢様のことを思い出す。
こういうことが昔、あった。
あの時は、何だったか。
わたしが屋根の掃除を命じられて、屋根に上らされた時のことだったか。
ヴァイオレットお嬢様も屋根に上りたいとおっしゃられて困ったものだ。
ラヴェンデル家があったヴィノグラートのお屋敷は、雲を突く摩天楼とは無縁の土地にあって、高いところからは汚染されていない湖を見ることができた。
特によく晴れた日、屋敷の屋根の上からいる湖はきらきらと宝石が浮かんでるかのように美しい景色を見ることができる。
などとヴァイオレットお嬢様に口を滑らせてしまったせいだ。
いつか銀河帝国を継承する大切な身体に傷をつけるわけにはいかないと説明しても見たいと頬を膨らませていたことは、昨日のことのように思い出せる。
結局、わたしを含め皆が見ていない隙に屋根に上りヴァイオレットお嬢様はまんまと宝物のような景色を見たのだが。
「リーリヤ? ぼうっとして、何かあった? やっぱり傷が痛むとか?」
「傷は問題ありません。少し考え事をしていただけです」
これ以上鍛錬はできそうにない。
ノルマは果たしているし、ここまでにしておこう。
納刀し、フォスの手の届かないところへ妙月をしまい込む。
下手にいじられて怪我でもされては困るからだ。
AI貨物船と言えども、医療データはいくら誤魔化しても残ってしまう。
小さな傷だろうとも刀傷、特に妙月のそれは鋭すぎるから触らせないようにした方が良い。
「シャワーを浴びます」
「あ、それなら一緒に入っていい? リーリヤに髪を洗ってもらうのとっても気持ちよかったから、またやってほしいなって!」
旅を始めてすぐ、いつものようにAI貨物船に乗り込んだ日のことだ。
その夜、就寝前にシャワーを浴びた後のフォスの髪が、あまりにも痛みとハネが酷かったことからついメイド心が騒ぎ立ててしまった。
彼女の髪を綺麗にしなければという使命感を抱き、勢いままに彼女をシャワー室へ連行、髪を洗ってやったのだ。
その後悔は旅を続ける間に最大瞬間風速を絶賛更新中である。
「いいのですか、まるで子供のようですよ」
「子供だもーん」
まったく、このフォスという子は意外にも強かだ。
大人として扱われたいと思う一方で、子供と思われているのなら子供と思われていることを武器としても使うことができる。
これも姉の教育のせいかというのならば、立派に自立して生きていけることだろう。
「やれやれですね……」
仕方なし。
「今回までです。そのためにやり方を教えたのですから、次は自分でなさい」
「はーい」
本当にわかっているのだろうか。
脱衣所で衣類を洗浄機へと入れて、シャワー室に揃って入る。
「リーリヤって、傷だらけね……」
そうフォスはわたしを見ながらつぶやく。
胸元を縦断する傷、背中を横断する傷。
大小さまざまな傷があとは全身に。
種類も豊富だ。
切り傷から銃創、火傷、打撲。
多くの傷がわたしの身にはついている。
残らぬ傷も含めれば、わたしの身体には傷のないところなどありはしないだろう。
残っている傷の大半は、三年前のあの日につけられたものばかりだ。
アイテールのないわたしでは、一生付き合うしかないものだ。
「気にすることはないでしょう。誰かに見せることはありません」
「あたしに見せてるんだけど……?」
「子供に見られたところで何を思うことがありますか?」
「子供じゃないし」
「子供と言ったのはあなたでしょう。自分で洗いますか?」
「むむむ」
むむむ、ではないでしょうに、まったく……。
シャワーを浴びてさっぱりする頃には、衣服の洗浄は完了している。
新品同然に綺麗になった宇宙メイド服をしっかりと着込んでわたしは、身だしなみを整える。
「今日も綺麗ね、リーリヤ」
今日のわたし、新しいわたし。
完璧なわたしを始める呪文を唱えれば、完全だ。
「意外に
「……これは誓いようなものです。お嬢様の自慢のわたしでいるという」
「じゃあ、あたしの為なんだ!」
「あなたではありません」
「んもー、そんなに即座に否定しなくても。目的は同じなんだから」
「違います」
わたしの目的は七星剣を全員殺すこと。
フォスの目的は七星剣に攫われた姉を見つけること。
姉が見つかれば、さっさとレーヴに返してしまうつもりだ。
レーヴが嫌ならば別の惑星に送届けてもいい。
ただそれだけの関係でしかない。
「それでさー、これから向かってる惑星――ファルクトだっけ。どんなところなの?」
「工場宙域に存在する最大の惑星と聞いています」
全宇宙で使用される工業製品の大部分が生産される場所が工場宙域である。
あまたの企業がそこに工場惑星を作り、日夜全宇宙に向けて製造加工品をAI貨物船に乗せて輸出している。
もちろん宇宙中から必要な物資を逆に輸送もしている。
その中でも惑星ファルクトは、工場宙域最大の工場惑星だ。
先の矮小惑星レーヴとは真逆で超巨大。
大小計十七の衛星を持っている。
本星も含めその全てが
「何の為に改造してるの……?」
「さて、それはメイドにもわかりません」
「メイドは何でも知っているって言ってなかったっけ……?」
「言った覚えはありませんね」
我々はサイボーグではありませんから、ログが残らないのが幸いだ。
なんだか、ちょっとメイド的虚栄心が疼いてしまい、そんなことを言った覚えがあるような、ないような。
これが脳改造されていればログを参照されて、わたしは非常に不味い立場に立たされたことだろう。
『一サイクル時間前にて、発言の記録があります。レディ・フォス』
「クーちゃんが言ってるって」
いつの間にやら仲良くなったのか、クーロン社製貨物船航行AIとフォスが仲良くなっているようです。
わたしのいらぬ黒歴史を暴露された、クソが。
「知りませんね」
「リーリヤって、結構テキトーだよね」
「食事にしましょう」
これ以上この話題を続けては面倒だ。
さっさと食事をして睡眠をとるとしよう。
「あー、誤魔化した」
「誤魔化していません」
黙らせるためにアリコフラマ社の固形栄養『アルバトロス』を投げつけてやる。
アルバトロスは、これだけで人体に必要な栄養が補給できる完全固形栄養だ。
長方形のブロック形状をしており、片手で食べられると、銀河中で非常食として採用されている。
サイボーグ用ではあるが、栄養素は生身の人体と何も変わらないため、摂取量が多くなるもののわたしでも問題なく食べることができる。
もきゅもきゅと食べていると、フォスがうへぇと嫌な顔をする。
「食べないのですか?」
「毎日三食これは飽きるよ、ぱさぱさするし、いっぱい食べなきゃだし……」
「サイボーグの脳栄養量を基準としていますからね。一本では生身の我々の必要栄養量に達しません。文句を言わずに食べてください」
それでも納得しかねるらしい。
一サイクルを超えてから食事の時間になると、いつもこれだ。
「ねー、せっかく厨房があるし、料理しないの? クーちゃんに聞いたんだけどアイテール変換機があるから、好きな食材を作れるんだよ?」
「無駄な行為はしません。何度もわたしの見解は述べたはずです。同じ議論を繰り返すのですか?」
「美味しい食事は、無駄じゃないよ! リーリヤが変わるまで何度でも言うよ!」
しつこい、いったい何が気に入らないのか。
手早く済む上に、栄養も十分。
なにより食べるものがあるということ以上に、素晴らしいことはないというのに。
「変わることはありまえんから、いい加減無駄なことをやるのはやめてください」
「むぅ……あっ、もしかしてリーリヤ、料理できないんじゃないのー? だから、そんなに却下するんだ!」
絶対そうだと、びっしっと指を突き付けられる。
何を馬鹿なことを、と平静で言ってしまえば終わる話。
「………………」
なのだが、何を隠そうわたしは料理ができない。
なぜなら料理はメイドの仕事ではないからだ。
メイドの仕事は主に清掃、洗濯、給仕。
料理は仕事ではない。
紅茶を淹れる、くらいのことはできるが料理を作るのはコックの仕事であるため、わたしはできないのだ。
その沈黙をフォスは肯定ととったようで、我が意を得たりと言わんばかりに得意満面となる。
「リーリヤ、料理できないんだ!」
「する必要がなかっただけです」
「できないんだよね」
「ですから」
「できないよね」
「…………」
「んふふふ~、ならあたしが料理を振る舞ってあげる!」
はぁ……。
なし崩し的にフォスが船の厨房を借りて料理を行うことになった。
「姉さんに鍛えられた料理の腕を見せてあげるわ」
そう宣言されて、しばらくして会心の笑みを浮かべたフォスが料理を運んで食堂にやってきた。
トレーの上には二皿あり、どちらにも同じ料理が入っているようだ。
二人分ということなのだろう。
真っ赤なスープに麺が入っているようである。
知識でしか知らないが、ラーメンというヤツだろうか。
「名付けて特製フォス麺!」
「…………」
「食べみて、美味しいからね」
確かに匂いはとても良い。
「こうやってお箸で食べるんだよ」
フォスが、ずずっと箸で麺をすする。
どうやら言った通り、良い出来のようで太陽のような明るさレベルの笑みを浮かべている。
「んー、おいしい」
「……無駄にするわけにはいきませんね」
意を決してわたしも食べてみることにする。
箸は初めて使う。
見よう見まねでやってみるが、上手くできない。
ぐーで握って悪戦苦闘しつつ、どうにかこうにか麺を口に入れることに成功した。
その瞬間、わたしは盛大に後頭部を背後のテーブルにぶつけた。
「ちょ、ちょ!? だ、大丈夫!?」
「!?!??!?????!」
後頭部の痛みとか、そんなものは全部どこかに吹っ飛んでいって気にしているどころではなかった。
過去最大の混乱の渦中にあったわたしは、とにかく口を押えて目を白黒させるしかできない。
これほどの混乱は、三年前のあの日でもなかった。
舌に感じるのは焼きゴテを当てられたかのような灼熱と、針を刺されたかのような痛み。
まさか、毒かとも思ったが同じものをフォスも食べているから違う。
なんだこれ、まるでわからない。
わからない。
なんなの、これ。
わからない。
わからないが、これからわたしがどうなるかはわかった。
「リーリヤ、リーリヤ!」
フォスの声が遠くなっていく。
きーんと、耳鳴りのようなものを感じて。
「なに……」
意識はブラックアウトした。
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