第66話 お取り込み中でなければ、お邪魔しても? ※ポセイリンド視点

 兄は、これまでの私の周囲の家庭教師や使用人を全て解雇し、わざわざ魔力が無く、蛇や龍の見えない教師や使用人達を雇って、私の世話をさせた。お陰で以前の様に無駄に恐れられることも無くなり、何より教育と世話をしてもらえるようになった。



 ただ、この城へ出入りする貴族達は別だった。

 兄が何か言ったところで、表立っては口を噤むのみで、陰では更に巧妙に雑言を伝えて来る。


 けれど、私自身も年齢を重ねることにより、周囲の悪意から眼を背け、心を閉ざす方法を学んで、適当に折り合いをつけられるようになった。

 外見や表情は殊更華やかに、目にする誰もが溜め息を禁じ得ない美貌の王子として認められる様に装った。

 反して、周囲に閉ざした心は頑なで、貴族らしい笑顔の人間を見るだけで吐き気を催すほどになった。気分の悪さと苛立ちと云った様々な不快感は、この先ずっと消えることはないだろう。



「ポセイリンド様!!内々の者だけが集められた月見の宴ではありますが、久し振りの夜会へのご出席なのに、何故にわたくしにお声もお掛けにならず、立ち去られてしまうのです?冷たいではありませんか。」

「妹は今も変わらず、ずっと貴方だけを想い続けているのです。王位継承権を放棄した貴方にとって、我が候爵家の秘宝である妹は、またと無い良縁でしょう!」


 自由に天空を駆ける龍の眼を通して遥かを眺め、久々の貴族との交流でささくれだった心を安らげようと、1人きりで尖塔の最上階までやって来たと言うのに。

 不躾に声を掛けて来た2人は、まだ10代の後半に婚約者候補として、世間体を気にした父王から半ば強引に対面させられた女と、その兄。

 だからこそ、塔の入り口に立った衛士も、この2人を通したのだろう。


「私は認めた覚えはないんだけどねぇ?思い違いも甚だしい。疾く立ち去ってくれないか?」


 気分が悪い。目の前の2人も、私が取り繕って美しく偽り始めてから近付いて来た貴族だ。吐きそうだ。その平然とした表情の中で何を考えているのか、想像するだけで胃の腑のものが込み上げて来そうだ。


「いいえ、帰りません。またとない機会――この機会を逃せば貴方はまた何年と逃げ回ってしまうでしょう。わたくしも未婚の令嬢としてはもう限界の年齢です。責任をとっていただきますわ。」


 女が、令嬢らしからぬ妖艶な仕草でしなをつくり、赤い舌で唇を湿らせながらじりじりと近付いてくる。


「万が一、どうしても閣下が我が妹――女が駄目だと仰るなら、私が閣下のお相手を務めますのでご心配には及びませんよ。」

「なっ‥‥!?」


 一瞬、何を言われたのか分からず、しかし青年の妙に熱のこもった視線を受けてはっきりとその意図を悟る。と同時に、どこまで人を馬鹿にする気かと心が冷え、逆に頭はかっと熱くなる。


 あぁ、さっき放ってしまった龍が暴れている。彼の視界を借りて荒んだ気持ちを癒すつもりが、まさかこんな馬鹿げた事になるとは。暴れる龍を見せてしまったからには、また醜い化け物呼ばわりされることになるのだろう。

 鬱々とする気持ちを隠して、不敵にニィと唇の両端を引き上げると、令嬢は僅かに怯んだが、令息には逆効果だった様で頬を染めている。


 今度は令息が前に進み出て、じりじりと距離を詰めてくる。


 何度も龍が窓からこちらを覗き込んで鋭い視線を投げてきているが、この2人の魔力はさほど強くはないらしく、顕現している魔力の化身の姿までは判別出来ないらしい。こんな事にばかり、我が父親は気が回るらしく、化身の姿を見て忌避しない程度の魔力持ちの高位貴族に婚約者候補の打診をしていたのだろう。どうせ気を回すなら、まだ幼い我が子にこそするべき気配りがあったのではないか?全く厄介な。


 じり、と足を引くと、その分だけ目の前の2人が足を踏み出す。けれど、接近に耐えられずにまた足をいくらか引いているうちに、こつり・と、ついに引いた足の踵が背後の壁に当たった。目の前の、今にも獲物に襲いかからんと云った肉食獣の気配をたたえた2人から逃げ出すには、あまりに立ち位置が悪すぎた。この場所は細い尖塔の最上階の部屋。屋上へ上がるにも、階下に逃れるにも、2人の背後にある階段を使わなければならない。


 或いは、背後のこの窓から、ついに呪われた我が身を踊らせる事になるのか‥‥。


 そう考えたところで、こちらの身を案じた龍が、再びその厳めしい顔を窓から覗かせた。龍は慈愛の生き物で、故に癒しの魔力を人々に分け隔てなく施す。それなのに大多数の人間は恩恵のみ受け取って、龍を醜いと断じる。やるせない現実だ。


 もしこの龍が人に触れることが出来たなら。

 或いは私が龍に触れることが出来たなら。

 このような醜い思惑に塗れた場所から抜け出して、自由に空を駆け行きたい。


 けれど、魔力の化身でしかない生き物には触れる事は出来ないのがこの世の理―――。


「あー‥‥ポリンド講師?お取り込み中でなければ、お邪魔しても?」

「は?」


 二重の意味での「は?」である。思い掛けない声が、有り得ない場所から、緊迫した状況に沿わないのんびりした調子で響いて、私は間の抜けた返事をした。


 何故、弟の愛玩する子猫ちゃんが窓の外、それもどうやら魔力を妙な形に変えて纏い、不可能なはずの龍に乗る真似をやってみせている?そして取り込み中だと‥‥?

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