【幕間①】

第12話 わたしのなつやすみ 一日目




 晴れわたった青空。

 真っ白な入道雲。忙しない蝉の鳴き声。


 一時間に一本しか来ない、二両編成の電車が走り去っていく。


 雪凪は、どこか夢見此処で目の前の光景を見つめていた。


 グレーのスラックス、ごく薄い水色のシャツに白のサマーセーター。

 スーツケースをひいた宗治郎がど田舎のローカル路線、かろうじて無人ではない木造の駅のホームに立っている。改札口にいる雪凪に気づくと、微笑みながら近づいてきた。



「久しぶり。元気だった?」

「お久しぶりです。もうめちゃくちゃ元気でした。宗治郎くんも元気でしたか?」

「うん。休みに入ってからはいろいろ忙しかったんだけど、雪凪の家に遊びに行くのを楽しみにして、頑張った。」



 そう言って、嬉しそうに笑った宗治郎を見て、雪凪は様々な感情が渦巻いて胸を押さえた。



「大丈夫?」

「大丈夫です。いつもの発作なので気にしないでください。」



 なら、いいけど、と不思議そうにしている宗治郎もだいぶ私たちオタクに慣れたなあ、と雪凪は思う。ちなみに、雪凪は尊いと語彙がなくなる系で、芳乃とユルゲンは創作意欲に変換させる系である。



 学園が夏休みに入り、二週間。

 八月上旬。

 休み前に約束していた通り、雪凪の住むど田舎(一応、首都圏)の「星宮町」に東の国有数の財閥御曹司、周宗治郎、襲来。洗練された都会の雰囲気を纏う少年が寂れた駅舎の中に立っていると違和感がすごい。(芳乃がいれば「退廃的な雰囲気があってこれはこれでヨシ」と言っていただろうが…。)



「じゃあ行きましょうか。母が車で待っているんです。」

「うん。ありがとう。」



 おじいちゃん駅員さんに切符を渡して外に出る。むわっとした、夏の日差しの匂いが二人を包む。今日も暑くなりそうだった。



「お母さん、宗治郎くん来ましたよ。」

   

 

 ロータリーに黄色の軽自動車が停まっている。

 こんこん、と運転席側の窓を叩くと、雪凪の母、美穂子が車から降りてきた。



「こんにちは〜宗治郎くん!雪凪の母の美穂子です〜!遠いところありがとうね。」

「いえ、こちらこそ、三日間お世話になります。」



 外行きの顔でにこ、と笑った宗治郎を美穂子はまじまじと見た。雪凪は頼むから変なことは言わないでくれ……とはらはらしながら見守る。



「うーん、すごいわ。写真で見るより実物の方が数倍美少年ね。」

「……ありがとう、ございます…?」

「も、もう行きましょう!暑いですから!」



 顎に手を当て、まじまじと宗治郎を見つめる美穂子を見て、これ以上は危険だ、と雪凪は判断する。余計なことを言われては堪らない。



「それもそうね!宗治郎くん、トランクに荷物入れちゃいましょう!」

「はい。」

「あ、私開けますよ〜!荷物貸してください。」 

「ふふ、大丈夫、自分でやるよ。」

「そうですか?」 


 

 


 後部座席に宗治郎と一緒に座る。

 


(……うちの車に、宗治郎くんが乗ってます……。)



 興味深そうに、窓の外を眺める宗治郎を見て、雪凪はじわじわと実感が湧いてくる。



(……夢じゃないんだ……本当に、これから三日間、宗治郎くんと一緒なんだ……。)



 もはや、魔術学園アストルにいた事さえ、夢か妄想かと思い始めていた二週間である。ほのぼののんびりぽややーんな家族と地元の友人たちに囲まれて、張り詰めていた雪凪の脳みそは、完全に解けてしまった。


 そのため、なんだかんだでほぼ毎日、宗治郎や芳乃、ユルゲンらとSNSでメッセージのやりとりは続けていたのに、徐々にイマジナリーフレンドかbotとやりとりしてるんじゃないかと思い始めていたほどである。



「綺麗なところだね。」


 

 外からの日差しに照らされながら、宗治郎がこちらを振り向く。一瞬、何を言っているのか分からなかった。綺麗?ああ、宗治郎くんはいつも綺麗ですよね、と一瞬頭をよぎり、違う違う、と頭を振る。



「いやねえ?雪凪ったら。宗治郎くん、ごめんなさいね?この子、この数日間ずっと上の空でね。よっぽど楽しみなのか、カレンダーに×つけて残りの日数を何度も数えたり、無駄に大量のお菓子買い込んで並べたり、年末の大掃除かってくらい掃除に明け暮れたり……変な子よねえ。」



 そんな事ないですよ、僕も楽しみにしてたので、という宗治郎と美穂子の会話を聞いて雪凪は気づいた。



(……く、口に………出してました…………!?)



 そして茫然としている間に、美穂子が要らないことをペラペラと話し始めてしまった。



「雪凪って、落ち着いているように見えて全然落ち着いてないじゃない?小さい頃から戦隊モノのブラックばかりやりたがるし、運動のセンスないくせに木登りして落ちるし、休みの子の給食全部食べて吐くし、長女のくせに周りから世話焼かれてばっかで、本当、学園で上手くやれてるのかすごく心配なのよねえ。」



 一息に話した美穂子が、ため息をついた。



「もおおおおおおやめてったら!!なんでそういう事言うの!!」

「あら、駄目だった?思春期って難しいわね〜。」

「どうして大人って子どもだったときのこと忘れちゃうんですかね!?」


 

 やり取りを聞き、宗治郎が笑う。ジト目で見上げるが、楽しそうな様子を見て、何も言えなくなってしまう。学園にいるときは笑っていても、どこか一線を引いているような印象がある。そんな宗治郎が、年相応な表情をしているように見えたのは二度目だった。



(……まあ、宗治郎くんが笑ってくれるなら、恥ずかしい話、傷にもなりませんね……ふ、)


  

 既に黒歴史中の黒歴史を本人めがけて大披露してしまった後なので、何を言われても仏の精神でいられる。雪凪はそう思った。



 そんなわけで車中では、雪凪のやんちゃな子ども時代であったり、学園でどう過ごしているかなどの話題に花が咲いた。宗治郎と美穂子の間で。雪凪は生ぬるい顔で二人の会話を聴き続けたのであった。








「さあて、着きました!我が家へようこそ!」



 車を駐車した美穂子が、そう言って振り返る。


 牧原家は、洋風の増築部分と、昔ながらの日本家屋が連なった独特な作りだ。美穂子が嫁いでくる時、二世帯住宅にしたためだ。今は雪凪からみて祖父母はどちらも亡くなっており、使い勝手の面からもともとあった方を主な生活スペースにしている。



「庶民的な家で申し訳ないのですが……掃除だけは頑張りました!それでも薄汚れている部分は経年劣化ということで目をつぶって下さい……。」 



 宗治郎は、興味深げに牧原家を眺めている。



「とても面白い作りだね。」

「よく言われます。秘密基地みたいとかなんとか。」

「秘密基地か…いいね。」



 庭には、美穂子の趣味でさまざまな草花が植えられている。今が見頃なのは向日葵、立葵、朝顔、ラベンダー、グラジオラスなど。「雑然とした整然」が美穂子のポリシーだった。



「ま、自分の家だと思ってゆっくりしてってよ。」



 美穂子が玄関の引き戸を開け、「ただいま」と声をかけると、中からどたばたと走ってくる音が聞こえた。



「おかえりー!イケメンのかれ……友達ってどこ??」



 宗治郎のことは事前に写真を見せて家族には紹介していたのだが、そのときからやけに「彼氏彼氏」とちゃかしてきたのが弟の陽太だった。絶対本人の前で言うなと釘を刺したのにも関わらず、うっかり口を滑らせた彼はきっと後ほど制裁を食らうことになるだろう……。



「こんにちは。陽太くんだよね?」



 その後宗治郎が続けた自己紹介と三日間お世話に……のくだりは陽太には聞こえていないだろう。母譲りの薄茶色の瞳をまんまるに広げて、陽太は後ずさった。



「ちょっと!失礼!」



 弟に対してだけ沸点が異様に低い雪凪が声を荒げる。しかし衝撃から立ち直った陽太は、今度はずい、と宗治郎に近寄った。



「宗治郎くんって本当にいたんだ!」



 森の中に昔から住んでる妖精かのような言いように、雪凪はすぱーん!と頭をはたいた。



「いってー!姉ちゃんの暴力女!」

「あんたが失礼だからでしょ!」

「もー、あんたたち、玄関先で何やってるのよ……宗治郎くん、ごめんなさいねえ?多分、三日間ずっとこうよ。」

「ふふ、仲の良いきょうだいなのですね。」

「まあねぇ、喧嘩するほどなんとやらってことよねえ。ま、とりあえず入っちゃって!あの子たちはほっときましょう。」

「お邪魔します。」



 牧原家の居間は、庭に面した昭和感あふれる一室である。畳や障子は張り替えているので、こざっぱりとしているが、柱時計や棚などはかなり年季が入っている。宗治郎はその全てに興味深そうな眼差しを送っていた。



「面白いですか?」

「うん。友達の家って初めて来たし。」

「ええ!?友達ん家行ってゲームとかしないの!?」



 陽太が信じられない!といった顔をして宗治郎を見つめる。宗治郎はちょっと困った顔(レアだ……)をして口を開こうとした。



「ばかね、陽太。雪凪と違ってじゃないのよ、宗治郎くんは。ちゃんと試験を通って入学してるの。アンタの基準で物を考えるのはやめなさい。人としての底が知れるわよ。」 



 レトロなプリントグラスに麦茶を入れて運んできた美穂子が、息子に残念そうな眼差しを送る。



「ええー、宗治郎くんとゲームするの楽しみにしてたのにー!」

「陽太、そんな事考えてたの?」

「だって全然クリア出来ない面があるんだもん。宗治郎くんなら出来るかなーって。」



 自分の周りで流行っているものは、どこでも流行っていて、上級生なら自分よりゲームが得意、と思い込んでいるまだまだお子ちゃまな小学三年生の陽太は、口を尖らせた。



「ゲームか…うん、やってみたいな。後で一緒にやらないか?」

「ほんと!いえーい!やったー!」



 ガッツポーズを決める陽太を微笑ましそうに見つめる宗治郎に、雪凪がささやく。



「すみません、合わせてもらっちゃって。」

「ううん。やってみたいのは本当だから。」

「……なら、いいんですが。」



 ねえねえ、どれやる?俺のおすすめは……とゲームのパッケージを引っ張りだして語り始めた陽太の話を聞いている宗治郎は、確かに本当に興味があるようだった。


 もしかしなくても、ゲームなんてやったことがないのだろう。アニメを隠れて見ていた、なんて言うくらいなのだから、娯楽に厳しい家なのかもしれない。


 宗治郎の肩書きを見れば、そこに違和感はない。そうなると、牧原家はさながら、「異文化交流」の場なのかも知れない、と雪凪は思った。なら、やきもきせずにあるがままを曝け出そう。雪凪はそう決心した。



「あ、そっちはねーちゃんの乙女ゲーム。」



 前言撤回。



「乙女ゲーム?」

「えーと、なんだっけ?庶民生まれの女の子が、貴族しかいない学校に入学して、イケメンたちと恋に落ちていくっていうゲーム。つまらなさそうだよね。」


 

(くっ……趣味のものオタクの痕跡は全て屋根裏にしまったと思っていたのに!!陽太のゲームに紛れていたとは……!!)



 しかしここで取り乱すと「生誕祭」の二の舞である。ここは、ああ……そういうのにもハマっていた時期、ありましたねえ……というスタンスで、ま、若気の至りってやつですよ……みたいな顔をしておけばいいのである。多分。



「大体さあ?なんで一人だけ特別たいぐうで貴族しかいない学校に入れるの?そこから不思議だし、王子様とか、騎士とか、さいしょうの息子?とか、えらい人がどんどんヒロインのこと好きになっちゃうって、ちょっと怖くない?俺がヒロインだったら泣いちゃうんだけど。」



 く、さりげなく逆ハールートの話を……!いいじゃないか!難しいことは置いといて、ちやほやされてみたかったんだ!と雪凪は心の中で思う。



「あ、でも姉ちゃんの一番のお気に入りはコイツ!」



 陽太はとん、とパッケージを叩く。黒髪の巻毛に、赤目の青年。綺麗な顔に笑みを浮かべて佇んでいるが、只者じゃなさそうな……雪凪的に言うとラスボス臭、が漂っている。



「なんだっけ、ええと、そうだ隠しルートのキャラクターだ。他の攻略対象者に全く見向きもしないで、勉強に明け暮れてエンディングをむかえると解禁されるルートで、隣の国から留学に来ている皇太子だ!」



 何故陽太がここまで詳しいかと言うと、勿論雪凪が語りに語ったからである。過去の自分を全力で殴りたい。雪凪は素数を数え始めた。



「……あれ、」



 陽太がパッケージと宗治郎を見比べる。



「どうしたんだ?」

「うーん、いや、なんか……あ、分かった!!」



 ひらめいた!と顔を輝かせた陽太が宗治郎に詰め寄る。



「なんか引っかかると思ったんだけど、コイツってさ、宗治郎くんに――……」



 雪凪は陽太の脇腹に全力でタックルした。



「げふっっっ」

「……ふう。」

「いってええええ!!姉ちゃんの馬鹿!あほ!暴力反対!」

「教育的指導です。」

「宗治郎くん!姉ちゃんと友達なの、見直した方がいいよ!姉ちゃんって性格悪いよ!すぐ暴力振るうんだ!」

「陽太にしかしませんよ。特別扱いです。」



 ぎゃあぎゃあ喧嘩をしだした二人を見て宗治郎は笑った。雪凪は見ていなかったけれど、片腕で口元を隠し、前屈みになって笑う姿は、宗治郎基準だと爆笑と言ってもいい。おやつを持ってきてその様子を見た美穂子に、「宗治郎くんって笑い上戸なのかしら、ずっと笑ってるし」と学園の人たちが聞いたら、宇宙顔になるような勘違いされるくらいに自然な笑顔だった。












「すっげーーー!!宗治郎くん、ゲームやったことないって嘘だろ!?」



 雪凪が風呂から出ると、居間のテレビの前で宗治郎と陽太がゲームをしていた。扇風機をこちらに引き寄せ、雪凪は髪を乾かす。


 先に入った二人は、髪も乾かさずにゲームをしていたようだ。テレビ画面には、宗治郎が操作しているキャラクターがえげつない動きをしながらアイテムを取っていた。コントローラーを操作する指の動きが玄人のそれだ。



「面白いね。ゲームって。」

「でしょー!てか宗治郎くんまじですごい!ゲーム実況者になれるよ!」

「さっき見たやつだよね?ふふ、楽しそうだね。」



 宗治郎と陽太は意外にも気が合うらしい。横に並んでいると、仲の良い兄弟に見える。雪凪は、ぼう、とその様子を眺めた。風呂上がりの宗治郎は、白いTシャツと濃いブルーの短パンを履いていた。普通にジャージ姿なだけなのだが、違和感が仕事しすぎて脳内が大渋滞だった。雪凪の。



「…宗治郎くんって、何かスポーツとかやってたんですか?」



 陽太とゲームを交代した宗治郎にたずねる。



「小学校のときは、バレーボールのクラブチームに入ってたんだ。」

「へえ、バレーボール!ポジションは?」

「セッターが多かったな。」

「に、似合う……。」



 コート上の王様として君臨していただろう宗治郎を想像する。相手チームだったら心折られそうだ。



「雪凪って、やけにスポーツについて詳しいよね?」

「まあ……さまざまな漫画がこの世にはありますから。」

「バレーの漫画もあるの?」

「ありますよ。読みます?」

「うん。読んでみたいな。」



 両手を後ろについてこちらを振り返っている宗治郎はとても楽しそうだ。宗治郎が楽しそうにしていると、雪凪も楽しい。



(ああ、もう一日目が終わっちゃいます……。楽しい時間って、どうしてすぐに終わっちゃうんでしょうか……。)



 やがて、「ご飯よお」という美穂子の声が聞こえてきた。今日は父のすすむは出張で帰ってこない。お皿にのせられた山盛りの唐揚げ。味の染み込んだ厚揚げの豆腐。具沢山のすまし汁に、ポテトサラダ。テレビはつけっぱなしで、わいわいがやがやといつも通りに賑やかな食卓を四人で囲む。



 

 一生忘れる事はないだろう、雪凪の夏休みが、こうして始まった。






 


 

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