第14話 わたしのなつやすみ 三日目








「見送り、ありがとう。」



 来た時と同じような服装をした宗治郎が、寂れたホームで振り返ったのを見て、雪凪は夢の終わりのような切なさを感じた。



「本当に、あっという間でしたね。」

「そうだね。」



 宗治郎と過ごした三日間は思った通り、いや、思った以上に楽しいものだった。



「幸音たちも、また会いたいって言ってました。」

「雪凪の友達は、みんな優しくて、温かい人たちばかりだったね。」

「ふふ、幸音たちは、もう宗治郎くんのこと友達だと思っていると思いますけど。」

「そうかな?」


 

 一度一緒に遊んだら友達、を地でいく人たちですからね……と言った雪凪に、宗治郎は柔らかな笑みを向けた。



「雪凪がどんな風に育ってきたのか、よく分かった。ここは本当にいいところだね」

「気に入りました?」

「とても」

「また、是非来てください」

「うん」



 ゆっくりと、列車がホームに入ってくる。柔らかなオレンジ色の光に照らされた車体は、哀愁を漂わせているようにも見えた。



「じゃあ、また学園で」

「はい。お気をつけて」



 音楽が鳴り、ドアが閉まる。

 ゆっくりと速度を上げて離れていく列車。

 雪凪は、完全に見えなくなるまで、それを見つめていた。見えなくなっても、ずっと、見つめていた。



 








「……。」



 夕闇が近づく紺色と橙色の空を、自室の窓越しに見上げる。



「雪凪〜、ご飯よぉ。」

「うーん。」



 なんとなく、そのまま見ていたかった。空返事をしながら、雪凪はなんだか、叫び出したいような、泣き出したいような感情で、胸が苦しくなった。



「もおー、雪凪ったら、電池が切れたみたいに静かになっちゃって!」



 電気もつけずに黄昏ていた雪凪を見て、二階に上がってきた美穂子が言った。



「……お母さんはさぁ、もし、いきなり死ぬほどモテたらどうする?」

「なに?またゲームの話?」

「いや、現実。」



 全く電気もつけないで、と小言を言いながらも美穂子は雪凪のベッドに座った。



「普通に気持ち悪いわね。」

「………………遺伝子を感じる……。」

「まあ、なんか違う目的があるのかな、と思うわよ。人が人を好きになるって、結構大変なことじゃない?そうじゃない人もいるだろうけど。雪凪も私もそういう情熱があるタイプじゃないでしょう。」


 

 美穂子はそう言うと、微笑ましそうな顔で雪凪を見やった。



「雪凪と恋バナ出来るなんて〜二次元にしか興味ないと思ってたのに、やるわねえ。」

「……そうですね。私も、まさかこんな悩みを持つとは思いませんでした。」



 雪凪としては、宗治郎に言われた黒薔薇の婚約者騒ぎのことを考えていたのだが、それを知らない美穂子は違うことだと思ったようだ。



「宗治郎くんが好きなの?」  



 あまりにも自然にそう聞かれたので、ついつい、素直に答えてしまった。



「……た、ぶん。」

「多分?」



 雪凪は、何故、自分は母親にこんな赤裸々に恋愛事情を語っているのだろうか…と思ったが、ここまできたらもう言ってしまえ、と開き直った。



「…好きってよく分かりません。ただ、その、宗治郎くんが、楽しそうだと、私が嬉しいなあって思うんです。」



 彼が誤解されていると嫌だと思うし、

 笑っているのを見ると、胸が切なくなる。

 誰に対しても誠実なところを尊敬しているし、

 自分に厳しいところは、見ていると少し、哀しい。



「……そういうのって、好き、なのでしょうか?」 

「さあ、どうでしょう?」



 美穂子はあっけらかんとそう言った。こんなに切実に相談しているのに、と雪凪は文句を言おうとした。しかし、美穂子が声とは裏腹に、真剣な瞳をしているのに気づき、押し黙る。



「雪凪は、私に似ているから。多分恋愛には向いてないわ。」

「む、娘に対してわりとひどいことを……。」

「貴方も私も、大切なものを一つに絞らないタイプだし。多分、一人でも生きていける人間よ。趣味も多いしね。結婚しなくておばあちゃんになっても、全然幸せだと思うわ。」

「……。」



 た、たしかに……と雪凪は心当たりしかなかった。



「そういう人間ってなかなか恋は出来ないと思うのよねぇ。だから、雪凪が目指すとしたら、愛、ね。」

「あ、愛?」

「さらに分かりませんって顔ね?」

「……そりゃ、そうですよ。」



 恋もなんだかよく分からないのに、愛なんてさらに分からない。愛と聞いて真っ先に思い浮かぶのは、美穂子や進が与えてくれるものだが、それを宗治郎に抱いているかと言われると、きっと違う。



「……さらにわけが分からなくなりました。」

「あっはは、悩めるのは思春期の特権よ。」

「…大人って、どうして、言われたら嫌だって分かっているのにそう言うことを敢えて言うんですかね??」

「馬鹿ねえ。羨ましいからに決まっているじゃない。」



 美穂子は懐かしく、眩しいものを見るような眼差しで雪凪を見た。



「ま、大人の私から言えることは、傷つくことや変わっていくことを恐れない、ってことかしらねえ。」

「簡単に言いますよね…傷つくことも、変わることも、どっちも嫌ですよ。」

「ほら、大人って過去を後悔しがちだし、若者に夢を押し付けがちだから。」

「……はあー……ほどほどに聞いておきます。」

「素直は雪凪の良いところよ!」



 さてさて、それじゃあご飯食べましょうねえ、と雪凪の手を引っ張って、美穂子は立ち上がった。のほほんと笑う美穂子を見て、雪凪は思う。



(…私は、とても、幸せだ。)



 雪凪のことをよく理解し、愛情をたっぷり与えてくれる両親。明るく陽気な、なんだかんだで可愛い弟。優しく、気のいい友人たち。


 あるがままを愛してもらえること、それはとても幸せだ。魔術学園アストルへ進学し、雪凪は育った環境に初めて感謝した。学園の生徒の中には、窮屈そうに生きている者も多かった。   



(あの子たちも、きっとそうだ。)



 グレード1の相部屋で、雪凪に嫌がらせをしてきた少女たち。誰かを不幸にして、それで自分を慰めていたのだろうか。雪凪があの時くじけなかったのは、雪凪の器が愛で満たされていたから。大切な人たちにさえ愛されていれば、よくも知らない人たちに傷つけられたって、自分が損なわれないと分かっていたから。



 雪凪はもう、何も知らない幸せな子どもから、人の痛みや苦しみを、想像し、悼むことができる少女へと成長していた。皮肉なことに、それは雪凪に嫌がらせをしてきた少女たちの、なのだろう。けれどやはり、自分が苦しいからと言って、人を傷つけていい道理はない。

  


「ね、宗治郎くんのどこに惹かれるの?」    



 美穂子は静かな瞳で雪凪を見つめる。



「宗治郎くんは、優しいんです。でも、宗治郎くんは優しくない方が生きやすいんだろうなぁ、と思うんです。」



 宗治郎はどこか、ちぐはぐだ。

 肩書きや立場に見合うだけの能力があって、本人もそれを自覚している。けれど、宗治郎はそのことで自尊心が満たされたり、驕ったりはしないのだろう。


 宗治郎は自分に備わった能力に対して、「そういう特質」だと思っている。だから彼は、自分と他人を比べることはしない。何が劣っているとか、優れているとか、そういう価値判断をしないのだ。


 彼のそういう気質は、とても稀だと思う。特に、実力主義を全面に押し出した学園の中では。宗治郎が人を惹きつけるのには、根底にそれがあるように雪凪は思っている。


 絶対的な強者が、あるがままの自分を見てくれている。何が出来なくても、人より劣っていても、それで見放したり、馬鹿にしたりしない。宗治郎に惹かれる人は、「哀しい人」が多いのかもしれない。満たされないものを宗治郎で埋めようとしている。だから、異様に執着心も強い。宗治郎の上部だけを見て、きゃっきゃしたり、恐れたりしている者は、多分、そこそこ満たされている人間なのだろう。


 雪凪はそれが、心配でならない。いつか宗治郎が、使い潰されて、すり減って、無くなってしまうのではないかと、はらはらしてしまう。またしても余計なお世話なのかもしれないが、生き方が歪すぎるせいで目が離せない。綺麗で美しいものが、損なわれてしまうところを見たくなかった。



「……ふうん。雪凪っていつの間にか、成長したのねえ。」



 しげしげと観察されて、雪凪は居心地が悪い。



「…だから、とりあえず、友達として出来ることを探すところかなあ、と。」

「それはもう出来てるんじゃない?」



 美穂子は雪凪の形の良い頭を撫でた。



「あるがままを受け入れること。そうじゃない?」



 美穂子は穏やかに笑った。



「雪凪がずっと宗治郎くんと友達でいたいなら、何があっても、周りが何を言っても、彼そのものを見ること、そうでしょう?でももし、友達じゃないものになりたいなら、傷ついたり、変わっていくことを恐れたりしてはいけないのよ。大丈夫。雪凪がどんな選択をしたとしても、私たちはみんな、雪凪の味方よ。ずっとそうだったでしょう?」



 雪凪は美穂子の言葉を、じっくりと噛み砕いた。



「そう……ですね。お母さん、ありがとう。」


 


 その時、階下から「ねえー!まだー??お腹すいたあ!」と叫ぶ陽太の声が聞こえてきた。なんとも間のいいことである。雪凪と美穂子は顔を見合わせて笑った。







 その夜。

 ベッドの中で、雪凪は宗治郎に言われたことや、美穂子に言われたこと、これからの学園生活について思考を巡らせた。



 ちなみに、黒薔薇婚約疑惑については家族に相談すると、 


 父、進は

「ま、まだ早い!!俺の瞳の黒いうちは……」とかなんやら。テンプレなことを叫び始めた。


 母、美穂子は

「ふふふ、せっちゃんはもう好きな子いるもんね?」と余計な事を言って父を炎上させた。


 弟、陽太は

「ねーちゃん……夢が叶ってよかったね……!」ときらきらした瞳を向けてきたのでしばいた。




 全くもって、シリアスになれない家族である…と、言うことで、雪凪もこれに関しては考えるのをやめた。まだ起きてもいないことを心配してもしょうがない。もし本当にそんなことが起きたら、その時は素直に宗治郎に泣きつこうと決心した。何か考えがありそうな様子だったし、と雪凪は自らのよい考えに納得した。



 宗治郎のことについては、結局、まだ良く分からない。彼の隣にいたいと思うけれど、それが友達としてなのか、違う形でなのか、上手く想像ができないのだ。



 宗治郎の貼り付けたような笑顔を見ていると、胸が苦しくなる。優しい人に、寄ってたかって好き勝手言っている人たちを見ると、驚くくらいに腹が立つ。それを独占欲といえばいいのか、恋しいと言えばいいのか、雪凪には分からない。こんなにどろどろとした感情を自分が持つことになるなんて、思わなかった。



 ゆっくり考えて行こう、と雪凪は思った。まだ二年生だし、そんなすぐに結論を出す必要もない……と思い直し、雪凪は目蓋を閉じた。






 



 後ほど、この時を思い出して雪凪は思う。



 ベッドの中で考えることってフラグになるのですかね…………?と。





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