第37話 帰ってきたら見てなさい‥‥いえ、帰ったらなんてまどろっこしいわ。

 そのまま翌日を迎え、母が護衛ズの不在に気付いて急いで準備してくれた登校馬車の様子を見て、わたしは思わず挨拶の顔を引き攣るのを感じた。


「お、はようございます。皆様。」

「「「おはようございます!」」」


 想像以上に元気な重低音の挨拶が返ってきた。


 いつも通り護衛とともに大門で馬車から降りて徒歩で登校すると、思う以上に周囲からの視線が集まるのを感じた。けれど、母の付けてくれた護衛の効果で、寄って来る不埒な者は現れない。むしろ皆が視線を会わせないように、こそこそ逃げ回っている気さえする。けどまあ、ここまではいつも通りの登校風景だ。


 そして、いよいよ朝の日課ルーティーンイベントね‥‥どんな反応が返ってくるのやら。


 玄関へ一歩踏み入るなり迷い無く近づいてきた足音に振り向けば、想像通り憤然としたユリアンが、鼻息も荒く近付いてくる。けれど、わたしとその背後に続く3人の男衆の姿を認めるなり一瞬、無表情でその場に立ち尽くす。やがて気の毒そうな表情をして、黙ってUターンして行った。ちょっと待て、その表情はどう云う意味よ‥‥。


 わたしの内心の葛藤など知る由もない、仕事に忠実で親切な護衛係たちは、登校する学園生達がどこか怯えた表情で遠巻きにしていても、厳つい顔をシュンと不安で曇らせて、わたしを案じる言葉を連ねてくれる。


「お嬢さん、本当に学舎の中は護衛しないでも良いんですかい?あっしらは、本職ではありませんが、恩義ある商会長のお嬢さんのためなら、たとえ火の中水の中、身を挺してお嬢さんを護る心意気だけは持ち合わせておりますんで!」

「気持ちだけで充分よ。ありがとう。貴重なお時間をわたしの送迎に使わせてしまうだけでも申し訳ないもの。みなさんはこれで商会のお仕事に戻ってください。」


 母オウナが自信満々に告げた、腕利きの護衛に代わってわたしを確実に守ってくれそうな者を手配したと云う言葉に偽りは無いのだろう。揃った男衆は筋骨隆々とした目つきの鋭い、商会でも屈強な面子ばかりで、並々ならぬ気遣いが伺えるのだけれど、ただゴツい。人相が悪い。子供の集まる学園にはちょっと刺激の強い風体の持ち主たちだ。現に、低学年のご令嬢は勿論、ご令息までもが身体を強張らせたり、泣きそうな表情でこちらに目を向けているのを見ると申し訳なくなってしまう。


「お嬢さん、行ってらっしゃいませ!お帰りの際は、またあっし等が伺わせていただきます!!」


 野太い挨拶を背に受けながらいつもと違う一日が始まった。







「あの護衛達がいないだけで、随分と違うものだな。」

「何ですか、藪から棒に」


 護衛ズは居ないのだけれど、いつもの習慣で講義室前方の扉側のいつもの席に着いたわたしの後ろに、ギリムがやって来て腰を下ろした。


「護衛も、エクリプス嬢も居ないのでは心細いのではないか?それにストゥレス子爵令嬢や、ミュノー男爵令嬢がお前の服にインクや泥水を掛けようとしたように見えたのだが‥‥。」

「えぇ、久しぶりすぎて逆に新鮮でした。驚きすぎて加減を誤ってしまうほどですもの。彼女たちには悪いことをしました。」


 そうなのだ、わたしを護るものが居ないと見るや、バネッタの眼を盗んで鉄砲玉令嬢ことストゥレス子爵令嬢と、ミュノー男爵令嬢が何か月かぶりの嫌がらせを行って来た。護衛が付くまでは、日課の様だった嫌がらせ回避も、久しぶり過ぎて勘が鈍ったんだろう―――溢されたインクや泥水を魔力を込めた扇のひとあおぎで返してしまい、彼女たちの方がそれぞれの得物を頭から被る甚大な被害を与えてしまった。全身を汚した2人は、登校早々下校する羽目になったのだ。とは言え、しっかり文句は残して行ったわ。


『貴女みたいな平民もどきが、あんな見目麗しすぎる護衛を置くなど身の程知らずも甚だしかったのですわ!バネッタ様は何も仰いませんが、高位の方々ですら護衛など置いていないのです。身の程をわきまえない貴女に、ついに護衛も愛想をつかしたのですわね。ざまあみろですわ!』


 子供の喧嘩か!って言いたくなるような、こんな捨て台詞を言う元気のあった2人だから、全く心配はしていないけどね!


「マイアロフ様こそ、朝からアポロニウス王子の所へ行かずに講義室にいらっしゃるなんて、随分と珍しいこともありますね。」


 いつもなら、数分間の移動時間でさえ、王子のもとへ駆け付けている彼にしては珍しい。そう思って何気なく言うと、ギリムはいつもの仏頂面から僅かに驚きを浮かべた表情へと変わる。


「――なんだ、知らないのか。アポロニウス王子は今日学園へは来ておられん。王弟おうていでん‥‥いや、お前の赤髪の護衛も同じだろう。陛下の元へ呼ばれているはずだ。俺も、じきに神殿へ戻ることになりそうだから、以前から頼みそびれていたこれを渡さなければと思って―――。」

「聞いてないわ。何も‥‥。」


 呆然とした顔をしてしまったのだろう。何かを取り出そうとしていたギリムがそっとそれを引っ込めたのが目に入ってはいたけれど、何も反応ができなかった。ギリムが当然の様に知っていることを、最近特に近しい態度を取るようになったハディスが教えてくれなかった事がショックで。


 自惚れかもしれないけど、想ってくれているのなら教えてくれてもいいんじゃないかな?力になりたいし、護るっていっつも言ってるのに!帰ってきたら見てなさい‥‥―――いえ、帰ったらなんてまどろっこしいわ。


「マイアロフ様、うちの護衛――主人であるわたしに報連相ほうれんそうを怠っているようですわ。ちょっと苦情を伝えたいと思うので、どこにいるかだけ教えていただけないでしょうか?」

「巻き込まないでくれ‥‥。」


 げんなりした様子のギリムに、わたしは「何をするとも言ってませんわよ。」と、付け加えてにっこりと笑って見せた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る