番外編3 プロット臭さを抜け出そう
皆さま、こんばんは! と弾んでないご報告から。先日、富士見ノベルとキャラクター小説大賞の一次選考に落ちまして。何やってんだよ! という情けない思いはありますが、止まるわけにはいきませんからね。引き続き頑張ります! 応援ありがとうございます!
さて、このところインプットのためとYouTubeで落語を聞いているんですがお気に入りは春風亭小朝師匠です。料理しながら笑って聞いております。ちょっと毒舌ですよね笑 ああいう落語のメリハリだとか言葉の柔らかさが文章で出せないものかなと土壌を耕すことに専念しております。
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やりたいことは一杯あるのですけれど、身一つですからどうしようかと。この頃はセラの森をどうにか改稿できないかと考えているのですけれども悩みは尽きません。いっそのことプロローグを入れてしまおうかとか、ラストへ向けての盛り上がりをもっと派手に出来ないだろうかとか色々考えております。
以前、読んでくださった方に有難いことに『プロット的に感じられた』というご意見を頂いて、わたしはずっとこの言葉が頭の片隅にありました。というのも、当時はプロット的という意味が分かっているようで分かっていなかったんですね。どういうことだろうとずっと考えてた。本をあまり読んでいない私にはその言葉の真意が理解出来ていなかったのだと思います。
それがこの頃読書をするようになり、セラの森の文章全体を静かに見つめふと感じる。ああ、なるほどこういうことかと。ようするに作品からプロット(設計図)が透けて見えてしまっているのですね。物語の骨格が浮き彫りになっているといいますか。
あとはストーリーが走り過ぎているということも言えると思います。
当時はやっぱりプロットを緻密に決めて書いていたような気がします。何度も妄想の中でストーリーを絵取り、重要なシーンが頭のなかにあった。今思えば、出来上がった作品はそのつぎはぎだったような気がしています。
ただ、人間には骨があって筋肉があり、血管が這って、皮膚があります。骨格だけではいけないのです。
この作品以降、近頃はプロットなしで書いていて、失敗し、やっぱりプロットは必要と思い知らされたのですけれども、それでも利用するならばプロットが透けて見えてはいけないと思っています。
今なら、プロットを組んで、それでなおかつプロットが透けて見えない作品が書けるような気もしているのですけれど何事もチャレンジですね。少しづつ上手くなれわたし٩( ‘’ω’’ )و!
皆さまはプロット的にならないためにしている工夫はありますか?
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