第125話 いまはとて 天の羽衣 着る時ぞ 君をあはれと おもひいでぬる

 上空高く。


 青龍の背に跨って昇り続ければ、夜空の星がどんどん近付いて来る。

 帯のように煌めく天の川は、獅子の出現を機に光を急速に薄れさせて、今はぼんやりと見えるだけだ。


 ひたすら上空へ舞い上がり、フージュ王国を取り囲む俊嶺を眼下に見る事ができるほど高くに昇る。まだ宇宙には届かないけど、地面が僅かに弧を描いているのが分かるくらい高く。


 高く上りすぎたのか、俊嶺は雲海を貫く様にして、その頂だけを覗かせている。


 本当なら生身で辿り着けないだろうこの場所は、癒しの魔力を持つ青龍に護られているからこそ辿り着ける場所なのだろう。


「見ないぞ!!私はっ……ぜ、絶対に目を開けないからな!!!」

「はいはい、分かってますから。ポリンド講師はそこでそうやってしっかり繋がることにだけ、心を砕いていてくださいね」


 前回同様、全身を大蛇に巻き付かれた風に、細い形状に作り出した魔力の龍を纏って青龍に腹ばいにへばりついたポリンドが、掠れ気味に裏返った声で主張する。正面に回れば固く目を瞑っているだろうけれど、そんな労力はかけるつもりはないので気のない返事で相槌を打っておく。

 わたしは自力で青龍に張り付いているポリンドの背後に1人で座っているだけなので、気楽なものだ。もしもポリンドが落ちそうになったら手を貸すことにはなっている。そこがハディスの妥協点だったらしい。


 アポロニウス王子は、ハディスの膝の上に横座りして興味深そうに周囲を見回している。


「ポセイリンド叔父上、バンブリア嬢、この辺りで大きく一回りしてくれないか?」

「ポリンド講師?」

「まっ……任せた!子猫ちゃんに任せてるからぁっ。なんとかして頂戴っ」


 王子の要望に応える余裕は既に失せているポリンドは、顔を伏せたまま叫んでいる。


「しかたないですねぇ……よっと」

「ちょっ!セレ!?」


 ハディスがちょっぴり怒ったような声をだすけど、それは青龍のうなじにへばりついているポリンドが邪魔でジャンプで乗り越えたところか、はたまた彼を飛び越えたこと自体に対してか。とにかく、わたしが青龍を操る手っ取り早い方法は、髭を手綱の様に持つことだから、項から頭へと繋がる道中を塞ぐポリンドが、とっても邪魔なのだ。仕方ない。


「大きく旋回――!」


 声に出しながら、大きく伸ばした腕で、掴んだ長い髭の片方だけをグッと引く。

 すると、わたしの意図を組んで、青龍は大きな円を描いてゆったりと旋回し始めた。



 遮るもののない冷涼な月明かりが降り注ぐ俊嶺は荘厳な表情を湛え、古代の人間により何かを意図して設置されたモノだと聞いてはいても、すぐには信じられない。広がっているのは、神々が創りたもうたとしか思えない崇高な眺望だ。


「この景色を、帝とかぐや姫のたった2人の魔力が作り出したなんて……」


 わたしの呟きだけが静かに響く。誰もが――いや、ポリンド以外が言葉を失い、その光景に魅入る。


 ゆっくりと昇る満月は、獅子の出現前とは比べるべくも無いほど小さくなっている。けれど、それが放つ冴えざえとして辺りを包む潔白な輝きは、今の方が清浄で力強い。文字通り、余計なものが剥がれ落ちて本来の姿を取り戻した月の姿だ。



 そうして、しばらくの間わたしたちは白い月明かりが峻嶺の頂を照らす幻想的な様子を、無言のまま見つめ続ける。すると、丸く象られた山々の中から朧げな光が滲み出てきた。

 その光が、獅子の体内で大石の傍に出現していた魔法陣にそっくりな文様を描き出したことに気付いて、わたしは息を飲む。


「あれが……―――!」


 アポロニウス王子が感動に打ち震える声を上げる。


「なんて、途轍もない魔力なんだ……」


 ぽつりとこぼれた言葉は、呆然と目を見開いたハディスが思わず呟いたものだろう。峻嶺が描くフージュ王国の外縁をまるごと使った、1つの巨大な魔方陣が、月光によく似た色彩の光を放って浮かび上がって行く。そして、ハディスと同じく、わたしも目を見開いている。けどそれは、感動とか驚嘆とか畏怖とか、そんな感心してのものじゃなくって―――。


「何よこれ――――――!?」


 眼下の魔法陣には、魔法を発動される複雑な文様に紛れさせながら、前世「古典」の教科書で見た、草書を使ったある短歌が忍ばされていた。


『いまはとて 天の羽衣 着る時ぞ 君をあはれと おもひいでぬる』


 最後、まさに情を失う寸前のかぐや姫が、想い人である帝へ向けて詠んだ歌だ。

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