第118話 寂しさで凍えていた気持ちが、ほんわり暖かくなってゆく。
「あの、来てくれたのは嬉しいんですけど、どうやってここから出るつもりなんでしょう?」
ハディスの存在に安堵はしたけれど、出られる当てはあるのか?との純粋な疑問が浮かんでいた。
周囲を見ることも出来ず、どこへどれだけ動いているのかさえ掴めない黒い魔力の泥濘の只中に居る状況だから、ミイラ取りがミイラになる事態だけは避けたいのだけれど――。そんな思いが伝わったのだろう。間近でクスリと笑う気配が伝わって来る。
「大丈夫。この王国の年少者たちはとても頼りになるから」
その言葉と同時に、周囲を取り囲む黒い流れが一段と激しく渦巻き出し、獅子の咆哮が響いて来た。
『おぉぉぉぉぉぉ―――――――ぉぉぉぅぅん』
高い悲鳴ともつかない声が途切れないうちに、黒い景色を切り開いて黄金色の眩い光の繭が下方から、こちらに突っ込んで来る。目も眩むほど激しい光は黒だけしかない獅子の体内に強く清廉な一条の光線となって突き進み、外からの月光の刃を届かせるように切り込む。
「来た!」
ハディスの弾むような声に、光が害成すものではないと悟り、その輝く切っ先にじっと目を凝らせば、よく見知った面影がこちらに向かって飛び込んで来ている姿だった。
「お姉さま―――――!!!」
「無事か!」
右手をまっすぐこちらに向けて掲げたアポロニウス王子が弱化の魔法をその手から放ちながら、魔力の塊である獅子の身体を突き破って侵入して来た。そして、その腰あたりをがしりと抱えて、大声でわたしの事を呼んでいるのはヘリオスだ。どうやら魔力を発する王子を物理的に抱え上げたヘリオスが、下方から飛び上がって獅子の体内へ突っ込んで来たらしい。すかさずハディスがわたしを抱えているのとは逆の、左手を伸ばして王子の突き出した腕をがしりと捕まえる。間近に手繰り寄せられた王子とヘリオスが、泣き笑いの表情になったわたしに気付いて苦笑を浮かべる。
「みんなっ……危ないじゃないっ!――っけど、ありがと」
勝手な真似をしたわたしを助けに来るなんてお人好しすぎるし、彼らにとっては損でしかないのにどうして来たの!?自分の立場を考えて!と文句を言いたい気持ちが沸き上がる。本能では彼らの好意が嬉しくて仕方がないけれど、勝手をした後ろめたい思いがあるから素直に表に出すことが出来ない。けれど、お礼だけはちゃんと伝えたかった。3人も、無茶なことをやったわたしに言いたいことを飲み込んで、笑みを浮かべてくれる。
嬉しさが込み上げて、周囲の泥濘のせいで冷え切っていた身体と同じく、寂しさで凍えていた気持ちが、ほんわり暖かくなってゆく気がする。
「戻るぞ!」
ハディスの声に、纏う魔力を解除するけれど、今度はアポロニウス王子の弱化の魔法に包まれているからか、ひどい嫌悪感や苦痛には襲われない。ただ、優しい黄金色の光に包まれて落下してゆくだけだ。
すぐに、獅子の胸あたりから外に出ることができた。
とは云え、今度は魔力を纏っても止まらない、ただの落下だ。
3階に張り出したバルコニーに手を付いていた獅子。つまり、わたしたちはそれよりも高い位置から落下しだしたということで、大怪我か命の危機に陥ったことになる。下方に深い湖でもあればまだ良いけれど、広がるのは侵入者を阻む迷路の様に選定された垣根と木々。
「もう少しましな方法は無いわけ!?」
悪態をつきながら目の前に飛び込んで来たのは、藍色の髪を靡かせて青龍に乗ったポリンドだ。
相変わらず魔力は纏うのではなく、大人の脚ほどの太さに変化させた小さな龍を全身に巻き付けるスタイルで、へばり付く様に青龍に乗っている。と云うか、小龍のロープで大きな青龍に括りつけられている状態だ。そっちこそ、もう少しましな乗り方は無かったものだろうか。
「素早く脱出して拾ってもらう。これが最速・最善だろ?頼りになる兄がいて僕は幸せ者だなぁー」
「こいつっ……棒読みなんだけどぉ!?」
ハディスとポリンドが言い合うのを聞きながら、瞬時に全身に魔力を纏って迎えに来てくれた青龍に跨る。ハディスはわたしを引き寄せてくれようとしたけれど、今は魔力を纏えないヘリオスと、纏うわけにはいかない王子とがいる。だから、わたしはヘリオスを背後から抱え、アポロニウス王子はハディスが背に乗せる。
「オルフェもポリンドも有難う!助かったわ!」
青龍に乗って助けに来てくれた2人に声をかける。ポリンドはすぐさま「子猫ちゃんなら大丈夫だと思ってたけどね」なんて軽口を叩いてくる。そんなやりとりに、ほっとしたのも束の間―――
「安心なさるのはまだ尚早ですよ?」
薄い笑みを浮かべたオルフェンズが不穏なことを呟いた。
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