第5話 心動かされた女性一人守れない様では、民を護る王族としての矜持も保てんからな。 ※アポロニウス視点
これがイシケナル公爵が飼い慣らしていると云う
両手を組み、潤む瞳でイシケナルを見つめていた異形に、公爵が
「ふぅんむ、神殿にも伝承を残す
「トレントの様に制御不能の化け物を作り出すのは許さんぞ?」
「ははーっ!それは勿論のこと、我が君に憂いを残すようなことは致しませぬ!トレントもいまは封印しておるだけですが、必ずや‥‥!」
必ずやどうするというのだろう?その場にいる誰もが不安になる所で途切れた会話だったが、ムルキャンはそこで自分の世界に入り込んでしまったのか、ぶつぶつと何かを呟いたまま魔力の放出と吸収の実験を繰り返し始め、こちらの言葉には反応しなくなってしまった。
「こうなっては、もうこちらとの対話は成り立たないだろうな。
イシケナルが踵を返すと、何事か呟いていたムルキャンの足が地面にずぶずぶと入り込み始め、しまいには頭の先までが完全に地面に沈んでしまった。ここまで、緊急の視察について何も問うことのなかったイシケナルが厳しい光を湛えた鮮やかな紫の瞳を、私にピタリと合わせる。
「で?王子、
「あぁ、辺境の村が一つ襲われた。いち早く目撃情報がもたらされていたおかげで、対策を講じる猶予はあったが、それでも魔物1体とは思えない苦戦を強いられた。倒すことは出来ず、追い払うのがやっとだったらしい。」
国内を悪戯に混乱させない様、出来るだけ内密に進めていた対策だったが、公爵はしっかり情報を得ていたらしい。まぁ、隠し様の無い程の被害が実際に出てしまったから、どこからか情報は漏れたのだろうが、漏洩元はしっかり追及しておかなければな。
若干穏やかでない心の内を出さない穏やかな表情のまま、答える。
つい10日余り前にセレネ・バンブリアが見たと云う流れ星―――その情報を
「お前の姉も先日の王城での宴において継承者候補だと発表されておったぞ。このまま月の忌子の被害が続けば私は勿論だが、お前の姉も討伐の声がかかるやもしれんな。――いつまでもここに居る訳にはいかんのではないか?」
「えっ‥‥。」
考えてもみなかったと云う様に、一瞬ぽかんとした表情を浮かべたヘリオスは、次いで目を見開いて激昂した。
「どうしてですか!?お姉さまはただの男爵令嬢です!それなのに何故そんな恐ろしい魔物の討伐の声が掛かるんですか!?」
「私に声を荒げるのは御門違いと言ったところだが、継承者候補だとデウスエクス王が公の場で認めたからだ。王が認めたことにより、下手な貴族はお前の姉に手を出せなくなったが、同時に継承者としての義務が発生する訳だ。」
ここ何十年もそんな話は無かったが、不運だな‥‥と呟きが続いたが、ヘリオスはどこか遠くを見るように呆然としている。
「お前の姉は派手に動きすぎるからな。夜会や先日の学園での発表会フィナーレの話は王都から離れた私の耳にも届くほどだ。ここのところ随分と縁談も増えていたのではないか?」
「お姉さまの耳には入れていませんが‥‥確かに、処理や手を回すのが大変にはなってきていましたね。くそっ‥‥そんなに注目を浴びるなんて想定外です。」
耳に入れていないどころか、処理?手を回すだと‥‥?ヘリオスは心底無念そうなんだが、正気か!?とんだシスコンだな‥‥。
思わず凍りそうな表情筋を慌てて笑みの形にすると、恐らく自分と同じであろうひきつる笑顔のイシケナルが目に入った。
「僕が認めません。お姉さまに目を付けるのも、僕から連れ去ろうとするのも。僕がまだ追い付けていないのに‥‥。まぁ、どれだけ格上が来ようと、正攻法でないならいくらでもやりようはあります。」
「やめんか。その辺りは姉も同類か‥‥。」
黒い笑みを浮かべ始めたヘリオスに、イシケナルがげんなりとした視線を向けている。仕方ない、少しだけ叔父上たちに花を持たせておくか。気は進まないが、放っておくと暴走しそうなヘリオスの様子に「けれど今大きな横槍は無くなっているはずだが?」と呟いてその理由を告げることにした。
「ヘリオス、父上がセレネ嬢を継承者候補だと発表したのには、その様な貴族から守るために必要な措置だと叔父上たちからの進言もあったからだ。バンブリア家との約定で直接的な保護は出来ないことになっているからな。継承者は女神から直接王国の守護を担う力を与えられた者として、有事の際の義務だけでなく、国王への直答も許される権利が与えられる。目立ってしまっている現状必要なことだったと私も考える。」
気付いていなかったのだろう。彼女に良く似た顔に驚きの色が浮かぶ。それが叔父上への感謝を含んでいると思うと少しだけ悔しくて――そのせいでつい本音がこぼれた。
「別の道も試みたが、どうにも上手く伝わらんようでな。むしろ意図していなかった叔父上が‥‥まぁ、それは言うことでもないか。」
自分は一体何を口走っているのだろう。目の前で首をかしげるヘリオスを見ていると、どうにも冷静でない部分が顔を出す。頬に熱が上っているのが自分で分かるくらいだ。ああそうか、この姿のせいか‥‥。
どれだけ自慢の手管を使っても靡く気配のない令嬢と良く似た姿に動揺しているのか。私もただの子供だと納得する一方で、確かにそれを自覚するのは悔しい。ただ、私は子供である前に、この国の王子だ。厄介事がある時は尚のこと気持ちの揺らぎを悟られないように、凛と振る舞わなければならない。
「それに、候補までが討伐に呼ばれることになる前に、私が先に行って月の忌子を打ち滅ぼすつもりだ。心動かされた女性一人守れない様では、民を護る王族としての矜持も保てんからな。」
目の前の少年に、活力に満ちた年上の令嬢の姿を重ねて、アポロニウスは眩し気に微笑んだ。
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