赤髪の異邦人 〜自由への旅路〜
ほしのすな
第1話 果てしなく澱んだ空
「……空、ずっと晴れねぇな」
一筋の光も無い真っ暗闇の天に向かい赤髪の少年は、魔物との激しい戦いで酷く傷つきぼろぼろになった手を、地に寝そべりながら弱々しく伸ばす。
染み付いたような静寂に包まれた辺り一面には、荒れた土、血と泥にまみれた土煙、落ちて割れた瓦、崩れた家屋。そしてその傍らには血の匂いや悪臭の原因である、数多の国民、魔物の亡骸が広がっている。
そんな地獄と呼べる最悪の中に、赤髪の少年は居た。
遥か天空から一つの
「っ…もう年中暗闇はうんざりなんだよ。気分がどうしても晴れねえんだ。なぁ、天空の島アズディア。この国の本当の最期ぐらいそこをどいて少しは蒼空を見せてくれ…!」
赤髪の少年は震えた声で、陽とこの国を隔てる、天空に浮かんだ巨大な島「アズディア」に問いかける。
しかし、天空の島は答えない。
己が死ぬ間際でさえも空は変わらず、天空の島アズディアによって陽を遮断され、悠久の薄暗い空に閉じ込められたまましい。自分が生まれる遥か前からずっと、ずっと。
「…そもそもなんで何もしてねぇ俺達の国、サングイスが壊される! それにこの国で最後俺だけが残って何になる! 心底気に食わねぇんだよ!!」
憤怒の涙で視界がぼやける。己の掠り切れた怒声は、怒りと悲しみと後悔に震え、血だらけの五指で地を深く抉り取る。
「くそっ!!」
しかし、先程の問いにも答える声など当然無い。この国にはもう、自分以外の民は残っていないのだから。
「…ふざけんな」
悍ましい程の
そして
「…ならせめて、こんなクソみたいな最後には一目だけでも、ユリウスと蒼い空を見てみたかった…」
揺れ動く瞳から一筋の冷たい雫が零れ落ちる。しかし、その涙を自身では拭えぬ程に、赤髪の少年の身体は憔悴しきっていた。
羨望を抱くような真っ直ぐな眼差しで、しかしそれと同時に全てを諦めたような溜息を空に向かって弱々しく吐いたのを最期に瞳を閉じ、十七年続いた生を終えることにした。
次に生まれ変わった時は、蒼空と自由を手に入れたい、そう切望しながら。
だが、己の境遇を恨み絶望し諦めた、そんな時だった。
カツ カツ
遠のく彼の意識を引き戻すようにして突如、遠くからゆったり、堂々と何者かが歩く音が聞こえる。
「……」
この国に残っている者はもういないはずだ。だからおそらくは残った魔獣かそこらの動物の足音だろう。しかし、死にゆく彼にとってはあまり関心の無い事だった。
カツ カツ
だが、その優雅に歩む音を魔獣と断定するにはあまりに穏やかで、それでもってどこか優しい音なのだ。
「……」
だからこそ赤髪の少年はそれを少し怪訝に思い、薄れゆく意識の中、少し上体を起こして虚な目を薄く開き、ゆっくりとこちらに歩み寄る正体不明の相手に対して目を向ける。
最初は霧がかかって、何も見えはしなかったが、正体不明のそれが段々と近づくにつれ、やがてそれは人の輪郭となり、それも髪の長さからして、やや背の高い女性であることが分かった。
「……」
だがこの国に生き残りはいない。そう確信できる理由もあった。だからここにいるのはこの国の人間ではない。
もしかしたら数日前この国に落とされた雷霆と天空から訪れた魔物と何か関係があるのかもしれない。そんな憶測がふと頭をよぎった。
しかし赤髪の少年は、それさえも心底どうでも良くなっていた。
生きる理由となっていた親友は既にこの世にいないのだから。
だが、
「よっ 赤髪の少年」
「!!」
その瞬間、気高き彼女の温かな一声によって赤髪の少年の渇き切った感情が大きく揺さぶられた。
彼女の大人の女性を思わせる落ち着いた低めの声は、少年にとって恵みの雨のような心地良い安らぎに感じたからか、はたまた、久方ぶりの運命の邂逅のように感じたからなのか。
それは、赤髪の少年自身も何故なのかは分からなかった。
腰まで伸びた長い艶やかな金髪で、背丈はやや高く、凛とした可憐な顔立ちで翡翠色の瞳。歳は二十代後半といったところだろうか。やはり赤髪の少年は彼女を見た事はない筈だった。
やがて彼女は、倒れた少年の顔を覗き込み、優しくフッと微笑んだ後、堂々と両手を腰に当て、凛とした様子で話し始める。
「私の名前はエレノア。ただの旅人だ」
服装は、少し汚れた白い服にやや短めの茶色いスカート、黒のブーツを履いたごく普通の冒険者といった感じで、顔の美しさとはあまりそぐわない風情だった。名前を名乗った彼女は、倒れる少年に向かって歩みを進める。
「っ…もう助からない。無意味だ」
「やってみないと分からないだろ? それにまだ喋る余裕があるじゃないか」
そして、無意味だと言い張る、倒れた少年の横で膝立ちになって、
「げほっ!!」
彼女は、少年の一度は止まりかけた心臓に両手をかざし、そこから強い閃光を発する治癒魔法を施した。
「…かなり重症だ。お前はもう絶対に助からない」
光を発する両手を少年の心臓の前でかざしたまま、彼女は一瞬だけ曇った表情を顔に浮かべる。
「…ま、私じゃなければなっ! ほらよっと!」
「っ!!」
しかし刹那、彼女は得意げに微笑むと同時に、先程よりも強い光を発する強力な治癒魔法をかけ始めた。
瞬く間に少年の心臓は再び走り出し、全身の傷は再生し、折れた骨が整然と次々に再生し始め、その反動で身体全身が酷く軋む音がした。だがやがて、いつの間にか、動かす度に痛んだ全身が楽になっている。
「君に強い治癒魔法を施したんだよ。だから傷が原因で死ぬ事はもう無いさ。それより赤髪の少年。飯は食ってるのか?」
エレノアと名乗る彼女は、地に横たわる少年に手を差し伸べた。
「…赤髪の少年じゃない。名前はアマト。助けてくれてありがとう、エレノアさん。…けど飯はもうずっと食べてないからもうじき…」
空腹状態で餓死寸前のアマトは、なんとか彼女の手を取り、肩を借りてなんとか弱々しく起き上がる。
「少しここらを歩いて、向こうに焚き火台を見つけたんだ。そこで少し休もう。それと、もののついでに君に私の食糧を分けてやる。いつか何かしらの形で返してくれ。あ、利子は10倍な」
彼女は、綺麗な翡翠色の目を細めて、当然だろ?と満面の笑みを浮かべている。
彼女の鼻歌混じりの呑気な口調では冗談なのか本気なのかは分からなかった。また、それを判断できる程、満身創痍のアマトの心に余裕など無かった。
「っ」
視界と足元がふらつく。例え傷が治っても何日も飯を食べてないのだから当然だ。まさか、最期の最期で誰かに助けられるだなんて思ってもみなかった。
「歩けないのなら君をおんぶしてやる。向こうで、ここで一体何があったのか教えてくれるか? ゆっくり、自分のペースでいいから」
「…分かった。お願いします」
女性の背に乗せられる事は少し恥ずかしく思えたものの、今の状態では歩く事もままならない。アマトは彼女に背負われるがまま、温かくてほんのりと甘い匂いのする肩に背負われ、近くの焚火台へと向かった。
それが後に先生となる、エレノア先生との最初の出会いだった。
一話 END
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