第104話 ちょっとでもわたしが、強いハディスの拠り所になれたんなら、本当に良かった。

 わたしにも、思い当たることがあった。


 ――ムルキャンだ!


 黒い魔力を取り込んで変容しつつも、自らの力として利用出来るようになった生成なまなり。その在り様が、まさしくオルフェンズの言った『どちらともつかないモノ』そのものだ。


 背後で押し黙るように佇んでいたポリンドが静かに口を開く。


「動植物が黒い魔力を帯びすぎると魔物や魔獣と化すことは広く伝えられているけど、人が魔力を帯びすぎるとどうなるかは、意図したように隠されて、伝承に残らないようにされて来た。その理由が――まさか女神様に繋がって来るなんてね。華々しく祀り上げる為に、都合の悪い事実は隠してたワケだ。歴史を綴れる高い身分を持った人間達ってどうしてこうも自分勝手な理想像を押し付けようとするのか……ホント苛々するね」


 存外に低い声と、吐き捨てるように言い切った口調に、ポリンドが、怒りや、遣る瀬無い思いを抱えていることが伝わって来る。


「仕方ないんじゃない?僕たち程度の化身の顕現ですら、忌み、恐れ、嫌悪する人間が多いんだからさぁ?ましてや信仰の対象である女神様なんだからね。まさか魔物と混ざった姿になってますなんて言えなかったんだろ?」


 ハディスにも、思い当たることがあるのか、女神の事を語りながらも自嘲のような歪んだ笑みを浮かべている。過去ハディスやポリンドの身に何があったのかは知らないけれど、今のハディスの言葉から、2人が緋色のネズミや青龍がもとで、謂れのない悪意を向けられて来たのだと云うことを窺い知ることは出来た。と、同時につきりとした胸の痛みを感じる。


 ――できる事なら、その時に助けてあげたかったな。手の届かないところで苦しんでいたのを知るだけって辛いものなのね。


 つい、子供をあやす様にハディスの頭に手を置いてポンポンと撫でてしまった。


「え?」


 間の抜けたハディスの声を耳にした段になって、ようやくわたしはとんでもないことをやってしまったことに気付いた。未だわたしの右手は柔らかな赤髪に埋もれていて、至近距離で見詰め合う形になったハディスの黒に近い深紅の瞳は零れんばかりに大きく見開かれている。


 ――あぁぁぁぁ!!!わたし、自分より年上の男の人にっ、しかも王弟にっ、なにやってるのぉぉぉ!!!


 心の叫びを表面に出さないように、努めて平静を装おうこちらの心中を察しているのか、ハディスは頭の上で硬直するわたしの手に自身の手を添えてそっと頬に引き寄せる。


 わたしとは違う、ちょっとだけひんやりした引き締まった頬と、手の甲に当たる大きくて暖かい手の感触に、ドキリと心臓が跳ねる。


 更にハディスは、その手の感触を堪能するように目を伏せ、一度だけ、スリ……と遠慮がちに頬を擦り付ける。それからへにゃりと顔全体が綻ぶような笑顔を、わたしに向けて来た。


「嬉しい」


 心の底から滲み出た事が分かる、安堵の吐息交じりの言葉を掛けられて、わたしの顔は今――真っ赤になっていると思う。けど誤魔化したり、否定するつもりは無い。恥ずかしい気持ちもあるけど、わたしも嬉しいのが伝わると良いなと思うから。


 ――ちょっとでもわたしが、強いハディスの拠り所になれたんなら、本当に良かった。


「ハディアベス閣下!ポセイリンド閣下!女神様が魔物と混ざった姿になっているとは一体どういう事ですか!?その様な話……俄には信じられませんぞ!」


 宰相の苛立った激しい声音が間近で響いて、ようやくわたしは今現在の異常な状況を思い出した。

 ハディスに「待て」をされていた宰相が、どうやら痺れを切らしたみたいだ。うん、ごめん。すっかり舞い上がって、お花畑に旅立ってたみたいだわ。


 わたし同様に、若干気まずそうに宰相へ一瞥をくれたハディスではなく、一歩引いた場所で冷静に周囲を見渡したポリンドが口を開く。


「私達も今気付いたんだよ。地上から月に黒い魔力を送る役割を担った帝が魔力と混じり合い、石へと身体を変容させていたことはもう分かっているよね?」


 そう言って、ポリンドがひたと視線を向けたのは未だ何かに向けて防御の為の魔力を放ち続ける帝だ。


「だとしたら、その受け手である女神だって生身の人間のままでいられるとは考えられないよ。月へ昇ってそこに留まっているってことが人間離れしているし、何よりフージュ王国を護る『降魔成道ごうませいどう鎮護ちんご法術』が、送られた黒い魔力を貯め込んでいるのか、浄化しているのかも伝えられていないんだよ?女神が月で黒い魔力をどうしているのかと疑問をもったところで、さっきのオルフェンズ卿の言葉だよ。取り込んで自らのものとした――と」

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