第64話 本当にこのままハディスを待つだけで良いの?
城をグルリと取り囲めるほど巨大な姿でありながらも、優美な造形の、その青白く輝く魔力の化身たる生き物は、正しく前世の記憶にあった『龍』だった。以前に学園長室で見た、ポリンドにまとわりつきながら小ネズミたちを捕らえていたアレとは比べ物にならない威厳と力強さを兼ね備えている。
「凄い‥‥綺麗。」
ぽつりと唇からこぼれ落ちた言葉にハディスが苦笑する。
「あいつが聞けば喜びそうだけど、言っちゃダメだよ?」
「同意です。」
護衛ズが、どこか黒い笑みを浮かべている。解せぬ‥‥。
圧倒的存在感の青龍に目を奪われていられたのは、ほんの僅かの間だけだった。
『おぉぉぉぉ‥‥‥‥ぉぉん!』
眼をカッと見開き、龍が咆哮する。
魔力の少ない者には、見ることも、聞くことも出来ない存在だけれど、その天空に響き渡る様な声は、王国中の者達が耳にしたのではないかと思える程の大きさだった。
未だ、現れた尖塔を中心にして、旋回し続ける龍から、ゾクリとするほど怜悧な魔力が溢れ出し始めた。更に、ゆったりとした旋回だった動きが、荒ぶるように上下左右へ激しく身をうねらせながら飛び始める。
「ハディス様、龍の様子がおかしいです!」
「分かってる!
ハディスが窓から顔を出して、龍が現れた尖塔の方向を見遣るが、しばらく眼を細めた後、すぐに「あそこに人影が‥‥あいつの他に誰か居る?!くそっ、遠すぎてよく見えない!」と、唸る。
「ハディス様、かわってください!!わたしが視ます!」
視力強化!!
魔力を目に集中させると、尖塔の窓の側に立つポリンドの後ろ姿がくっきりと見えてくる。じりじりと窓に向かって後退しているのは、誰かと対峙して逃げようとしているのか。けれど、彼が今居るのは5階に相当する高さの塔の窓だ。飛び降りて逃げることは出来ない。
「相手の顔は見えないけど、ポリンド講師は誰かに迫られて窓際に追い詰められてるみたいです!」
「はぁ!?何だって?」
上空では、切羽詰まったポリンドの心情に呼応するかの様に、巨大な龍が猛り狂っている。
「きゃぁぁぁぁぁあっ!!」
城内の者で上空に浮かぶ姿に気付いた者が、叫んだのを皮切りに、城のあちこちで人々が駆け回る音や、叫び声が響き始める。
「ポセイリンド閣下は何処に!?何をしていらっしゃるんだ!!」
「誰かっ!魔力の見えるものは、空の化け物の出所を教えてくれっ!!」
喧騒の中に聞き取れる声は、どれもが恐慌状態の切羽詰まったものだけれど、どれ一つとしてポリンドの身を案じたものでないのは何とも気分が悪い。
「龍は人々を癒す慈愛の生き物だ。攻撃なんて、人を傷付けることなんてしないのに‥‥。」
呟いたハディスはわたしと窓の外、そしてオルフェンズを順に見て逡巡し、けれど思い切った様にオルフェンズへ真剣な表情を向けて唇を噛む。
「銀の‥‥セレネ嬢を、頼む。」
「頼まれなくとも離れる気はない。」
絞り出すような声は、不承不承を隠しきれないもので、オルフェンズか鼻で笑う。
「っ、隠遁は使わせるなよ!」
『ぢぢっ!!』
「ちっ。」
頭の上から響く鳴き声が、
返事に反応してオルフェンズは舌打ちし、それににやりとした笑みを向けたハディスは、尖塔向けてであろう、凄い勢いで駆け出した。
けれど、ここから尖塔までは随分と距離がある上に、ポリンドのいる場所まではかなりの数の階段を昇らなければならないだろう。そんな猶予はあるんだろうか?
さらに、ポリンドの魔力が刺々しさを増し、彼のおかれている状況の悪化を伝えてくる。
再び窓から眼を凝らしてよく見ると、ポリンドの後ろ姿の奥に、ドレス姿の女性と、タキシード姿の男性二人の姿がちらりと見えた。表情まではさすがに見ることは出来無いけれど、彼の魔力の感触と、じりじりとあとじさる様子から、ポリンドの身に望まぬことが起こっているのは確かだろう。
ハディスがたどり着く様子は勿論まだ無い。けれど、青龍は更に荒々しく動き始め、その長い胴体を激しく動かして地上すれすれにまで下降し、かと思えば急上昇し、うねり、咆哮を上げて猛り狂う。ポリンドの感情と共鳴しているのだとしたら、とんでもない危機状態に陥っているに違いない。
「どうしよう‥‥本当にこのままハディスを待つだけで良いの?」
『ぢぢっ!』
大ネズミが頭の上でひと声鳴き、視界の端にチラチラと緋色の小ネズミたちの姿も映り出す。
ハディスも必死で何とかしようとしてる。けど―――。
尖塔の窓の縁に手を掛け、既に後退できなくなったポリンドの姿がそこにはあった。
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