百合短編!
冬寂ましろ
第1話 巣立ちの時を百合カフェで
百合カフェよりお知らせです。
きらめくような本と出会えましたか?
あでやかなスイーツに出会えましたか?
まぶしい人に出会えましたか?
出会いは羽ばたくきっかけ。
どうかそんな出会いを楽しんでいただけたら。
姉とのご飯はなんともなかった。こうしてふたりきりの食卓になっても、どうということはなかった。ただ、ひとつのルールだけをずっと気にしていた。
「今日はどうだった?」
にこやかに姉がたずねる。私と暮らすときに決めたひとつだけのルール。お互いに今日あったことを話すこと。
ミルクスープに浸していたスプーンをそのままことりと皿に置く。
「ユイと少し話していたかな。お昼食べたあと」
「いつもの屋上? 寒かったでしょう」
「あ、いや…。2階の渡り廊下のとこ。暖房と陽射しがあるからちょっとあったかい」
「そう、よかった。どんな話してたの?」
「くだらないこと。男子がウザいとか、誰と誰が付き合いだしたとか、そんなどうでもいいこと」
「そう…。そういう話はだいじにしたほうがいいよ」
「くだらないのに?」
「たいせつなことだと思うよ」
姉にそう思わせているのは自分のせい。
「…あのさ、お姉ちゃん。学費のことだったら私がバイトでもなんでも…」
「それはダメ。私がヒナを引き取ったときにそう決めたことだから」
姉は目を細めて微笑む。私を殴る父からかばったときと同じように。つらいことから私を安心させるように。
私はいつまで姉の後ろに居られるのだろう。姉のスカートをつかんではいけない。そう思っていても、つかんで安心している自分がいまだにいる。
「お姉ちゃんこそ今日のことを話しなよ」
「そうだな…。隣の人としてたのは、雨の話かな」
「雨?」
「冬なのに雨っていじわるだな、シロップ入りの雪にでもなれば嬉しいのに。みたいな話」
「ねえ、会社で不思議ちゃんとか言われない?」
「言われないけど…。あ、でも。言われたほうはびっくりしてる」
「なにそれ。ぷふ…。あはは」
私が笑うと姉もこらえきれずに少し笑い出した。
「ちょっと、ヒナ。なんで笑うの」
「だって、お姉ちゃんの職場、楽しそうだから」
「そうだね…。わりと楽しい人が多いかな」
「いいなあ」
「ヒナも、いい人に出会えるといいね」
「いい人か…。どうかな…」
私の顔が曇るのを見て、姉は静かに言う。
「ねえ、ヒナ。あんな大人になっちゃだめだよ」
「うん…」
ここに来るまでに「あんな大人」をたくさん見てきた。姉はそんな大人ばかりじゃないことを教えてくれる。それはきっと「ほら、ヒナ。大丈夫だから」と言いながら、私の手を引いて前を見せてくれるのといっしょ。私はまだ怖くて姉のスカートにしがみついてる。
冬の昼下がりは空の色のように、どんよりとしていた。静かな空き教室に入り込み、ユイとふたりでお弁当を広げる。そこは騒がしいのが苦手なふたりが見つけた場所。てかてかとしたミートボールを箸でつまみながら、私は言う。
「最近お姉ちゃん、帰るの遅くてさ。ご飯いらないって言うし、お酒臭いときもあるし」
「怒ってんの?」
「いや…。心配なだけ。しっかりしてるように見えてどこかずれてるから。なんかやらかしているんじゃないかなって」
「まあ、仕事の付き合いって奴だよ。お姉さんだってストレス発散しないと」
「そうかなあ」
「溜まってることがあるんじゃない?」
「溜まるって…。うーん、どうだろ」
あんなにいつも毎日起きたことを話してるのに。
「ヒナ、気になる?」
「いや、まあ…」
「もしかして彼氏かもよ」
「ええ…。そういうのはないかな」
「わかんないよ。…みんなわかんないし」
ユイの丸いメガネに灰色の空が流れていく。
私こそわからないな…。
「ヒナはさ。お姉さんのこと好き?」
「そんなんじゃ…」
「目をそらして赤くなるの、かわいいな。Shy Girlって感じ」
「発音よくないぞ」
「こう? しゃいぐぁーる!」
「あはは。ウケる」
「ほんとそれ。向こうでもウケたらいいな」
「…やっぱり留学するの?」
「うん、考えてはいるけれど。どうしようかな。まだ悩んでる」
「みんな羽ばたいていくんだね」
「ヒナも羽ばたけばいいのに」
冬の空を教室の窓から見上げる。灰色の世界に体が泳いでいく。私はどこへ行けばいいんだろ…。
暗い家へ帰り、灯りをともす。冷たい部屋。そこには誰もいない。寂しさが胸を締め付けてくる。
…お姉ちゃん、どこ?
会社に行ってるはず。帰ってくるはず。私を置いていかないはず…。
姉の部屋に駆け込み、灯りをつける。一瞬、たくさんの本で足の踏み場もなかった頃を思い出す。本に囲まれていると姉は幸せそうにしていた。家でも本だらけなのに、高校ではずっと図書委員をしていた。これが私の天職と笑ってた。辞めるまでは。
一冊だけになってしまった本が小さな机に置いてあった。たいせつに布のブックカバーがかけられている。
お姉ちゃんの気持ち、これでわかるかな…。
その本を手に取ると、しおりがひとつ挟まれていた。ページがわからなくならないように指を代わりに挟んで、しおりを見てみる。
「…百合カフェ?」
あたたかい色で描かれたしおりに、姉の細やかな指先を感じた。
授業の合間の短い休みに、2階の渡り廊下までユイを引っ張り出す。スマホで写したしおりの写真を見せる。
「これ、わかる? アニメとかかな? ユイならわかりそうと思って」
「どうしたのこれ?」
「お姉ちゃんが持ってた」
「うーん。調べてみようか?」
「うん」
ユイがスマホで調べていく。検索とかわからない私には魔法使いか何かのように見える。
「新宿っぽいね。本当にある喫茶店みたい。行ってみる?」
「うーん、どうしようかな…」
「何かわかるかもよ?」
「お姉ちゃん、仕事終わったらここにいるのかな…」
「気まずい?」
「なんで?」
「百合って、ほら、女同士の恋愛のことで…」
「ひあ、え、そうなの?」
「こやつは。かわいい反応しよって」
「かわいいっていうか…」
「お姉さんは大丈夫だよ。心配しているようなことじゃないって」
「そうならいいけど…」
「今日行ってみる? 学校終わったあとで」
「ユイも来るなら…」
「うん、姫のためなら、どこまでもお供しますよ」
ユイがおどけてそう言うと私に笑いかける。そこだけは少し暖かに思えた。
「この場所って…」
「まあ、そういうとこよね」
「マツコ的な?」
「そんな感じ」
さすがに制服のままで来るような街ではなかったと後悔していた。
ぼんやりと街灯が灯る暗い道をふたりで足早に歩いていく。
「ヒナ、ここ。2階ぽいよ」
「うん…」
狭い階段をふたりであがる。その先には黒い引き戸があった。張り紙が貼ってある。
「いきなりキッチンだけど気にするなって書いてある」
「おもしろいじゃないか。てぇい!」
開けると本当に目の前が背の高いカウンターの端っこだった。エプロンを付けた女の人が私達に微笑む。
「いらっしゃい。初めて?」
「はい…」
「えっとシステムはね…」
お店の人が教えてくれる。始めは1時間の時間制。飲み物はだいたいセルフ。ケーキとかは伝票を持ってカウンターへ注文に行くこと…。
「とりあえず1時間でいいかな?」
「いい、ヒナ?」
「うん…」
「はい、お好きなところに座ってください。あとで伝票持ってきますね」
ざっと店の中を見渡す。北欧風とでも言うのだろうか、木のぬくもりがあちこちに感じられる。大きな本棚が店の中に何個かあって仕切りのようになっていた。
この中にお姉ちゃんはいたのかな…。
「窓際にしよっか、ヒナ」
「うん…」
「さっきからどうしたよ」
「いや…」
「座ってて。なんか取ってくるよ」
「ううん、一緒に行く」
部屋の片隅ににあるコーヒーメーカー。操作がよくわからなくてユイを呼ぼうとしたら、そちらはそちらで何かを選り好みしている。私はあきらめて適当にカップを置いて何かのボタンを押す。じゅぼぼって音が響き出す。
あれ、間違えたかな…。
「ホットコーヒーでいいですか?」
お店の人が見かねたように私に声をかける。恥ずかしいなこれ…。
「はい…」
「こうしてダイヤルまわして、それからボタン押してね。ちょっと濃いかもしれないから、そうだったらお湯で薄めて」
「わかりました…」
「じゃ、このまま注ぎ終わるまで待っててね」
私はカップに流れていくコーヒーの黒い筋をぼんやりと見つめている。
ちゃぷちゃぷとした水の音に耳を澄ましている。
コーヒーの豊かな香りが広がっていく。
なんだか優しく溶けていく感じがする…。
後ろから「待ってたよ」という声が聞こえた。
そうか、ここで待ち合わせてるというのもあるんだな…。
お姉ちゃんはなんでここに…。
コーヒーが入ったカップを小皿に置きカタカタ言わせながら席に戻ると、ユイが座って紅茶を飲んでた。
「ヒナは大人だなー」
「いいじゃん」
「私、ブラックは好きじゃないんだよね」
「ユイの子供舌」
「そこは子供のままでいいよ」
「ええ…、そうかな」
「変われるから。いつかブラックコーヒーもピーマンもグリーンピースも食べられるようになるし。ヒナだってそうだよ」
「その日がくればいいね」
「言い方」
「あはは」
ふたりで飲むコーヒーとハーブティ。好みは違うけれど、私たちはいっしょにいる。
テーブルのそばを見渡す。ケーキを嬉しそうに食べてる人。友達と笑いながらマンガ読んでる人たち。ひとりでスマホをじっと見つめている人。
みんななんでここに来ているのだろう。
ここは避難場所かもしれないな。何かの。何かからの…。
「居心地いいね、ユイ」
「それはわかる」
「なんでだろうな…」
「わからないよね」
「うん…」
「まあ、せっかく来たんだから。本でも読んでいこうか」
「私、百合とかわかんないよ」
「私が教えてあげるから」
本棚からぱぱっとユイは何冊かの本を取り出す。
「まずはこのあたり。私はいけだたかし先生の『ささめきこと』が好きだから、これは読んで欲しいかな。志村貴子先生の『青い花』は鉄板で…。『終電にはかえします』『加瀬さんシリーズ』とかも。『安達としまむら』『私の百合はお仕事です』『白と黒』『透明な薄い水色に』とか。『上伊那ぼたん』も外せないし…」
「…ユイ、詳しくない?」
「え、そう? 普通だよ」
ユイから渡された本をぺらぺらとめくる。大学生の女の人たちがお酒を飲む話。ただそれだけなのに、心をひきつける。意味を間違えたり、想いを募らせたり。すれ違ったり、重なったり。最後のページに「私たち、ひとつになれたらいいのにね」のセリフ。同じことをユイは言ってた。決めてしまったら、春にはもうユイは海の向こう。
みんな、ひとつになんかなれはしないのに…。
子供の頃、ハトの群れに突っ込んでいったときのことを思い出す。飛んでいくハトたち。追いかける私。手は届かない。つかんでしまったらハトはどうなる。ひとつになんかなれないのに…。
お姉ちゃんだっていつか…。
こうして私がお姉ちゃんをつかもうとしていることだって、きっと私のわがままで…。
本をパタリと閉じる。
「ユイ、このあとの続きってないの?」
「まだ3巻出てないんだよね、それ。あ、そだ。なんか自分で選んでみなよ」
「ええ…。わかんないんだけど」
「適当でいいよ。タイトルでビビってくるものとかでいいからさ」
「いじわるだな」
「面白いじゃん」
「そうかな…」
立ち上がって店内をうろうろしだす。本棚のちょっと高いところに『やがて君になる』という本を見つけた。どうなるの? 体乗っ取るみたいなホラー? 百合で? どんな内容なのか見たくなって、手を伸ばす。あれ、届かない…。
「ほい。この本でいい?」
「あ、ありがとうございます」
「いえいえ。楽しんでってね」
スーツ姿がこなれている背の高いお姉さんが私に小さく手を振る。カウンターのはじっこに戻るとお店の人と明るく話し出す。もう何人かいるっぽいけれど、席に座ると見えなくなる。
「常連さんたちなんだろうね。楽しそう」
「まあ、いいじゃないか。愛でていよう」
いたずらっこのようにニシシとユイが笑う。
数冊読んだあたりでちらりとスマホをみて時間を見る。もうだいたい2時間ぐらい経っていた。
「お姉ちゃん来なかったな…」
「何かわかった?」
「うーん、よくわんない。ユイは?」
「堪能した。百合成分でお肌つやつやになりそう」
「あはは」
「そろそろ行こうか。なんか食べてく?」
「うーん。お姉ちゃん、夕飯どうするんだろ。ちょっと電話してみる」
電話を鳴らす。カウンターの端っこで耳慣れたメロディが流れる。思わず立ち上がってふりかえる。
「ヒナ!」
「お姉ちゃん…」
「なんでいるの?」
「そっちこそ…」
「私は…」
本を取ってくれた背の高いお姉さんが姉のそばにいる。面白そうに私を眺める。
「あれ、この娘。ツバサの妹なんだ」
「先輩、取らないでくださいよ」
「ここで制服はめずらしいなと思ってさ」
「なら、私が着ます」
「そんな私が痴女みたいに」
「違うんですか?」
ふたりで笑いあう。
お姉ちゃんの嬉しそうな笑顔。
私が見たことがないその笑顔…。
「お姉ちゃん、取られちゃうの……?」
瞳をぎゅっとつむる。それでもあふれてくる。
姉をつかもうとする手を必死に抑える。
そうしてしまったら、お姉ちゃんは私にまた縛られてしまうから。お姉ちゃんは私から旅立ってほしいから…。
止まってよ、涙。
恥ずかしいよ…。
お願い…。お願いだから…。
「ヒナ」
ユイの手が体に触れていく。私を後ろから抱きしめる。春の日向のようなあたたかさが私を包み込む。
「大丈夫。大丈夫だから」
「うん……」
「私がそばに居るから」
「でも、ユイは…」
「いるよ。そうする。そうしたら、いっしょになら羽ばたけると思うんだ」
「うん……」
ユイが強く抱きしめてくれる。飛び立たない私の手を握って走り出してくれる。
「ユイさん」
「はい」
「ヒナをお願いします」
「わかりました」
「お姉ちゃん…」
「ほら、ユイ。笑ってあげないと。お姉さんも心配しちゃうよ」
「うん…」
私は涙を制服の袖でぬぐう。ユイの手を握りしめながら、姉を見つめる。
いろいろな想いが目の前にあふれるなか、姉はいつもと変わらずやさしく微笑んでくれた。
「巣立ちって、いつ見てもいいものね……」
カウンターからのんびりとした声が伝わる。
背の高いお姉さんが言い返す。
「店長、何言ってんの」
「百合は世界平和!」
「はあ?」
「いいのよ。仲良しさんがいれば、それでよし」
「ええ……」
4人で同じテーブルに着いてお茶をする。みんな違う飲み物。でも、ケーキを食べ終えたころにはみんなが打ち解けていた。
背の高いお姉さんは、ずっとがんばってる姉から、自分だけ変な話を聞かされて困ってたこと。
ユイは、留学しないで私と並んで羽ばたくことをずっと前から決めてたけれど、私には言えなかったこと。
私は、姉にずっとスカートの端をつかんでいたけれど、ようやく離すことができたこと。
そして、姉は…。
「行こうか」
「うん…」
ユイの暖かい手が私の手を握る。店の外はすっかり真っ暗になっていた。それでもあの冬の寒さは、いつのまにか春の暖かさへと変わっていった。巣立っていくには、もうじゅうぶん暖かいだろう。
推奨BGM:
リリィ、さよなら。
「ハルノユキ」
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